研究者と研究者が出会って新たなひらめきが生まれる。
九州大学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所は、世界のどこよりもひらめきが求められている場所かもしれない。
画期的な開発を生む土壌となった、研究所の仕掛けとは?
待ったなしの脱炭素化
吹き抜けの階段を通して、上階から下階を歩く研究者に声を掛ける。気が向けば腰を下ろして議論のできるスペースが随所にある。
「オープンマインドであること、オープンネットワークであること。この研究所の創設時から私たちがもっとも大事にしてきたことです。隣の研究室が何をやっているのか知らないなんてことは、ここではありません」
と笑みをこぼすのは九州大学カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所所長の石原達己教授。2010年の創設以来、脱炭素社会の実現に向けて、水素エネルギーの利用と二酸化炭素の回収・貯蔵に関する社会課題の解決に取り組んでいる。
いまやカーボンニュートラル社会の実現は、待ったなしの状況にある。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の予測によれば、温室効果ガスの排出量が大幅に減らない限り、21世紀中に地球の平均気温は1.5から2.0度上昇。最悪のシナリオでは、今世紀末までに産業革命による工業化前と比べて、5.7度上昇するという。
与える影響は深刻だ。豪雨による洪水や海面上昇による島嶼や都市の水没、生態系の喪失、インフラの機能停止、食料不足、水不足も予想され、その兆候はすでに世界各地で報告されている。過去20年間における大気中の二酸化炭素濃度の増加のうち、4分の3以上は化石燃料の燃焼によるものだ。人類がより多くのエネルギーを求めた結果、地球は危機的状況に陥った。
「一人当たりのエネルギー使用量が多い国ほど平均寿命が長い傾向にありますから、誰もが当然のようにエネルギーを求める。しかし、化石燃料への依存が続けば、人類はおろか地球の寿命を縮めることにもなりかねません。全世界の英知を集めて、カーボンニュートラル・エネルギーへのシフトを急がなければなりません」
太陽光をはじめとする再生可能エネルギーから、電気や水素を作ったり、空気中の二酸化炭素から炭化水素、すなわち代替石油を作る技術の確立がカーボンニュートラル社会の実現には不可欠だ。
オープンであることの意義
もっとも、これらの技術はどれ一つとして一人の研究者の力で実現できるものではない。有機化学、無機化学、材料工学、電気工学、機械工学。鍵を握るのは、ありとあらゆる分野の研究者の垣根を越えた連携だ。だからこそ、同研究所は、オープンであることにこだわってきた。
同研究所の特徴をよく表している活動の一つが、月2回程度、行っているセミナーだ。所属する研究者が、交代で自身の研究内容を発表する。ときには海外からのゲストも登壇する。
「よその施設から来られた方が初めて登壇するとき、ここであれっ?という顔をされるんです。いつもの学会の調子でやると、参加者の反応がすごく薄い。で、次の人のレビューを聞いて、なるほどと納得する。参加者のほとんどは他の分野の人ですから、誰にでもわかる言葉で話すことが、ここでは大切なんです」
当惑気味だった発表者も2回目の登壇にはスライドを修正し、「外」へ向けたプレゼンテーションをするようになるという。
バイオと無機のハイブリッド触媒
こうした取り組みがもたらしたひらめきから画期的な研究成果につながった例も少なくない。
その一つが、2023年秋に発表されたアンモニアと水素を同時に合成するバイオ光触媒だ。現在、アンモニアなど窒素化合物の基本的製法であるハーバー・ボッシュ法は、鉄を主体とする触媒と400度程度の高温と200気圧以上の高圧を必要とし、合成時に多量の二酸化炭素を排出する。すでに開発されて1世紀以上経つが、いまだにこれに勝る製法は現れていない。無機触媒の研究者でもある石原教授は、アンモニアを効率的に合成できる触媒を探してきたが、これといった手を見出せないでいた。そんななか、バイオ系の研究者が同研究所にやってきたことで、新たな研究が始まった。
植物の根などに付く根粒菌は、大気中の窒素をアンモニアに変換して、植物にその生育に欠かせない窒素を供給していることはよく知られている。これはニトロゲナーゼという酵素の働きによるもので、常温常圧でできるものの、ハーバー・ボッシュ法に比べてはるかに反応速度が遅く、またニトロゲナーゼの不安定性から、長時間反応を行うことができないことなどが課題だった。
石原教授らは、無機触媒を用いることで、このニトロゲナーゼの反応を高速化できないか検討。実験を重ねて、無機光触媒で発生した電子をバクテリアの細胞内のニトロゲナーゼに直接伝達し、通常の生体内で代謝として行われる反応に比べ、実に82倍もの高速で反応させることに成功したのだ。現在もアンモニアと水素のさらなる生成速度の向上に向けた研究が続けられている。
「いわばバイオと無機触媒のハイブリッド。太陽と水と空気があればエネルギーが生産できる。近い将来、太陽光発電パネルのように、水素とアンモニアを生成するバイオパネルが各地で見られるようになるかもしれません」と期待をにじませる。
教授は少年時代、オイルショックによる混乱を目の当たりにした。誰もが我先にとトイレットペーパーやガソリンを求める姿は、まさに狂乱だった。それをきっかけにエネルギーの安定供給に貢献できる研究者になろうと心に決め、代替石油や燃料電池など、その時代の最先端のエネルギー製造分野の研究に携わってきた。カーボンニュートラル社会の実現は、教授の悲願でもある。その鍵であり、自身の専門分野でもある触媒の研究を称して、「宝探し」だと教授は言う。
「新しい化合物を作って試していくと、思いもよらない反応が起こる。それが本当に楽しくて、ここまで続けてきました」と笑う。
その石原教授自身が、カーボンニュートラル社会の実現に向けた触媒となって、研究者同士の化学反応の連鎖を引き起こしている。
※所属・役職は取材時のものです。
- 九州大学 カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所
所長・教授石原 達己(いしはら たつみ) -
1986年九州大学大学院総合理工学研究科修士課程修了。大分大学工学部助教授、九州大学工学研究院教授を経て、2013年より現所属。無機機能性材料の開発、環境、エネルギー関係の触媒材料開発、低温作動固体酸化物形燃料電池の開発、新規センサ材料の研究を通して脱炭素社会実現に向けて力を注いでいる。
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