みんなでつくるバリアフリーマップで、車いすでもあきらめない世界を

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ユーザーみんなでつくる、バリアフリーマップアプリ「WheeLog!(ウィーログ)」を運営する織田友理子さん。
人と人とのリアルなつながりが難しいコロナ禍であっても、常にできることを模索し、前進している。

みんなでつくるバリアフリーマップアプリ

「とにかく大変なことが多すぎて。われながら、よく続けているなと思います」

ユーザー投稿型のバリアフリーマップアプリ「WheeLog!」を運営する一般社団法人WheeLog代表理事の織田友理子さんは、苦笑交じりにそう明かす。

自身も車いすユーザーの織田さんは、2014年にYouTubeチャンネル「車椅子ウォーカー」を開設。最大の理解者である夫とともに、文字通り体当たりで、国内外のバリアフリー事情やおでかけ情報を発信してきた。

公共交通機関や観光地、店舗など取材先が多岐にわたるなか、織田さん夫婦だけの活動では、情報量に自ずと限界が出てきた。そこで考え出したのが、全国のユーザーがバリアフリー情報を投稿・共有することができる、いわば“みんなでつくる”地図アプリだ。

バリアフリーマップアプリ「WheeLog!」
バリアフリーマップアプリ「WheeLog!」

開発に当たっては、当事者ならではのアイデアをふんだんに盛り込んだ。例えば、車いすユーザーが外出の際に重視することの一つに、走行ルートがある。

走行に十分な道幅があるか、段差やエレベーターの有無は…。こうした情報を得るため、スマートフォンの位置情報から走行履歴を取得し、アプリの地図上に色付きの線として表示。線が重なると色が濃くなるようにすることで、車いすユーザーが繰り返し選んでいるルート、すなわち、より利用しやすいであろうルートを一目でわかるようにした。

また、飲食店や施設、バリアフリートイレの中の様子など、訪問先のバリアフリー情報をユーザー自らがコメントや写真付きで投稿できるようにした。車いすユーザーに限らずだれでも投稿できるのも特徴だ。

このアイデアは2015年、「Googleインパクトチャレンジ」でグランプリを獲得。資金援助を得てさらに開発を進め、2017年5月にリリースを果たす。しかし、織田さんが大変だったのはここからだった。

「アプリの運営には、改修やアップデートなど、とにかくたくさんの手間と資金が必要なんです。バリアフリーに関する知識や情報がたくさんあっても、アプリ運営に必要な知識や技術、資金がないとどうしようもない。現実はなかなか厳しいですね」

とはいえ、活動の重要性は、確実に認知されていき、複数の企業からのサポートが得られ、WEB版開発のためのクラウドファンディングも成功。支援の輪はどんどん広がっていった。

知識や経験を活かす場を

織田さんには、「WheeLog!」を通してやりたいことがある。「車いすでもあきらめない世界」の実現だ。

織田  友理子
写真提供:一般社団法人WheeLog

「車いすユーザーをはじめとした障がい者は、移動はもちろん、進学や就職、結婚、育児と、いろいろな場面でバリアを感じる機会があります。でも、例えば、車いすでも走行しやすいルートや時間帯がわかれば、通勤・通学の工夫ができるため、バリアを乗り越え、可能性を広げられる人が増えます。また、『この段差がなければこの道を通れるのに』なんていう一人ひとりの小さな気づきも、多くの人と共有することで社会を動かす力になる。私は、気づきを共有し合うことが、真のバリアフリーの実現につながると強く信じて活動しています」

そして、「あきらめない」ために最も重視しているのが、障がいの有無に関係なく、だれもが社会とつながる場をつくることだ。

織田さんが車いすユーザーになったのは、約15年前のこと。その4年前の2002年、大学4年生だった織田さんは、難病である「遠位型ミオパチー」と診断される。体の中心から遠い手足から順に全身の筋肉が衰えていく進行性の筋疾患で、現在の国内の患者数は、推定300~400人ほどという希少疾病だ。

