京都で生まれ育った俳優の佐々木蔵之介さん。
地元への思いを伺いつつ、俳優としての矜持に迫る。
幼少期が蘇る冬の京都
2024年の12月半ばまで、映画の撮影で京都に1か月間ほど滞在していました。撮影での京都滞在は2~3年ぶりでしょうか。カツラ合わせしていた11月頃はシャツ一枚で過ごせる温かな日もあり、「冬の京都はこんなもんやないやろう」と思っていましたが、撮影が本格化すると一気に京都らしい底冷えのする寒さが押し寄せてきました。
冬の京都は一番好きです。撮影所に向かう道すがら、凛とした空気に包まれた鴨川や、うっすらと雪が積もった比叡山が目に飛び込んできて、小さい頃から見慣れた風景に懐かしさがこみ上げてきました。京都を離れてかれこれ25年ほどになりましたが、将来、もう一度京都で暮らすのもいいかなという郷愁に浸っていました。
そのときに撮影していたのは、映画『幕末ヒポクラテスたち』(2026年公開予定)でした。時代劇だけに太秦にある東映の京都撮影所が仕事場です。ここは、僕にとってはとても思い出深い場所で、転機の一つとなったNHKの連続テレビ小説『オードリー』は、まさにこの撮影所が舞台の群像劇でした。2024年に再放送されたので、当時を思い起こす機会もよくありました。
平安時代の京都が舞台の大河ドラマ『光る君へ』で紫式部の夫である藤原宣孝役を演じたのも同年のこと。2024年は生まれ育った京都に縁のある感慨深い一年でした。
大河ドラマといえば、数年前には『麒麟がくる』で秀吉役を演じました。僕の実家は京都市内にある造り酒屋で、秀吉が構えた邸宅「聚楽第(じゅらくだい)」の跡地に蔵を構えています。京都にかかわる仕事は大切にしたいとの思いは以前から強かったのですが、秀吉役を頂いたときは、京都との縁を改めて認識したものです。
京都の冬といえば、子どもの頃の実家の情景が蘇ってきます。造り酒屋にとって真冬は仕込みの季節。毎朝5時頃にボイラーに火がつけられると、家がグーンと動くような揺れで目が覚めます。そこから酒米を炊くのですが、そのまま起きないでいると、二段ベッドの上段は蒸した米の蒸気で真っ白に包まれてしまいます。学校から帰って家の近くまで来ると、ほのかにお酒の香りが漂ってきました。忙しい日は瓶洗いなどの手伝いをする。そんな幼少期を過ごしていました。
実家の跡継ぎから俳優の道へ
僕は男三兄弟の次男として生を受けました。早い段階で長男は別の道にいくと言っていたので、父親は内心僕が跡を継ぐことを期待していたかもしれませんが、子どもたちの可能性を狭めたくなかったのでしょう。跡継ぎに関しては一切、何も言われませんでした。ただ、高校で文系か理系かを選択するとき、母から「『家を継ぐ』という選択肢もあるよ」と言われて、そういう道もあるかなと理系に進み農学部に進学を決めました。何も言わなかった父も喜んでくれたので、継いでみたいとの気持ちも強まりました。

大学の卒論に選んだテーマは、山田錦などの酒米の起源。遠心分離器などにかけて酒米を調べるといったことをしてはいましたが、授業はほどほどにして、その分、演劇研究会の部室に顔を出すという学生生活を送っていました。
演劇を始めたのは、人前で話す練習をするのが目的でした。私の父も話すのが苦手だったそうで、克服しようと大学時代は弁論部に入っていたそうです。僕には弁論部はハードルが高く感じられたので、演劇ならばなんとかなるのではと入部してみました。小さな劇団でしたから、公演に向けてやるべきことが山ほどあり、俳優はもちろん、音響や照明、小道具、大道具などの仕事もこなさなくてはなりませんでした。“やらなしゃあない”状態だったから、必然的に演劇に没頭するようになっていきました。
とはいえ、俳優で食べていくつもりは全くありませんでした。卒業後、広告代理店に就職したのも、実家の商品を売る方法を学ぶのが目的でした。
劇団からは離れるつもりだったのですが、勤務地が大阪で、稽古場があった神戸にも通えるからと続けていくことにしました。勤務後、遅い時間から稽古場に向かい、読み合わせをする日もありました。
結局、東京の劇団の公演に誘われたのをきっかけに俳優業に専念することにしました。といっても、俳優として大きな展望があったわけではなく、それまで続けてきた俳優としての経歴を「何となくまだ終わらせたくはなかった」というのが正直な理由です。当時は家業を継ぐのを諦めて弟に託したわけですから、家族からは納得はしていないという感情は伝わってきましたが、今では応援してもらえるようになったのでありがたい限りです。
こうして振り返ってみると、俳優になるまで遠回りをしたように思えますが、僕自身は全くそうは思っていません。実際、広告代理店時代は2年半の会社勤めをしていましたが、暑い夏場にネクタイを締めてスーツを着る大変さを実感しました。今日の取材や撮影でも『ぶーめらん』編集部の皆さんの動き方がよくわかりますよ。そもそも京都で生まれ育った自分が、京都に縁のある役をもらったりもしているので、何がどうつながるかはわからない、という感覚を強く持っています。
客観的な意見を大切にする
俳優として、これまでにサラリーマンや医師、刑事、戦国武将など、さまざまな役を演じてきました。多彩なベクトルの役柄に携わりたい性分ですので、頂いたオファーを一つひとつ面白がって演じた結果、役柄の幅が少しずつ広がっていったのかもしれません。全ての登場人物が異なる個性を持っており、そのなかには難解な役柄も少なからず含まれています。本当は役づくりであまり苦労はしたくないのですが(笑)。それでもなお、解決策を考えていくことが、俳優として今日までやってこられたエネルギーとなっているのかもしれません。

