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自由と使命と
草刈民代さんインタビュー

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世界的なバレエダンサーから俳優に転身。
テレビや映画、舞台に出演するとともにバレエや演劇のプロデューサー、芸術監督としても活躍をしてきた草刈民代さん。還暦を過ぎてもなお挑戦を続ける、その原動力とは。

『Shall we ダンス?』が教えてくれたこと

8歳からバレエを始め、16歳で牧阿佐美バレヱ団に参加し、バレエ一筋だった私にとって人生の大きな転換点となったのは、後に夫となる周防正行監督の映画『Shall we ダンス?』(1996年)に出演したことです。30歳のときのことでした。

じつはバレリーナとしての未来に迷いがあった時期だったのですが、思い切ってチャレンジしたことで、多くを学ぶ機会にもなりました。また、子どもの頃からバレリーナになることしか考えてこなかった私は、視野が狭く、型にハマっていて、自分を広げる術を知りませんでしたが、周防との出会いで、私の人生は大きく変わりました。

例えば、アーティストに欠かせない「客観性」を身につけられたのは、間違いなく周防と出会ったからだと思っています。周防は常に、「自分にとって重要なことは何か?」という視点でものごとを選択していく人だと感じているのですが、私自身がいま、バレエから離れたところで活動をしているのも、その影響があると思っています。

早くから若手バレリーナとして注目された私は、10代の頃からCM出演やインタビューを受ける機会に多く恵まれました。とはいえ、その頃はバレリーナとして一人前だったわけでもなく、踊ること以外で人前に立つことに気後れや抵抗がありました。

キャリアを重ねてもその感覚は強いままで、映画に出る決断をするのも時間がかかりました。ですが、撮影を経験したり、撮影後に周防と一緒にプロモーション活動をしたりするうちに、そのような気持ちに引っ張られている場合ではないと考えるようになりました。

プロモーションでは、200近い媒体から取材を受けたのですが、周防は同じ質問を繰り返し受けても、その都度、初めて聞いたかのように誠実に答えていたのです。そこまでできる気力、体力に驚きましたが、本人は「できるだけ多くの人に観てもらうためには必要なことだから」と淡々としていて。この姿勢にはハッとさせられました。

やはり、バレエについて、作品について、多くの人に知ってもらう努力をしなければ、情報を届けることはできないのです。『Shall we ダンス?』以降、世間的にも名前が知られるようになり、さらに露出が広がっていきましたが、これは、「“バレエ”の素晴らしさを、できるだけ多くの人に認めてもらいたい」という強い信念を持てたからこそできたことだったと思います。

草刈民代
衣装ブランド:デパリエ、デパリエ ニュウマン新宿店(03-6380-5541)
Hair & Make-up:田中康世 cheek one inc.

踊りたい踊りを踊るために

私はこれまでに数多くのバレエや演劇の公演のプロデュースを手がけてきましたが、初めてのプロデュースは、バレリーナとしてのキャリアの晩年とも言える40歳のときでした。

その2年ほど前、ふと、「バレリーナなんてそのうちフェードアウトしていくだけだよね」と口にしたら、夫は「“自分が踊りたい踊りを踊る”ということを考えていかないと、この先はないんじゃないかな」と言ったのです。そんなことを考えたこともなかったため、正直、戸惑いました。

でも、そこで、「自分が踊りたいものとは何だろう」と考え始めました。そして思い浮かんだのが、世界的な振付家であるローラン・プティ先生の作品集でした。というのも、私はプティ先生の作品を多く踊ってきており、最も理解しているのはプティ作品だという自負があったからです。

スイスのジュネーブにおられたプティ先生に直接会って相談したところ、「いくらでも協力するからやってみなさい」と背中を押してもらいました。同時に「自分のことは自分で考えないと、誰も助けてくれないよ」とも言われました。

プティ先生は若い頃、パリ・オペラ座に所属していながらその道を捨て、自身のバレエ団を立ち上げ、振付家としての活動を始めました。ミュージックホールを買収したり、ときに莫大な借金を背負ったりしながら、バレエ史に残る作品を生み出してこられた方です。
あれほどの人なら周りから多大なサポートを受けているのだとばかり思っていましたが、そのプティ先生が「自分のことは自分で」とおっしゃったことは意外でした。

プティ先生ご自身がいばらの道を歩くことを選び、切り拓いてきたからこそのお言葉だったのだと思います。

その後、二つの大きな公演をほぼ同時に手がけることになったのですが、踊りの稽古をしつつプロデューサー業務をこなすのは、想像を絶する大変さでした。しかも、それが一切の妥協を許さないプティ先生との作業だったため、鍛えられ方は半端ではありませんでした。でも、そのおかげでその後のプロデュースの仕事が負担に感じることはなくなりました。自分なりの方程式のようなものができたからだと思います

草刈民代

想いを共有できれば人は動く

2020年のコロナ禍のさなか、私はYouTube向けにダンスの映像制作をしました。自粛の期間は家でテレビを点けっぱなしにして情報を得ていたのですが、その際に、スポーツ選手は画面に登場しても、ダンサーを目にすることはほとんどなく、そのことに危機感を覚えたのです。コンテンポラリーダンス、バレエ、タップダンス、ヒップホップ、舞踏など、さまざまなジャンルのダンサー7人に声を掛け、家の中で踊って自撮りをしてもらい、それらをつないで作品をつくりました。この作品はYouTubeで多くの人にご覧頂き、舞台公演にも発展しました。

