シリーズ挑戦の系譜水中光無線通信装置が切り拓く、海洋領域の無限の可能性

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これまで水中では難しいとされてきた高速無線通信。
これを半導体レーザーで実現し、海洋事業のリモート化、自動化、ジオサイエンスにまで貢献しようとする小さなチームが、大きなムーブメントを引き起こそうとしている。

海洋研究のトップランナーと

「JAMSTECのテーマに島津の技術が使えると思うんだけど」

ある日、航空機器事業部磁気装置部の西村直喜は、東京支社の同事業部営業部の堤 雅宣に提案した。出張のたびに「何か新しいことができないか」と堤に熱心に相談していた西村が見つけたテーマだった。

じつは西村は身震いしていた。JAMSTEC(国立研究開発法人 海洋研究開発機構)といえば、国内の海洋研究におけるトップランナーだ。西村は幼い頃から昆虫博士と呼ばれ、ひたすら石を集め、望遠鏡から見る宇宙に魅了されるなど、海や自然が大好きで、いまも休日には仲のよい部下とクワガタを捕りに行く。そんな西村にとって、JAMSTECは心から憧れていた存在だった。

島津製作所の事業の柱の一つが計測分野で、そのなかでも磁気装置部は、船舶の磁気を測る装置開発を担う。メイン顧客は防衛省だ。仕事にやりがいと誇りを持ちつつも、部長としてチームを率いる西村は、メンバーにもっと広い外の世界を見せたいという思いも強く持っていた。海洋で応用できる技術の可能性を模索し、社内でのコラボレーションの可能性を探っているなか、JAMSTECのテーマを見つけ、営業の堤に相談を持ち掛けたのだ。

西村 直喜
航空機器事業部磁気装置部 部長 西村直喜

「当社のデバイス部には、青色半導体レーザーを用いた『BLUE IMPACT』があります。複数のレーザーを光ファイバーに集約して高出力化する技術で、これを応用すれば水中での高速通信を実現できるのではないかと考えていました」(西村)

「JAMSTECは、防衛省防衛装備庁が技術のデュアルユースを目指して公募している安全保障技術研究推進制度に、水中光無線通信の研究で応募していました。これなら、我々の技術が役に立てるのではないかと思いました」(堤)

この二人に、当時、別の事業部門であるデバイス部課長だった東條公資を加え、2015年の12月、堤がよく知る防衛装備庁の同制度推進リーダーにコンタクトした。そこから紹介を得てJAMSTECの研究所がある横須賀へと足を運ぶ。このプロジェクトが動き始めた瞬間だった。

初めての技術に挑む

水中で無線通信を実現することは相当難しい。携帯電話で使われる電波は水中ではまったく使えない。音響通信もスピードが遅くFAXレベルになる。残る唯一の可能性が光だった。

当初、JAMSTECでは青色LEDを想定しており、JAMSTECの澤 隆雄氏(現所属:研究プラットフォーム運用開発部門 技術開発部 海洋ロボティクス開発実装グループ主任研究員)率いる3年計画の公募プロジェクトはすでにスタートを切っていたが、西村たちの提案した半導体レーザーを用いた技術への切り替えが決まった。半導体レーザーの方がはるかに高出力で、水中での通信に用いる場合、出力の差はそのまま通信距離の差となるからだ。海洋研究のトップを走る組織だけに、その判断は早かった。

とはいえ、それまで磁気装置を開発していた西村にとって、光学装置を手掛けるのは初めてのこと。もちろん、通信デバイスの経験も無かった。また、BLUE IMPACTはレーザー溶接の技術であり通信機器用ではない。それでも西村には「やればできる」という確信があった。

「技術者は私ともう一人。それに社外技術者とJAMSTECの協力もあり全部で5~6人のチームでした。手が早い人が集まったのが幸運でしたね」

西村 直喜

少数精鋭のチームは約3か月で設計し、手直しを含めても半年で水中での実験まで辿り着く。驚異的なスピードで取り組んでいたが、海洋研究の第一人者たちと仕事ができることの高揚感がメンバーに満ちていた。

レーザーの通信距離を伸ばすためには受信側の感度が重要となる。そこで採用されたのが光電子増倍管。JAMSTECからの提案で採用が決まったもので、ニュートリノの観測で知られるカミオカンデにも設置されている、電子を増幅することで高い感度を実現する光センサーだった。

もっとも、非常に感度が高いため、レーザー以外の光が少しでも入ると検出限界を超えてしまう。日光だけでなく、水中ロボットのライトも取り除く必要があったが、青色以外をカットする光学フィルターを加えることで、高出力の半導体レーザーに高感度な素子を組み合わせた「水中高速通信」が実現した。

初めての実証実験。幅4メートル、長さ40メートル、深さ2メートル以上という特殊な水槽の確保に悩んだが、JAMSTECの施設で可能となった。
結果、水槽の中を青い光が伸び、通信は見事に成功。西村たちは安堵感に胸をなでおろした。もちろん、開発はそこで終わりではない。実際に水中ロボットを使い、水深800メートルで行われる検証が待っていた。1年後、駿河湾の海底で行われたこの検証も無事にクリア。

プロジェクトは、安全保障技術研究推進制度の第一期としては唯一の「S」評価を獲得。西村と堤、東條が横須賀に足を運んでから2年後のことだった。

「私たちが通信分野未経験のなか、澤先生をはじめJAMSTECさんが一緒に調べ、地道に支えて成功に導いてくださったおかげです。実現できたことに感謝しかありません。また、堤さんの研究者との強いつながり、チーム力、デバイス部との良好な関係なども大きかった。私一人ではここまでできませんでした」

