「未来の医療」ができるまで

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心臓は再生しない。
その常識にチャレンジし、いままさに覆そうとしている医師がいる。
サイエンスを追い求めた先に、見えてきたものとは。

重症心不全が、治った

心臓は働きものだ。胎児のときから人生の最期を迎えるときまで、休むことなく拍動を続け、全身に血液を送る。古代人が魂の宿る場所と考えたのも、決して動きを止めないことに神秘的なものを感じ取ったからだろう。

一方、心臓は壊れやすい臓器でもある。酸素の供給が少しでも途絶えると、壊死を起こしてしまう。しかも筋肉や皮膚のように再生することがない。

その心臓治療に半生をかけてきたのが、大阪けいさつ病院院長の澤芳樹氏だ。iPS細胞を用いた心筋シートを自らの手で開発。2020年から大阪大学病院などで行われた治験では、重い心不全などでほかに治療法がないとされた患者8人に対して心筋シートの移植を実施。全員が社会復帰を果たした。

「手術後、病院の廊下でお会いしたときに、わからなかったんですよね。その人の治療前の顔と結び付かなかった。それくらい元気になられていたんですよ」

と、表情を綻ばせる。2026年2月、iPS細胞由来の心筋シートは厚生労働省の製造販売承認が得られ、数年以内の製品化が見込まれている。心臓疾患治療の歴史は大きく変わろうとしている。

サイエンスを追い続ける

澤芳樹

1980年、大学を卒業した若き澤医師は、まっすぐに心臓外科を目指した。そのなかでも、もっとも難しいとされる小児の心臓医療を専門に選んだ。心臓外科手術は、一つのミスが生命の危機に直結する。しかも小児、新生児の手術は、格段に難易度が高い。

「より高いレベルが求められるからこそ、なんとかやりとげたい。執念みたいなものを感じていましたね」

心臓の外科手術時は、一度、心臓を止める必要があるが、その際に心臓を傷つけないように心筋保護法という治療法を施す。しかし、当時、新生児に大人のやり方をそのまま用いたのでは、うまくいかないことが知られていた。澤氏は臨床に奔走する傍ら研究を重ね、新生児の心筋細胞が、成人に比べてずっと弱いことを突き止めた。国際学会に発表した論文は注目を集め、心筋研究の方向性を変えた。

1989年、医師と研究者の二刀流を貫いていた澤氏は、ドイツの名門マックス・プランク研究所へ留学。そこで、生涯を決定づける言葉と出会った。

「そろそろ帰国するという時期になって、恩師に『日本に帰ったら、もっと外科手術の研鑽を積みたい』と話しました。そのときにこう言われたんです。『君はもっとサイエンスを追求すべきだ。我々は、見事な手術で病気を治すアーティストであると同時に、サイエンティストでもある。サイエンスには再現性が必要である。誰が手術しても助かる方法を考え、つくり出す。それがサイエンティストだ。そのことを肝に命じなさい』と。ハッとさせられました」と当時を振り返る。

心臓病で死なない世界を目指して

澤芳樹

その言葉を胸に抱いて帰国した澤氏は、より優れた治療の可能性を探るため、基礎分野の研究にさらに力を注ぐ。

当時の日本の心臓病治療の状況は、決してよいとはいえなかった。海外では心不全の患者に対して心臓移植手術を施す動きが加速していたが、日本の行政の動きは重く、医師の間では閉塞感が漂っていた。そんななか、澤氏は「組織工学」で心臓病を救えないかと思い立つ。組織工学とは、細胞が育つための足場と増殖因子を用意して、臓器をつくったり再生したりしようとするものだ。1991年からは重症心不全に対する遺伝子治療の可能性を模索。心臓に遺伝子を導入したり、筋肉に分化する前の前駆細胞(筋芽細胞)を心臓に注入したりと、さまざまな方法を試してきた。だが、期待に沿う成果は得られず、研究の方向性に頭を悩ませていた。

10年ほどそんな日々が続くなかで出会ったのが、細胞シートのアイデアだった。ヒヨコの脚の筋肉を心臓に貼り付けて機能を回復させる研究があることを知った澤氏は共同研究を持ちかけ、マウス、イヌなどで動物実験を繰り返した。そして2007年、世界で初めてヒトの重症心不全患者への心筋細胞シートの手術を行い、見事に成功した。

患者の脚の筋肉の筋芽細胞をもとに細胞シートをつくり、それを心臓に貼り付ける。そうすると、筋芽細胞が分泌する増殖因子によって、心筋周囲の環境が再構築されると考えられている。

「開胸こそしますが、シートを貼るだけですから心臓を止める必要もない。非常に安全性が高い。これなら誰でもできる治療法になると期待が膨らみました」

澤氏はiPS細胞にも注目していた。

「患者の筋肉からつくる細胞シートは、筋肉をとる手術もしなければならないし、そこから細胞シートを作成する際にうまく増えない場合もあります。一方、iPS細胞であれば、事前に十分な量を準備しておくことができるし、世界中に運んでいくこともできる。これこそ再現性の高い治療の本命だと確信していました」

京都大学の山中伸弥教授と連絡を取り合って、細胞シートの手術が成功した直後から共同研究をスタートした。山中教授がノーベル賞を受賞する4年前のことだった。「いままで経験したことのない困難の連続」だったが、科学的な検証を繰り返して着実にステップアップし、見事にiPS細胞由来の心筋シートの開発に成功、臨床試験でも大きな成功を見た。

「心臓病で死なない世界を実現したいというのが私のライフワークなんです。がんの場合、免疫チェックポイント阻害剤という画期的な薬が登場したことなどで、『がんで死なない世界』へ大きく進展した。それと同じことが、ここから始まるかもしれません」

原石を、社会実装へ

澤芳樹

2019年、澤氏は研究の傍ら未来医療の産業化拠点「中之島クロス」を立ち上げた。次世代の医療のタネを、社会実装につなげることを目的とした医療の産業化拠点だ。研究者、企業、投資家、行政が交わる場として、医療技術の事業化を支援するプラットフォームを構築している。

「日本にはダイヤの原石がいっぱい落ちているのに、ちっとも磨いていない。海外の仲間からたびたびこう言われてきました。原石を磨いて、社会実装して初めて患者さんに届けられる。その仕組みをここで確立したいのです」

「医師の国家試験に合格してからここまで、スイッチが入りっぱなしです」と澤氏は笑う。その姿は止まることを知らない心臓の姿とも重なる。

心臓は再生しない。その固定観念の先を、澤氏は切り拓いてきた。再生医療の社会実装はいまが原点だという。恩師の言葉を胸に、“サイエンティスト”は歩みを止めない。

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※所属・役職は取材当時のものです。

澤芳樹 澤芳樹
大阪けいさつ病院院長/未来医療推進機構理事長/大阪大学大学院医学系研究科名誉教授澤 芳樹(さわ よしき)

1980年大阪大学医学部卒業。大阪大学大学院医学系研究科外科学講座心臓血管・呼吸器外科(第一外科)主任教授などを経て2021年より大阪けいさつ病院院長。世界初の心不全治療用再生医療等製品「ハートシート」を開発し、産学官連携功労者表彰 厚生労働大臣賞を受賞。

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