日々の健康管理も未来は身近な頼れる存在に
AIが導く健康・医療の未来

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AI(人工知能)技術の進歩は、健康・医療分野にも大きなインパクトを与えようとしている。
散在する健康関連データを収集解析する手法の開発と、その手法を武器に生命現象の解明に挑む研究者の横顔に迫る。

生命科学とAI

AIがめざましい進化を見せている。翻訳や同時通訳のツールからは、いまや、人間が翻訳したのかと目を疑うほどの言葉が編み出されてくる。数年前のおぼつかなさが嘘のようだ。足元では自然な文章や画像を生成するAIが多数登場し、互いに主導権争いを繰り広げている。

「ある意味、限界点を超えつつあるということでしょう」と感慨深げに言うのは、医薬基盤・健康・栄養研究所 AI健康・医薬研究センター 副センター長の荒木通啓氏。AIを創薬や健康へ活用する道筋を付けることを目指し、研究を重ねている。

荒木氏は若かりし頃、化学に興味を持ち、薬学の道に進んだ。学生時代、衝撃を受けたのが、ヒトゲノムプロジェクトの驚異的な進展だ。資本が大量に投入されたことで、当初の計画を5年前倒しして、2000年にはすべての塩基配列が明らかになったと発表された。

荒木 通啓

「もともと私は言語や文字など、情報を記号で表すということにも興味を持っていたのですが、ゲノムプロジェクトで、生命の設計図でさえも記号で表せるということが、現実味を帯びてきた。また、ゲノムプロジェクトなどは体内の反応をトータルで見ていこうとします。化学が一つひとつの化合物にフォーカスするのとは好対照で、これはおもしろいことになりそうだなと思ったのを覚えています」

21世紀に入り、分析機器の飛躍的な進展によって、生命科学の領域では新しい知見が着々と増えていった。ゲノム、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボロームと研究の対象はどんどん拡大し、体内のネットワークは徐々に明らかになっていった。一方、インターネットの普及で、それら知見の「流通量」は圧倒的に増えた。情報科学や統計学を用いて生命現象を解き明かしていく「バイオインフォマティクス」は、黄金期を迎えたと言っていいだろう。

2003年、アメリカ留学から帰国し、本格的に研究者としての道を歩み始めた荒木氏は、バイオインフォマティクスの大家、金久實 東京大学医科学研究所教授(当時)の門をたたいた。そこでは世界中の論文をつなぎ合わせて、新たな知識を取り出すデータマイニング(情報発掘)のシステム構築に携わった。一見無関係そうな論文をつなぎ合わせることで、著者も気が付いていない知恵が生まれるかもしれない。荒木氏にとって心を揺さぶられるテーマだった。

以後も、荒木氏は、データ解析手法の開発や、それにより得られた知識を整理していくことに力を注ぎ、未知の代謝経路の発見、薬品のタンパク質に及ぼす作用などを明らかにしてきた。この分野におけるAIを育てると同時に、そのAIを片腕として研究を続けていると言えるだろう。

AIの限界点突破

冒頭で氏が語った「限界点」とはどういうことか。
AIの歴史は意外に長く、1950年には研究が始まっている。しかし、コンピューター技術の限界から、迷路の解き方や定理の証明などがせいぜいで、さまざまな要因が絡み合っている現実社会の課題を解くことはできなかった。

1980年代には、「知識」を与えることで、人工知能が実用可能な水準に達し、各分野で「専門家」のように振る舞うことが可能になったが、当時は技術者が「知識」を手打ちで入力する必要があったため、人的資源と計算資源の限界が、AIの限界をつくっていた。

2000年代、「機械学習」「ディープラーニング」が華々しく登場。インターネットの普及を背景に、サイバー空間に膨大に散らばっているデータをAIが自ら獲得。さらに、知識を定義する要素をAI自身で習得することで、急激な進歩を見せ始めた。

1997年にはチェスでAIが勝利。将棋は2015年に。さらにもう10年はかかると言われていた囲碁でも2016年にはAIが人間に完勝。衝撃を持って伝えられた。
「ルールが明確で、棋譜データなどが大量にある。そうすれば、AIは自分で成長できるようになって、指数関数的に性能が向上するんです」

翻訳や通訳も大量のデータがインターネット上にあふれたことで、AIが答えを見つけやすくなった。それが“限界突破”につながっていくのだという。

データ収集の日常化が鍵

荒木 通啓

その荒木氏の目に、健康・栄養分野におけるAI化は、どう映っているのだろうか。
「期待は非常に大きいです。将来、日々の健康管理はもちろん、病気の診断、創薬でも、AIが活躍する場面は大きくなるでしょう」

たとえば、コンピュータの中に再現したモデル生物から、ターゲットとなる代謝経路を見つけ、網羅的に薬品の分子影響を調べて、創薬につなげるといったことも可能になるかもしれない、と荒木氏は語る。

「一つの望む作用を起こすまでには、10も20も代謝過程があって、それを一つひとつ、個別にやっていくとなると、十次元、二十次元のデータ解析が必要になります。人間が理解するのは到底無理ですが、AIなら、そんな複雑なデータでも、人間が理解できる二次元、三次元のデータに落とし込んでくれる。今後個別化医療の流れが早まっていくなかで、AIの活躍の場はどんどん広がっていくでしょう」

もっと身近なところでは、AIが日々の体調データをチェックして、「今日はピーマンを食べたほうがいいですよ」といった提案をしてくれたり、病気で来院した人の症状と遺伝子を個別にチェックして、統計的なデータから瞬時に「この薬を飲めばよいですよ」と提案し、診断をサポートしてくれるような未来も見えてくる。そうなれば、人類の健康への願いは、実現に向けて大きく進むだろう。

だが、そこまでの道のりは長い。
「なにしろ、翻訳や画像に比べて圧倒的に元となるデータが少ないんです。それぞれの分野で研究開発は進んでいますが、信頼に足るデータを集める仕組みがないと」

パソコンで文章を作成することや、スマートフォンで写真を撮ることが人類の日常になったことで、インターネット上にデータが氾濫し、翻訳や文章作成、画像作成のAIは限界点を超えつつある。同じような「日常化」を、健康や栄養関連で実現することができるのか。

「同僚たちと冗談混じりにですが、街をまるごと健康特区にして、ライフログや便や尿を日常的に採取して、データを収集できる仕組みを構築できたら、なんて話しています。その場合、特区ができても、採取したサンプルをデータ化するには、いくつものイノベーションが必要です。その意味で分析機器メーカーに期待するところは大きいですね」

いずれ健康・医療のAIが限界点を超える日は来るだろう。その日は生命の仕組みが解明された日として、語り継がれることになるかもしれない。

※所属・役職は取材当時のものです。

荒木 通啓 荒木 通啓
国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所
AI健康・医薬研究センター 副センター長 統括研究員
荒木 通啓(あらき みちひろ)

2001年、京都大学大学院薬学研究科博士課程後期過程修了。ボストン大学生物医工学部に留学後、2003年東京大学医科学研究所助教、2008年京都大学大学院薬学研究科特定准教授、2013年神戸大学大学院科学技術イノベーション研究科特命准教授、2017年京都大学大学院医学研究科特定教授を経て、2020年から現職。専門は、ゲノム情報科学、システムゲノム科学。

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