織田さんは2005年に結婚。その翌年に長男を出産したが、そのころには、一人でトイレに行くことも厳しい状態となっていた。車いすを使い始めるようになったが、「病気の進行を認めるようで、当時は受け入れがたかった」と本音をもらす。現在は、指先を動かすことはできるが、自力で座位を保つことは難しく、移動時は車いすに体を固定している。

「私もいつかは寝たきりとなり、外出もかなわなくなるかもしれません。でも、そうなったとしても、人としての価値がなくなるわけではありません。だれでもその人なりの知識や経験があり、それを活かして、だれかの役に立てるはず。ただし、そのためには、人と人、人と社会がつながる場が必要です」

「WheeLog!」をだれでもつながれるプラットフォームに―。その思いを込めて、ユーザー同士がコミュニケーションできる機能も設けた。さらに、リアルでもつながろうと、車いすに乗って街歩きを体験するワークショップ「WheeLog!街歩き」を開催したり、飲食店や複合施設のバリアフリー調査といったコンサル事業を展開したりと、活動の幅も広げてきた。

日本の、世界の街の姿を変えるために

そこへ、このコロナ禍である。リアルでのつながりが極めて難しい状況となったが、それがかえって、織田さんを奮い立たせた。

「“車いすでもあきらめない世界”を目指すことを考えたら、立ち止まるなんてありえません。どんなときでも思考停止せず、その条件下でできることを考え、実行していきたい。このコロナ禍で、改めてそう強く思いました」

織田さんたちはオンラインで全国のユーザーをつなぎ、バリアフリー情報をリポートし合うなど、新たな挑戦を続けた。そのなかで気づいたことがある。

「画面越しだと、障がいの有無がわからないんです。そのせいか、参加者全員が対等な立場で意見を言ったり、思いを分かち合えたりすることにつながっています。また私の場合、外出するとなると、体力も労力も時間もかかるのですが、オンラインではそれも必要ない。コロナ禍をきっかけに、障がい者と社会がつながりやすくなってきていると言えるかもしれません」

今後は、SDGs(持続可能な開発目標)教育の一環として、「WheeLog!街歩き」を活用したプログラムを学校に導入したいと語る。

「私自身、以前は車いすユーザーなど障がい者に対して、無意識にかわいそうと思ってしまっていました。実際に車いすに乗らなければならなくなった時には、自分が社会から取り残されるのではと恐怖心を抱き、苦しんだ時期もありました。でも、もっと身近に車いすに触れる機会があれば、そうした誤ったイメージを持たずに済むと思うんです。

また、いつか自分や周囲の人たちが車いすユーザーになったり、街中で車いすユーザーに会ったりしたときにも、どうすればよいかわかっていれば、人生のプラスになるかもしれません。さらには、社会全体のバリアフリー化の促進につながればとの思いもあります」

多くの支援や応援のおかげでいまがあると語る織田さん。だからこそ、だれのために何をすべきか、自分に問い続けている。

「人がつくった制度やルールは必ず変えられる」

織田さんが強い信念で突き進めば進むほど、日本の、そして世界の街の様子は本当に変わっていくだろう。それを後押しし、早められる力を、私たちのだれもが持っている。

写真提供:一般社団法人WheeLog
※所属・役職は取材当時のものです

織田 友理子 織田 友理子
織田 友理子(おだ ゆりこ)

1980年、千葉県出身。NPO法人PADM(遠位型ミオパチー患者会)代表。一般社団法人WheeLog代表理事。2010年、現・公益社団法人ダスキン愛の輪基金個人研修生として福祉先進国デンマークに留学。帰国後、当事者運動を実践。遠位型ミオパチーの指定難病に向けた署名活動では累計約204万筆を集めた。2014年、YouTubeチャンネル「車椅子ウォーカー」開設。2015年、「Googleインパクトチャレンジ」にてPADM企画「みんなでつくるバリアフリーマップ」がグランプリ受賞し、2017年に「WheeLog!」としてリリース。自身の経験をもとに、バリアフリー改善策を発信し続けている。

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