専門家でなくても簡単にPCR検査ができるようにならないか。
コロナ禍の不安を和らげ、だれもが前を向いて歩き出せるように、島津製作所だからこそやらなければいけないと、立ち上がり奮闘した7か月の記録。
PCR検査が増えない
「これ、なんとかならんか」
「すぐやってくれ、ほかの仕事を止めてかまわん」
2020年5月、島津製作所分析計測事業部ライフサイエンス事業統括部バイオ・臨床ビジネスユニット長の山本林太郎は、分析計測事業部長から突然呼び出された。新型コロナウイルス感染症COVID-19によるパンデミックの問題を一気に解決するPCR検査装置を開発してくれという。島津はこれまでOEM製品として市場に供給したことはあったが、PCR検査装置を開発したことはない。山本は一瞬逡巡したが、力強くうなずいた。
「わかりました。すぐかかります」
その頃世間では、新型コロナウイルスの感染拡大により言い知れぬ不安が広がっていた。緊急事態宣言が全国に拡大。だれが感染しているかわからない。自分が感染しているかもしれない。どうしたら防げるのかもわからない。不明なことが多すぎて、国や自治体も進むべき先を定められないでいた。
状況を打開するには、信頼性の高い検査を拡充させる必要があったが、検査ができる機関は限られ、増やしたくても増やせない状況にあった。
PCR検査とは、ウイルスの遺伝子を専用の薬液を用いて増幅させて検出する検査方法だ。インフルエンザの検査で目にすることの多い抗原検査に比べ、より少ないウイルス量で検出でき、発症する数日前でも検出が可能とされる。
新型コロナウイルスは潜伏期間が非常に長く、その間も感染源となる恐れがあったが、濃厚接触者を特定してPCR検査を行えば、感染拡大を防げると考えられた。
だが、PCR検査は抗原検査ほど簡単にはできない。抗原検査はクリニックで採取したサンプルをその場で試薬に浸して15分もあれば結果がわかる。採取以外は特別なスキルは必要ない。
一方、PCR検査は、検査装置に検体をセットする前に、咽頭からぬぐいとった粘液あるいは唾液と数種類の反応試薬を適量混ぜ合わせる必要がある。
こうなると、検査に精通した技師が不可欠で、たとえ装置が増えたとしても、スキルを持つ人も増えなければ、検査の数は増えないのだ。
異例づくしのスピード開発
新型コロナウイルスの感染拡大が懸念されていた2020年2月。島津は、検査装置よりも先に、新型コロナウイルス検出用の前処理試薬の開発に着手していた。
元となる技術は1997年に開発されたPCR検査試薬Ampdirect™で、生体試料の中のたんぱく質や多糖類など、反応を阻害する不純物の作用を抑制できる工夫を施し、煩雑な前処理を飛ばしてノロウイルスなどの検出が行えると大いに歓迎された。
2020年4月、島津は開発期間わずか2か月で新型コロナウイルス用を開発し発売にこぎつけると、凄まじい反響が寄せられた。
その後、唾液でも検査でき、検体採取時の感染リスクが下げられることが知られると、医療機関などからも「うちでもできないか」という問い合わせが寄せられ、スタッフは、リモート環境で使用方法を指導するなど、異例づくしの対応に追われた。(ぶーめらん44号参照)
だが、課題は残っていた。試薬による検査時間の短縮には貢献できたが、新型コロナウイルスのPCR検査ニーズにこれまで以上に対応するためには、検体採取の機会を増やすだけでなく、検体検査数も同時に増やさなくてはならない。
だが、PCR検査は、たとえば装置にかける前に、検体を入れた容器のふたを開け別容器に移す前処理など細かい工程がある。感染対策の面でも専門的な知識とスキルが必要なために検査会社などに委託するケースがほとんどで、大病院にかぎらず町のクリニックなどの医師や看護師でも扱える検査装置への要望が高まっていた。
これまでの装置でも、検査スタッフの負担軽減に配慮し自動化はかなり進んでいたが、検体を試薬と合わせて反応容器に移すという重要な部分は手作業で行う必要があった。
「そこも含めて全自動でできないかというのが事業部長の要望でした。ビジネスユニットを預かる立場として、たとえ事業部長からの企画であってもリソースや収益性などから、内容によっては対応が難しいと判断しなければならない状況もたびたびありました。
でも、今回の案件は、いま挑戦しなければ!という強い信念と、我々が持っている技術でできる、やるべきじゃないかとも思いました。新規感染者数が減っていたときでしたが、いずれまた増えるのは間違いない。そのときのために我々にできることをという思いがチーム全体にありました」(スペクトロビジネスユニット長 中川利久)
