食を科学的に解き明かし、「医食同源」を実現するテクノロジー

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食の成分には未解明の部分が多い。その謎をテクノロジーで解き明かし、食を通じて健康寿命の延伸を目指す研究者がいる。
いち地域から始まった研究はいま、国レベルの広がりを見せている。

経験と科学のはざまで

中国には古くから「食薬同源」という思想がある。「医食同源」と意味合いは同じだ。体によい食材を日常的に食べれば健康に過ごせる―。テレビやインターネットには食と健康に関する情報があふれ返り、人々の関心の高さがうかがえる。数千年の時を経ても、医食同源は生活の中にしっかりと根付いている。

しかし、たいていの食による健康効果は経験的に語られ、科学的なエビデンスに乏しい。それは、医療において食に関する治療や指導が限定的にとどまっている大きな要因にもなってきた。

その現状に着目した北海道情報大学の西平順学長は、市民参加型の「食の臨床試験システム」の構築に取り組んできた。地域や行政を巻き込んだ、大規模な「コホート研究」だ。食の機能性成分を明らかにすることで、薬品とは異なる側面から健康づくりにアプローチして、人々の健康寿命の延伸に貢献できると考え、長年力を注いできた。

「医と食は不可分。これは長年医師として臨床研究を重ねるなかで得た実感です。であれば、食だって医学と同じように、科学的に解明していくべきではないかと常々考えていました」と胸の内を明かす。

西平 順

糖尿病や肥満を研究対象としてきた西平学長にとって、食の影響は常に無視できない存在としてあり続けた。食の機能性成分の効果を理解するには、人間が体内の状態を一定に保とうとする「恒常性(ホメオスタシス)」がキーワードになるという。

医療機関を受診して病気と診断されると、適切な薬が処方されて治療が進められるが、何となく「体がだるい」「イライラする」「胃の調子が悪い」といった程度では、明確な原因がわからず治療の対象とならないことも多い。しかし、こうした心身の不調はそのまま放っておくと思わぬ病気につながることもある。「軽度不調」と呼ばれる状態だ。

要因は、質の悪い睡眠や自律神経の不調、腸内環境の乱れなどさまざまだ。

だが、適度な運動や質の良い睡眠、バランスの取れた食事を心掛け、さらに必要な機能性成分を持つ特定の食品を意識的に摂取することで恒常性が回復し、症状が大きく改善するのだという。

興味深い結果も明らかになりつつある。たとえば、乳酸菌の一種である「ガセリ菌」は腸内環境を整えて免疫活性化やストレス軽減といった効果をもたらすことがわかった。腸内環境に乱れのある人が積極的に摂取すれば、軽度不調を改善させる効果が期待できる。

このように、これまで経験的によく言われていたり、小規模な研究がされていたものでも、しっかりと大規模コホート研究で目に見えるデータとして提示されることで、揺るがぬ指針となり得るのだ。

「『こんなに効くなんて―』と驚くほどの結果が出たこともあります。高齢になるほど恒常性は不安定になりますから、人生100年といわれる時代に人々が健康に長生きをするためには、食の機能性成分を積極的に利用することが欠かせません。一日も早くこの結果を人々の食卓に届けたい」と応用研究への期待をのぞかせる。

国レベルへの広がり

研究に着手した2009年、同大学は江別市および食品加工研究センター(地方独立行政法人北海道立総合研究機構内)と三者協定を締結し、「江別モデル」として臨床試験システムの構築を推進。2012年、国から「北海道フード・コンプレックス国際戦略総合特区」の指定を受けたことで札幌市にも取り組みが広がるなどして研究は大きく前進した。

だが、順風満帆だったわけではない。

「最初はとくに苦労しました。ボランティアがなかなか集まらなくて頭を抱えたこともありました」

臨床試験には地域ボランティアの確保が欠かせない。しかし、こうした大規模な食の臨床試験は前例がないため、なかなか理解が得られなかったのだという。それでも研究の意義を根気強く説明、行政の協力も得て徐々に市民活動として拡大していった。

