医療の進化を止めない

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病気が特定できなければ、治療はできない。
臨床検査は、医療を支える一つの柱だ。
その最先端を切り拓く医師の言葉は静かな情熱に満ちている。

現代医療の聴診器

「臨床検査は、現代の医療では聴診器のようなもの。患者さんに聴診器をあてて音や容体を診ながら病気を診断していたものが、いまは病態レベルで診断できるようになった。臨床検査は、医療において欠かすことのできないピースになっているとい言っていいでしょう」

そう話すのは、東京大学大学院医学系研究科の蔵野信教授。同大医学部附属病院の検査部部長も務めている。

蔵野信

臨床検査とは、五感では直接とらえられない患者情報を得るための医療行為であり、患者の身体や、患者から取り出した検体の状態をなんらかの手段で解析し、疾患および病態を把握できるようにするものだ。その歴史は古く、17世紀には尿や血液の検査が行われ、健康状態の把握に活かされてきた。20世紀に入ると、それぞれの病気に特有の抗体や酵素の検出方法が次々と開発され、正確な診断や治療方針の決定が可能になってきた。20世紀後半にPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法が開発されると、DNA情報をもとにした遺伝子検査が発展し、関連疾患の診断や治療は大きく進化した。

「検査と治療は両輪で発展していくべきものです。疾患を見つけないと治療法を開発しようがありません。治療法が開発されるたびに、疾患をより早期に発見したり、その効果を正確かつタイムリーに把握したりするために、精度や効率の高い検査が開発されてきました。そうやって人類は病を一つひとつ克服しつつあるのだと思います」

蔵野教授自身もいくつもの検査法の開発に力を注いできた。そのなかには、テクノロジーの進化を利用し、医療レベルを一段引き上げた例もある。

シトステロール血症という病気がある。シトステロールは野菜や果物などに含まれる植物由来の脂質成分で、動物由来のコレステロールと構造がよく似ている。人間はシトステロールをいったん吸収するものの、腸壁で微妙な違いを察知して、すぐに排泄している。しかし、まれに遺伝的要因から排泄できない人もいる。コレステロールは細胞膜などの材料としてなくてはならないものである一方で、シトステロールは体内で利用できず、血管や臓器に蓄積して冠動脈疾患や溶血性貧血などを引き起こしてしまう。

これほど性質が異なるにもかかわらず、シトステロールとコレステロールは、構造がよく似ており、従来の生化学的な検査法では区別がつかない。

そこで蔵野教授は高速液体クロマトグラフを用いて、わずかな違いから両者を区別して測定する検査技術を確立し、患者さんの確実な診断に結びつけた。

「当時の臨床検査は遺伝子検査の黎明期。体内の脂質を検査するというのは、その一歩も二歩も先を行くものでした。近い将来、代謝物検査は臨床検査の主役となるかもしれないと思ったものでした」

生命へのおそ

蔵野信

蔵野教授は、高校生の頃から医師になりたいと考えてきた。

「進路を考える上で、人間にとって何が一番大切なんだろうということをずっと考えていました。やはりそれは生きることであって、生命科学の研究がしたいなと。また、その研究成果を社会に役立てたいという思いもありました。そうすると一番よいのは、やはり医学を修めることだろうと。青臭い考えだったかもしれませんが」

研修医時代は日本赤十字社医療センターに赴き、多くの命と向き合った。

「患者さんにできるかぎりのことをしようと、ほとんど病院に寝泊まりしながら、2年間を過ごしました。診察をして責任をもって治療することの意義を身をもって知るとともに、命と向き合うことに対する畏怖いふの念を強く抱きました」

特定の疾患ではなく、患者をトータルで診たいという思いから総合内科に進みたかったが、東大病院には研究を行うことのできる総合内科講座は存在しなかったため、全人的な診療を行う糖尿病内科を選んだ。大学院では脂質異常症について研究を重ねた。臨床医との二刀流で、診療が終わったのち毎日深夜まで分析装置で患者の検体を調べた。博士課程の修了後、縁があって臨床病態検査医学講座に就職。検査を中核にしてさまざまな疾患と対峙してきた。

「糖尿病に始まり、脂質異常症やがん、アルツハイマー病、腎臓病など、本当にさまざまな病気の検査による病態解明に取り組んできました。いまはこれらすべてに対してリピドミクス(脂質分析)の手法を用いて、新しい検査法、さらには検査による病態解明を基盤として、治療法の開発につながる研究をしていこうと考えています」

検査部長として100人を超える医師や技師を束ねる立場だが、ここでも研修医時代に学んだ「命に対して畏怖を持つ」ことの大切さを繰り返し指導しているという。

「生命というのは必ずしも決まった答えを出すわけではありません。投薬すれば、ある確率で予期せぬ副作用も起こるでしょうし、分析装置だってさまざまな要素が重なって、本来期待されるべき結果と異なることもあるかもしれない。それが治療に直結してしまう。だからこそ、生命に対して、そしてすべての医療行為に対して畏怖を持つべきだと伝えています」

医療経済適正化のカギ

蔵野教授は、日本の臨床検査医学の発展を牽引してきた東大病院検査部を率いる立場として、臨床検査を医療経済の適正化に役立てたいと意気込む。

「高齢化の進行で日本の医療財政は悪化の一途をたどっています。その原因の多くは薬価が高くなっていることにある。もちろん、画期的な新薬が開発されるのはいいことですが、それをすべての患者さんに使う必要があるのかという疑問もあります。でも、もし検査によって患者さんの未来を見通すことができるようになったら、例えばある患者さんはこの先、必ず合併症が起こるので、この高価な薬を使うという判断ができる。一方、この患者さんは数十年何も起こらないということがわかれば、安価な標準薬のみでも十分であるという判断ができます」

医療経済の未来への期待も背負う臨床検査だが、現在、独立した講座を持つ大学は数えるほどしかない。

「基礎研究としてリピドミクスに取り組む研究機関は多いですが、収益につながりにくい臨床検査医学講座の設置には二の足を踏む大学も少なくありません。でも、臨床のすぐそばで研究をするということに大きな意味があるのです。臨床医とコンタクトをとりつつ、患者さんの状態をつぶさに観察しながら研究に携われるのは、臨床検査医学講座だからこそなのです」

人間にとって一番大切なものを守るために。臨床検査医学は進化を止めない。

蔵野信

※所属・役職は取材時のものです。

蔵野信 蔵野信
蔵野 信(くらの まこと)

東京大学医学部附属病院検査部部長、東京大学大学院医学系研究科内科学専攻病態診断医学講座臨床病態検査医学分野教授。2004年東京大学医学部医学科卒業、2011年、東京大学大学院博士課程修了(医学博士)、同大付属病院病態診断医学分野特任助教に就任。2023年より現職。専攻は臨床検査医学、脂質学。

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