ワークライフバランスという言葉をよく耳にするようになったが、その本来の意味を理解できている人はどれほどいるだろうか?
これだけ重要視されるようになった社会的背景と、実践のためのステップを第一人者に聞いた。
人口減少時代の生き残り戦略
ワークライフバランスという考え方が普及して久しいが、一方で「働きたい人の足を引っ張っている」「子育てや介護をする世代のためのもの」という意見を耳にする機会も増えている。ワークライフバランスというと、個人の働き方の問題と考えられがちだが、じつは「労働力人口が減っていく国の生き残り戦略」としても重要だと話すのは、株式会社ワーク・ライフバランス代表の小室淑恵さん。小室さんは、第一次安倍内閣の産業競争力会議など多くの官庁の会議で民間議員を務めた経験を持つ。

「ワークライフバランスという言葉は日本よりも先にヨーロッパの国々で広まり、取り組みが進みました。背景には、働く世代の人口が減少し、年金などによって“支えられる世代”が増えるなかで、労働力をいかに確保して国力を維持するかという課題がありました」と言葉を続ける。
年金や医療などの社会保障制度を支えるためには、働く人たち、すなわち“支える側”の数を確保することが不可欠。日本の場合、2000年代前半まで人口増加が続いていたため、欧米に比べて対策が遅れていたが、いままさに待ったなしの状況に直面している。
人口が増え続ける“人口ボーナス期”には働ける世代が多く、高齢者の比率が少ないため社会保障費を抑えられ、インフラ投資を進めることが可能だ。日本の経済成長はまさに1960年代から90年代の人口ボーナス期と一致する。逆に、人口減少が続く“人口オーナス期”に入ると労働力人口は減少し、高齢化の進行で社会保障費がかさむため、従来と同じ手法で経済成長を続けることは困難となる。
「支える側が少なくなっている状況では、従来と同じように“どこにでも転勤してくれて、いつでも残業できる”という人材を求めることは難しくなっています。子育てや介護をしながらでも、週5日出社でなくても働ける職場にすることは生き残りのための急務といえるでしょう」
日本の少子化は欧米に比べても、遥かに速いスピードで進行している。小室さんが「日本が一番追い詰められている」と強調するのはこのためだ。幸い、日本では男女ともに高いレベルの教育を受けてきた人が多い。“残業も転勤もいとわない男性社員”という旧来のビジネスマン像にとらわれず、性別を問わず柔軟な働き方ができる人材を増やすことは本来のワークライフバランスの狙いと合致する。
「パスを回せる」チームづくり
では、さまざまなバックグラウンドの人が働きやすい職場とはどのようなものだろうか?
小室さんは「仕事の属人化を解消する」ことが重要だと話す。従来の職場環境では、一人で多くのテーマや顧客を抱え、長時間労働で顧客のニーズに応えられる社員が“一人前”と評価されてきた。一人ひとりの仕事量や労働時間を“縦”に伸ばすことが成長戦略だったといえる。しかし、子育てや介護などを抱えながら働く人を増やすには、これまで一人が抱えていた仕事を多くのメンバーでシェアする“横”に伸ばす戦略が重要となる。
「例えばお客様から急な対応を求められた際、担当者が不在でもチーム内ですぐに対応できるように情報共有を進めることが大切です。幸い、リモートワークやクラウド化は進んでいますから、昔のように“担当者しか紙の資料を持っていない”というような状況は生じにくい。情報共有を進め、スムーズにパスが回せる人や、そういうチームをつくれた人を評価するシステムに転換することが大切です」
一方で、長時間労働をさせた方が経営的にメリットが多い現状の制度についても指摘する。
「欧米では時間外労働の割増賃金率が1.5倍ですが、日本では1.25倍。人を増やすより残業手当を支払った方が安く済む構造になっています。ただ、残業手当は時期によって増減が読めないことも多いので、投資やベースアップに回せない悪循環に陥ってしまいかねません」
実際に、ある企業では残業を抑えることで原資を確保し、全体で10%程度のベースアップを実現した事例もあるという。また、高知県は全国の自治体で初めて時間外労働の割増賃金率を1.5倍に引き上げる条例を定めたが、これは小室氏のコンサルティングによる成果だ。
すべての人の「ライフ」を尊重できる職場に

ワークライフバランスというと、残業時間を減らすことに焦点が当てられがちだが、小室さんは「残業を減らせとは言わない」のだとか。代わりに重視しているのが“カエル会議”と呼ばれる働き方改革のための知恵を出し合う会議だ。
この会議のポイントは、オンラインツールを組み合わせて匿名で意見を出し合えるという点。匿名にすることで、気兼ねなく意見できることが狙いだ。「そのチームの中で“一番発言しづらい人”の意見を聞くことが重要で、そのなかにヒントになるものが多い」と小室さんは強調する。
「会議では、そのチームをどうしたいか、どういう仕事をしていきたいか、をはじめに話し合います。そうすると“いまより成長したい”、“お互い助け合うチームにしたい”という声があがる。“Aさんがヨガ教室に通い始めたから、その日は早く帰れるようにしたい”とか、“Bさんが終業後のデートに間に合うようにしたい”と、お互いの“ライフ”を豊かにしていくために仕事の効率を上げようという意見もよく出てきます。子育てや介護に限らず、すべての人に“ライフ”はあるわけですから」
そうした会議を経て下準備ができたら、仕事の属人化を解消するために2週間ずつの休みを取ってもらうという。子どもがいる人は夏休みに合わせ、そうでない人は時期が重ならないように設定するが、休んでいる期間に対応が必要な業務はマニュアル化し、引き継ぐ必要がある。
「そのマニュアルは引き継ぎを受ける人がつくります。担当者本人がつくると自分にしかわからないものになってしまうので。そして実際に休んだ後、足りなかった部分などを休み明けにアップデートすれば情報共有の体制が強化されます」
3600社以上でこの取り組みを重ねてきて見えた属人化解消のポイントは、ミスや困ったことをすぐに言える心理的安全性だった。
「残業が半分になった企業で、何が変わったのかを聞いたところ『以前はクレーム報告のメールを50分かけて作成していたのが、今は2分で送れるようになった』との答えでした。報告しても責められない、困ったことはすぐに共有した方がいい、という組織になることが大事なんです」
メンバーが早く帰れるチームとは、つまり短時間で成果を出せるチームということ。そんなチームをつくるための戦略がワークライフバランスの実現なのだろう。
※所属・役職等は取材時のものです。
- 株式会社ワーク・ライフバランス 代表取締役社長小室 淑恵(こむろ よしえ)
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2006年に株式会社ワーク・ライフバランスを設立し、約20年で3600社の企業の働き方改革に貢献。安倍内閣で「産業競争力会議」民間議員を務めたほか、文部科学省「中央教育審議会」、経済産業省「産業構造審議会」、厚生労働省 「仕事と生活の調和推進委員会」、東京都「東京くらし方会議」などの委員を歴任。金沢工業大学客員教授や複数社の社外取締役も務める。『働き方改革 生産性とモチベーションが上がる事例20社』(毎日新聞出版)、『男性の育休 家族・企業・経済はこう変わる』(共著、PHP新書)など著書多数。私生活では二児の母。
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