腸内に約100兆個生息し、心身の健康に深く関わっている腸内細菌。
腸内細菌にとってよりよい腸内環境をつくる「腸活」がブームとなって久しいが、まだまだ解明されていないことがあるという。
未知の世界に挑みつつ、腸内環境改善法の普及にも尽力する研究者の姿に迫る。
進化する腸活
肥満の抑制に効果がある腸内細菌、通称「痩せ菌」。複数の種類があるが、人種によって腸に棲みつきやすい菌が異なることは、あまり知られていないかもしれない。
2021年、ヨーロッパ人の腸内に多く生息する「アッカーマンシア菌」が「肥満をコントロールする食用菌」として欧州食品安全機関(EFSA)に承認され、製品化が進んでいる。日本でもアッカーマンシア菌に熱視線が注がれたが、肥満が少ないといわれる日本人の腸内には意外にもあまりいない菌であることがわかった。
では、日本人には痩せ菌がいないのか―。その疑問に答える研究が2022年8月に発表された。日本人を対象にした研究から、肥満を予防・改善する可能性がある菌として「ブラウティア ウェクセレラエ種(ブラウティア菌)」が見つかったのだ。
この研究を率いたのが、国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所において、ヘルス・メディカル微生物研究センター長を兼任する國澤純副所長。國澤氏は、日本全国をめぐって約1万2000人の腸内細菌を収集し、分析を続けている。そのなかから、ブラウティア菌の働きを見出すことに成功した。
もっとも、ブラウディア菌がおなかにいさえすれば、痩せるというものではない。
「腸内には約1000種類の腸内細菌がいて、複数の菌が協力して働き、人間の体にとって有用な物質を生み出しています。そのため、いろいろな種類の菌がいることが重要、つまり、腸内細菌にもダイバーシティが大切なんです」
と笑みをこぼす。
腸内細菌の協力関係は複雑だ。だが、その相関図の上にかかる靄は、次第に晴れ始めている。國澤氏の研究室では、菌をランダムに組み合わせたカプセルを何百種類もつくり、それぞれのカプセルの中で生成された物質をまるごと解析する仕組みを構築中。島津の装置もその分析に一役買っている。
「一つひとつ解明し積み上げていけば、腸内環境が私たちの健康にどのような影響を及ぼしているかが見えてくる。同じ食品を摂取しても効果が違うなど、いわゆる体質の違いや個人差といわれていることも解き明かせる可能性があります」
バックボーンの多様性を活かして
いまや腸内環境研究の第一人者として知られている國澤氏だが、その研究人生は「ふらふらしてきた」という。
「学生時代はLNP(リキッドナノパーティクル)という脂質のカプセルを使ってワクチンを体内の目的地までどう運ぶか、というドラッグデリバリーシステム(DDS)の研究に携わり、脂質の組成を変えるとワクチンの効果も変わることを突き止めました」
アメリカ留学時は、運ばれたワクチンを免疫細胞がどのように処理するかを研究。帰国後、東京大学医科学研究所に教員として籍を得てからは、腸や呼吸器の免疫、食べ物、とくに食用油の種類とアレルギーとの関係や、食中毒について研究を進めた。
2013年に医薬基盤研究所(当時)に着任したことで、再びワクチンのデリバリーシステムや、ワクチンと一緒に打つことでその効き目を高める「アジュバント」の研究に従事。さらに、2015年に国立健康・栄養研究所と統合されたことをきっかけに、ヒトの腸内環境へと研究のフィールドを広げ、いまに至っている。
「正直、それぞれの研究テーマは、自分で選んだというよりも、そのときの環境要因で決まったという感じなのですが、結果的によい方向になりました。例えば、LNPの脂質の違いによってワクチン効果が変わることを見出した経験があったから、食用油の種類と免疫機能に着目できましたし、食中毒の菌の研究技術は腸内細菌へ転用できた。いろいろとやってみて得られた知見が自分の中でうまく融合し、次の研究へと展開できていると思います」
研究を社会に役立てる
さらにいえば、研究者の道を選んだのも計画通りというわけではない。高校時代、将来は商社マンになりたいと考えていたという。理系を選びはしたが、その知見を活かして、専門性の高い商社マンになろうと学部生の途中までは考えていた。ところが、研究室に所属すると、研究の面白さに取り憑かれ、結果的に研究者になっていたという。
だが、生来の気質を消し去ることはできない。氏の口からは研究成果をもとにしたビジネスプランが次々と飛び出してくる。
「便検査をもっと手軽にしたいと、ずっと考えており、できれば、1時間で結果がわかる検査キットを開発したいと思っています。それもワンコインで。ショッピングセンターで検体を提出したら、買い物をしている間にスマートフォンに結果が届いて、『ビフィズス菌が足りないから、ヨーグルトを買おう』といった行動につなげられるといいなと」
現時点では、さすがに1時間、ワンコインは難しそうだが、手軽な検査キットを早ければ今年中にリリースできそうだという。研究だけでなく商品化を目前に控え、社会実装へと活動の領域を広げている。
「せっかくの研究成果なので、多くの人の生活に役立てたい。そのためには手ごろな価格にしないと、といった感覚を持ちつつ、一緒に研究を進める企業や研究者仲間と話をしていると、次第に耳を傾けてくれる人が増えて、アイデアが具現化していく感じです」
國澤氏は、研究職を天職という。
「天職は、英語では『呼びかけ』という語源をもつ『Calling』。私は周りからやってみないか、という呼びかけに応じる形でいろいろな研究に携わってきました。それが現在の研究者という天職につながっています。これからも、周りからの『Calling』に従って、面白そうだと思う方向へ動いていきたい。だから2年後、自分でも何をしているかわかりません。でも、それが楽しみでもあるんです」
呼びかけに従って、自身のなかに多様性をつくってきた。その相互作用は、次にどんなひらめきを生み出すだろうか。
※所属・役職は取材当時のものです。
- 国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所
医薬基盤研究所 副所長
ヘルス・メディカル微生物研究センター センター長(兼任)國澤 純(くにさわ じゅん) -
1996年、大阪大学薬学部卒業。2001年、薬学博士。米国カリフォルニア大学バークレー校、東京大学医科学研究所准教授を経て、2013年より現所属プロジェクトリーダー。2019年より同センター長。2024年より同副所長。東京大学、神戸大学、大阪大学、広島大学、早稲田大学にて客員教授などを兼任。著書に『9000人を調べて分かった 腸のすごい世界』(日経BP)などがある。
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