現在は1万3000人以上が登録している。その地域ボランティアは、腕時計タイプのウェアラブルデバイスから常時、活動量や睡眠データが寄せられるほか、血液検査や検便、ストレスチェックや食生活調査など多様な手法を通じて信頼性の高いデータが集められる。

西平 順
SIP事業の一環として整備された「ARONステーション」。地域ボランティアによる血圧・体脂肪やストレスを調査し臨床データの蓄積を行う。

こうした食の機能性成分の分析には、創薬の臨床研究のプロセスを応用している。タマネギの臨床研究で、ポリフェノールの一種である「ケルセチン」の機能を確かめた事例では、ケルセチンを多く含む種と、ほとんど含まない種を別の集団に食べてもらい、認知機能に差が出ないかを検証した。薬品で被験薬と偽薬(プラセボ薬)を別々のグループに投与して比較評価する二重盲検法があるが、それを応用したのだ。結果、ケルセチンが認知機能の維持や改善に役立つことを突き止めた。

西平学長らが、一地域からスタートさせたこれらの食の臨床研究システムは、2018年には、内閣府による「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第2期」で、「食を通じた健康システムの確立による健康寿命の延伸への貢献」として採択された。

さらに2022年には、これまでの研究で蓄積された知見を一般の消費者に届ける仕組みを整備するために、国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)と、分析機器を提供する島津製作所、商品化を担う大手食品メーカーなどとともに、一般社団法人セルフケアフード協議会を設立するなど、いまや国レベルに拡大している。

西平 順

健康は食を楽しんでこそ

国レベルに発展してもなお、西平学長の描くビジョンは大きく、現在地はまだ途上に過ぎない。今後も課題の一つとして、「食に含まれる成分の解析をさらに推し進める」と力を込める。

「薬品は特定の成分で構成されるのに対し、食には未解明の多様な成分が含まれます。たとえば、ケルセチンが認知機能に好影響を及ぼすのは、その働きをサポートする別の成分が含まれるおかげかもしれません。そうしたさまざまな成分を明らかにするためには分析機器の進化が欠かせず、それを担う島津製作所には大きな期待を寄せています」

農作物は、その生育過程において土壌や空気、水などの影響を受けるため、同じ品種でも地域によって成分が大きく異なる場合も少なくない。そのため西平学長は、土壌細菌の解析をはじめとした生産過程にも、研究範囲を広げつつあるのだという。

西平学長がこの研究に力を注ぐのには、北海道の食関連産業の振興に貢献したいという強い思いがある。

「北海道では多種多様な食材が生産されていますが、そのまま出荷をするだけでは付加価値は高まりません。疾病予防や健康維持につながる機能性成分を明らかにすることで、高付加価値が生まれ、新商品の開発にも結びつけることができたらと願っています」

西平 順

さらに今後は、食や健康、体調などに関する膨大なデータの蓄積をビッグデータとして活用し、食を通じた健康の実現に向けた新たな価値を創造したいと考えている。この分野に関しては、医療に関わるデータサイエンスを専門とする同大学の医療情報学科などが中心となり、精力的に取り組んでいく考えだ。

「美味しい食事を楽しむことが、何よりの健康法となる。そんな未来が現実になれば、人生の幸福感はもっと高まるでしょう。これまで以上に食を通して笑顔や健康を創り出したいですね」
未来社会の「医食同源」が、テクノロジーによって現実化されようとしている。

西平 順
北海道情報大学の健康情報科学研究センターでは、多様なIT技術を用いて情報を有機的に融合させた臨床試験システムを構築している。

※所属・役職は取材当時のものです。

西平 順 西平 順
北海道情報大学学長西平 順(にしひら じゅん)

医学博士。研究領域は、糖尿病、肥満、腸管免疫、臨床栄養。1979年、北海道大学医学部医学科を卒業し、同年、医師免許証を取得。その後、北海道大学医学部内科学第二講座医員、米国ノースカロライナ州ウェイクフォリスト大学ボウマングレイ医学部リサーチフェロー、北海道大学医学研究科分子医科学助教授などを経験。2006年に北海道情報大学教授となり、2021年より現職。

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