「人前で話せるようになる」という、苦手を克服しようとしたことがきっかけで俳優となったのですから、今なお演技に自信を持っているわけではありません。多様な人格を演じることで、どこか自信のない自分から逃げている部分があることを自覚しています。だからこそ、演じている間だけは、その役に関して一番の理解者でありたい。極悪人と呼ばれるキャラクターを演じるとして、彼が犯した倫理的な問題点は認識しつつも、悪い彼なりの正義はどこにあるのかを深く考え、与えられた役に対しての僕なりの回答を出すことを心掛けています。その結果、例えば、曲者で特殊な役でも「佐々木にオファーしたら面白いモノが出てくる」と思ってもらえれば幸いです。
もっとも、自分でわかる物事などはほんの少ししかありません。客観的な視点が非常に大切ですから、演出家をはじめとする周囲の意見にしっかりと耳を傾けることを意識しています。ときには自分の考えとは異なるベクトルを提示されるケースもあります。最終的には当初僕の考えた通りの役柄になったとしても、一旦異なるベクトルを考えた後では、より厚みある役づくりにつながるはずです。この年になってくると若い演出家にとってはモノを言いにくくなりがちです。何も言ってくれなかったら困るのは僕自身なので、間口を広くして意見を言ってもらいやすい関係性を築こうとしているつもりです。
旅と役づくり
役づくりをする上での準備は作品ごとに変わりますね。『マイホームヒーロー』で主演したときは、圧倒的に面白い原作漫画を、制限のかかる映像でいかに魅力的に伝えられるか、皆で試行錯誤を繰り返しました。また、秀吉などの歴史上の偉人の場合、物語の舞台になった場所を訪問して、その地の空気を吸い、料理に舌鼓を打ち、お酒を飲むと、おのずと見えてくるものがあります(笑)。

以前、シェイクスピアの『マクベス』を一人芝居で演じることになったとき、台詞を全く覚えられずに苦しみました。そこで作品のモデルとなったスコットランドを訪れました。ダンカン王が殺されたとされる寝室、マクベス夫人が手に付いた血を洗ったとされる井戸を自分の目で見たことで、情景が自然とイメージできるようになり、覚えられなかった台詞がすんなりと頭のなかに入ってきました。実際に見るという経験は非常に大事で、いまも大切にしているところです。
旅は僕の数少ない趣味の一つです。好きが高じて、2023年10月に初めてつくったファンサイトも『TRANSIT(トランジット)』と名付けました。旅にかかわる名を付けたからか、旅の仕事が少しずつ増えてきており、直近ではイタリアや北極圏にも出掛けました。
旅に出るというのは、日常を漫然と過ごしてしまう自分がいるからにほかなりません。「今日は何も建設的なことをしなかった」という日をなくすために、できるだけ外に出ていこうと、変わらない自分を変えるように仕向けている面もあります。一つの役だけにとらわれないというのもそう。これからも多くの役を演じることで、自分自身を磨いていきたいですね。
※所属・役職は取材当時のものです。


- 佐々木 蔵之介(ささき くらのすけ)
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1968年、京都府生まれ。神戸大学農学部在学中に演劇を始め、劇団「惑星ピスタチオ」の旗揚げに参加。卒業後は広告代理店に勤務しながら劇団活動を続ける。退団後上京し、以後は舞台、映画、テレビなどで幅広い作品に出演する。主演作には『間宮兄弟』『超高速!参勤交代』が、最近の作品には、大河ドラマ『光る君へ』、『マイホームヒーロー』」などがある。複雑な背景を持つ難解なキャラクターであっても、自在に演じ切るその高度な表現力で、見る者を魅了し続けている。
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