事業部長の指示後、プロジェクトはロケットのようにスタートした。通常であればプロジェクトの着手から仕様書がまとまるまで最低でも1か月かかるところだが、次の日には関係するメンバーが集まり、測定の流れを確認し、こういうものをつくろうという仕様がまとまった。メンバーの士気は極めて高かった。
開発体制も異例だった。山本が率いる新型コロナウイルス検出試薬を開発したバイオ・臨床ビジネスユニットと、中川が率いる光技術を用いた分析装置を担当するスペクトロビジネスユニット、設計や評価などを行う技術部が合流。お互いの強みを生かし、最速での開発を目指した。
「生産や品質保証部門も含めると7部署にまたがりました。これだけ集まると、通常なら揉め事が起こりそうなところですが、7人のマネージャーの決断が非常に早く、協調できた。なかなかできない経験でした」とバイオ臨床ビジネスユニットマネージャーの花房信博は振り返る。
その協力体制が早速試される出来事があった。
6月下旬、試作1号機が完成、開発は、バグを取り除き、設計の検証を行う段階に進んだ。順調に進んでいると思っていた7月上旬、悪いニュースが飛び込んできた。
感染拡大によってアメリカでの検査数が激増したため、数種類の調達部品の納期が4か月後になるというのだ。9月には発売したかったが、それにはとても間に合わないどころか、いつになったら世に送り出せるかも不透明になってしまった。そこで開発チームは工場に相談した。
「工場長は、そういうことならと『なんとしてでも最優先で10月~12月に部品を入手できるように手配しよう』といってくれた。本来はとても困難な状況です。全員がこの装置を一日でも早く世に送り出したいと考えて、持てる知恵を駆使してくれた。ありがたかったですね」(スペクトロビジネスユニットグループ長 福田久人)
いつも笑顔を絶やさずに
8月末、さらに試作機2台が完成し、クリニックの医師2名を招いて評価会を行った。
「『すばらしい、すぐ欲しい』と目を輝かせてくださいました。医療現場の方だからこそわかる、操作を間違えないようにマーク等の工夫が欲しいなどのご指摘もいただき、完成に向けてますます気持ちが高まっていきました」(花房)
中川は開発室の様子をこう証言する。
「実は現場には、いつも笑顔がありました。内外からのプレッシャーは相当きつくて、帰るのが遅くなる日が続き、しんどかったのですが、そんなときこそ笑おうと、なんだか合言葉のようになっていて。若手もベテランも笑顔で前向きに頑張ってくれた。本当にいい雰囲気ができあがっていましたね。時には小休憩にアイスをみんなで食べて、笑顔になったこともありました」
かくして装置は完成した。供給体制にも目処がつき、11月27日、全自動PCR検査装置がいよいよリリースされた。採取した検体を装置にセットするだけの全自動検査が可能になったことで、検査作業の煩雑さを解消しただけでなく、検査時に検体に触れる回数を減らすことができる。
さらに検査結果も最速90分で出せる。これまで外部の検査機関に頼らざるをえなかったクリニックや中規模な医療機関にとって、そして何より検査を待つ長い時間、不安を覚えたまま過ごさなければならなかったすべての人たちにとって福音となるものだった。
予想通り大きな反響が寄せられ、営業部隊は特設チームをつくって問い合わせに対応。装置は次々と全国の医療機関等に納入されていった。なかには医療機関に頼らず自前で社員と関係者の安全を確保したいと社内診察室に導入した企業もある。
「診察室で唾液を取って、その場で容器をセットするだけで検査できるほど、これまでにない簡便さをこの装置で実現できました。今回は開発スピードを優先させるために仕様を絞り込みましたが、ネットワークに接続して陰性証明の発行をオンライン化できるようにするなど、まだまだアイデアはあります」と花房は胸を張る。
「新型コロナがきっかけでしたが、この全自動PCR検査装置にはそれ以上の意味がある」と中川はいう。
「装置が普及していくということは、医療機関でPCR検査が行えるインフラが整うということになります。専門の検査機関と医療現場での対応。この両方で検査スピードを上げていけば、あらゆる感染症の感染拡大を抑える一助となりえるでしょう。そのためにも、我々は新型コロナウイルス用以外のさまざまな試薬の開発と、より使いやすくする工夫に力を入れていかないといけません」(花房)
人類はさまざまな感染症を経験することで発展を遂げてきた。将来振り返ってみたとき、このパンデミックに対応した歴史のどこかに、全自動PCR検査装置の開発物語も刻まれているかもしれない。
インタビュー動画
※所属・役職は取材当時のものです
COVID-19に対する島津製作所の取り組み
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