偉業達成の感動を、西村はしみじみと振り返った。

プロジェクトメンバー
水中光無線通信装置の開発にあたった、航空機器事業部のプロジェクトメンバー。
写真前列右から、磁気装置部部長 西村直喜、磁気装置部技術G グループ長 山本幹造。 写真後列右から、航空機器営業部 名古屋支店 営業課主任 稲田雄樹、磁気装置部 技術G 副主任 瀬尾真之助、主任 小川雅水。

地球環境のために

だが、海中での実験成功はあくまで研究段階でのこと。西村たちには「技術は社会実装されてこそ世の中で役立つものになる」という強い信念があり、製品化に向けて大きく舵を切った。使い勝手を高めるためのモジュール化、導入コストを下げるといった、研究段階とは質の異なる課題が立ちはだかったが、前述のデバイス部の協力を得て、前進させていった。

2020年の2月、約10メートルの距離で95Mbps以上の通信速度を実現し、ハイビジョン動画のリアルタイム通信を可能にする水中光無線通信装置「MC100」を製品化。“水中光Wi-Fi”の誕生だ。同年6月には通信距離を約80メートルに伸ばした「MC500」を発売した。

MC100
水中光無線通信装置MC100/MC500で使われる半導体グリーンレーザーとブルーレーザー(写真はMC100)。
製品化後も“水中光Wi-Fi”と呼べる通信環境の構築で海洋開発への貢献を目指し、さらに研究開発を進めている。

「MC500」はモノづくりの発展や国際競争力強化に役立つ製品を選ぶ、日刊工業新聞社主催の「十大新製品賞」にも選定された。小さなチームが起こした波が、社内の他部署を動かし、社会にまで波及した成果といえる。

MC100
水中光無線通信装置 MC500

ワイヤレスの高速通信を実現したこれらの製品では、動画ですら、ほぼリアルタイムで伝送することができる。これまで用いられていた有線もしくは音波では水中で実現できなかったことだ。当然、海外からも熱い眼差しが寄せられた。シェブロンやシェルなど世界の大手エネルギー企業で構成される海洋技術開発のコンソーシアム「ディープスター」とも、海底油田やガス田などの設備保全に関わる水中ロボットの運用に、光学無線通信技術の活用について話が進んでいる。

「海底油田の設備は入り組んだジャングルジムのようになっているので、有線のロボットだと絡まってしまうのですが、無線通信だとその心配がなくなります。また、実用化に向けてフィードバックが得られるので、我々としてもメリットがあります」(堤)

堤は、主に新規事業立ち上げを担う部署であるスタートアップインキュベーションセンター(SIC)にも兼務在籍し、製品開発は磁気装置部、国内市場への売り込みは航空機器営業部、海外へはSICが力を入れている。

「CO2を海底に貯蔵するCCS事業でもニーズがあります」と、航空機器営業部の稲田雄樹は目を輝かせる。CCSは実証実験段階だが、カーボンニュートラルに向けて期待を集めている技術だ。

稲田 雄樹
航空機器営業部 名古屋支店 営業課主任 稲田雄樹

「海底にCO2を埋設する計画で、海底調査や実用化後にCO2が漏れていないかなどのメンテナンスに水中ロボットは不可欠。活用できる範囲の広い分野と考えています」

そして西村はいま、ジオサイエンスにも注目している。

「磁気センサーは、気象庁や火山の研究で地磁気を測ることにも使われます。地球の健康をモニタリングするというと、スケールが大きいかもしれませんが、水中での光高速通信が実現できたことは、センサーから得られる情報の通信インフラになると考えています。人類は海の底、土の中についてまだまだ表面しか見ることができていません。地球の健康のために、そうした研究に光を当てることにつなげたいのです」

先日、社内公募で人材を募った。しかし人材確保だけがねらいではない。
「ジオサイエンスは自分たちだけではできません。社外はもちろん、社内同士がつながることで自分たちでは成し得ないことを実現したい。そのためにいままでできなかった『何を目指し、何をやっているかを伝えること』を大事にしていきたいと公募しました」(西村)

一度この事業に関わると目を輝かせる人が多いと堤も語る。稲田もその一人だ。
「大きな可能性を持つこの技術を、どうやって社会実装していくのか考えるのがおもしろい。ベンチャー的な発想というか、新事業を立ち上げているおもしろさがあります」
西村自身も「自分たちで道をつくることが本当に楽しいです」と実感を込める。

冒頭、西村の提案を受け、ともに行動した堤は最後にこう語る。

「自分たちの技術を事業化して社会環境と会社に貢献したいという西村さんの強い想いとともに、これまでのやり方に捉われず粘り強く社内外のいろいろな人とのつながりを得ながら進めてきました。このテーマは先が見えないこと自体が本当におもしろい。次代を担う若手たちと事業化に向けてチャレンジし、一つひとつ実績を積むことで社会貢献と事業化につなげ拡大し、次代にバトンを渡したいです」

この小さなチームがつくり出した水中光高速通信技術は、これまで見えていなかった地球の深層だけでなく、社内外の多くの人たちにも光を当てようとしている。

インタビュー動画

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※所属・役職は取材当時のものです

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