2022年にはロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。ウクライナ国立バレエには、友人である寺田宜弘さん(現・同団体芸術監督)が教師として関わっており、侵攻が始まると、ウクライナのダンサーの安全確保と支援のために、全力で奔走していました。

草刈民代

がんばっている寺田さんやウクライナ国立バレエのダンサーを応援することで、ウクライナの状況を日本の人たちにも知ってもらい、平和について考えてもらうきっかけをつくれるかもしれない。その想いが原動力となり、私が立ち上げる公演としてはテーマが大き過ぎましたが、ウクライナ支援として「キエフ・バレエ支援チャリティー BALLET GALA in TOKYO」を行うことを決めました。

この公演では、資金集めでも前面に立つことになりました。まずは企画趣旨をまとめることから始めたのですが、公演を思い立ったきっかけ、ウクライナ国立バレエの窮状、現地での日本人芸術監督の奮闘ぶり、同じ日本人として、バレエ界の者として力になりたいという想いをとことん考え抜いて言葉にし、一言も漏らすまいとつづったら、A4用紙で6枚分にもなりました。

この手紙を、出資をお願いしたい方々にメールで送ったところ、ある方からは「企画書とはこうあるべきというお手本のようだ」と、おほめの言葉を頂きました。また、企画書を受け取ったその日に出資金を振り込んでくださった方もいらっしゃいました。

このようにことを運ぶことができたのは、そのときの私の想いが、多くの方々の気持ちと共通していたからだと思います。

結局、1か月で2000万円以上の資金を集めることができ、オーケストラや会場代、スタッフの人件費、ダンサーたちの経費などに充てることができました。さらに、お客様にはチケット代を無料にする代わりに寄付金を募ったところ、900万円ほど集まり、全額を使ってリノリウムというバレエ用の床材を購入し、ウクライナ国立バレエに贈ることができました。憧れの床の上で踊れるようになり活動の励みになった、とウクライナのダンサーたちがすごく喜んでくれたと聞いています。

日本では、チャリティー公演はまだ一般的とは言えないかもしれませんが、いざというときにこうした社会貢献をすることも、キャリアを重ねたアーティストの使命だと思っています。

新しい景色を見たい

44歳でバレリーナを引退後、俳優として活動してきました。芝居は言葉で構築される表現ですが、バレエには言葉が存在しません。声を使うかどうかで、表現の器となる“身体”に求められる特性が、全く違います。バレリーナと俳優は、まったくの別物なのです。

これは最初からわかっていたわけではありません。じつは俳優活動をするなかで、何とも言えない違和感を抱いていたのですが、いろいろと試行錯誤するうちに、その違和感の正体は、身体の違いにあるのではないか、と理解するようになりました。

一番の問題は呼吸の仕方でした。バレエでは身体がぶれないよう、常にお腹を引き締めています。ところが芝居で声を出すには、お腹を柔らかく使って深く呼吸する必要があります。私の身体は、その正反対につくられていたのです。

俳優に転身したからといって、呼吸方法を変えるのは並大抵なことではありません。長年かけて培ってきた身体を手放さなければならないからです。この身体は、バレリーナとして生きてきた何十年もの時間の結晶です。見た目が変わるリスクも伴います。それゆえ、身体を手放す覚悟は、簡単には持てませんでした。

とはいえ、もう還暦。そう考えると、見た目は手放してもいいかなと次第に思えるようになり、ここで踏ん切りをつけなければ先に進めないような気持ちにもなりました。俳優という職業に納得いくまで打ち込みたい。何より、新しい自分を見てみたい。そう思えたことで、バレエの身体を手放すことを決断し、2023年から一切の運動をやめてみました。

あれから3年が経ち、横隔膜の広がり方も呼吸も変わりました。前より脂肪がつき、体型も変わってしまいました。でもこの体なら、俳優としていろいろなことをキャッチしたり発見したりできるような気がしています。

じつは、バレエの引退を決めるまで、俳優になろうとは考えたこともありませんでした。引退後にやりたいことは何かと考え始めたら、ふと浮かんできたことです。これからの人生、自由な立場でやりたいこと、やるべきことに取り組み、自分自身を伸ばしていきたい。そして、踊っていた頃のように、俳優としても、プロフェッショナルのみが見られるさまざまな景色に向かって努力していきたいです。

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この記事の編集こぼれ話「プロフェッショナルとして」

※所属・役職は取材当時のものです。

草刈民代 草刈民代
草刈 民代(くさかり たみよ)

1965年東京都生まれ。84年に牧阿佐美バレヱ団正団員になり主要バレリーナとして活躍。レニングラード国立バレエをはじめ世界各地での客演多数。故ローラン・プティ氏からの信頼も厚く、レパートリーは11作品に及ぶ。44歳で引退後、俳優に転身。NHK『龍馬伝』をはじめ舞台やドラマ、映画に出演。2012年『終の信託』(周防正行監督)で第36回日本アカデミー賞優秀主演女優賞受賞。

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