メタボロミクスで生命現象の正体に迫る
次世代ヘルスケアシステムの実現へ

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命あるかぎりカラダのなかで起きつづけている無数の現象。
それが解明できれば、人類を病から解放できるかもしれない。
多くの科学者が観察し、議論し、悩んできたトピックに、メタボロミクスで答えをもたらそうと研究が進んでいる。
かずさDNA研究所生体分子解析グループで、その最先端を覗いた。

生命現象解明へ挑んだ歴史

カラダは、高度な化学コンビナートだ。代謝という化学反応を行うプラントが無数にあって、産生された代謝物は次のプラントの材料となる。これを繰り返してエネルギーなど生命活動に必要なものを作り出し維持している。

「測れる代謝物の数はずいぶん増えましたね。私が研究を始めた20年前は、特定の対象を狙い撃ちして測って、50分子、100分子も見えれば立派なものでしたが、いまは、何千分子というデータが一度で短時間に取れるようになっています」
かずさDNA研究所生体分子解析グループのグループリーダー池田和貴氏はそう語る。

同グループが研究しているのは生体中の多種多様な代謝物。生体分子とも呼ばれる。化学コンビナートの中を流れていく“原料”や“半製品”、“製品”“廃棄物”の質と量を捉えるメタボロミクスの技術開発、さらにそれをヘルスケア・医療・食品などさまざまな産業に応用することを目指している。

代謝物を半製品、製品とするなら、プラントにあたるのは酵素などのタンパク質、そしてそのプラントの設計図にあたるのがゲノムだ。

ゲノム情報を網羅的に解析する研究をゲノミクスと呼び、登場時は、これで生命現象をほぼ解明できると期待された。だが、プラントの例を持ち出すまでもなく、最終的に何が作られ、何が起こっているのかを正確に知らなければ、生命現象を理解することはできない。

そこで代謝産物を網羅的に解析することで、生命現象を明らかにしようとする「メタボロミクス」が立ち上がった。20年余で分析や解析手法は格段に進歩。発見が相次ぎ、注目を集めている。池田氏はこれらの黎明期である2000年代初頭からその手法の開発を牽引してきた一人だ。

「質量分析計の進化で、ごくわずかしかない代謝物を検出できるようになってきました。でも、いかに代謝物を『生体』から取り出してくるか、また垣間見えた変化に対してどう切り込んでその意義を解釈していくか、このあたりはまだまだ難しい。

なかでも、脂に溶ける代謝物(脂質)は特に対応が難しくて、例えば2種類あったとして、一つはとても溶けやすく、もう一つはそれほどでもない。一度に二つを測ろうとしたとき、どういう有機溶媒に入れたら溶けるか、経験がなければなかなかできないのです」

脂質は水に溶けない
構造が多種多様で分析者泣かせ

同グループではメタボロミクスのなかでも脂質を対象としたリピドミクスの分析や解析に力を入れている。近年では、細胞から別の細胞に働きかけ、特有の応答スイッチを入れるような脂質分子も数多く見つかっており、それらのバランスが健康状態を左右している。

池田  和貴

「例えば早い段階で肝硬変の診断が可能になる脂質関連マーカーが我が国で見つかり、臨床応用もされています。アルツハイマーなどの病気でも、早期マーカー候補として脂質が注目されています。実用化されれば、将来的に発病や重症化のリスクを下げられ、QOLの向上や医療費の削減にもつながるでしょう」

だが、課題はある。脂質は水に溶けにくいうえに、多種多様な構造を持つため、分析科学者泣かせなのだ。先進的な取り組みをしている機関からは、「新分子発見」「存在を確認」といったニュースが聞こえてくるが、独自の工夫を施して、ようやくたどり着いた成果のために、技術的なハードルが高く、研究機関同士でなかなか手法を共有することができない。手法が共有化されなければ、データの入手や利活用もできないのだ。

大規模で高信頼度の脂質統合データベース構築へ

こうした状況に風穴を開けようと、産業競争力懇談会(COCN)の2020年度の推進テーマへの採択を契機に、産学官が連携できる脂質センターの立ち上げを計画している。

「ここを拠点に、まずはリピドミクスの自動化、標準化、網羅化の技術を作り出し、誰でも使えるシステムパッケージを普及したい。さらに、バイオバンクなどと連携し、全世界に先駆けて、分子レベルで深度や信頼度の高い大規模な脂質データベースを構築したいと考えています」

さらに、この脂質データベースを健康・医療情報や、ゲノミクスやプロテオミクスなどと統合化して、生命現象を深く理解するためのシステムを構築。データシェアリングにより利活用を図り、日本のバイオ研究や産業の効率化、活性化、競争力の強化につなげたいという。

「ゲノム情報だけで健康や病気は語れません。ゲノミクス、プロテオミクス、メタボロミクス、リピドミクスなどが足並みをそろえてデータを統合化していけば、様々な角度から生命現象を捉えられるようになり、これまでにない深いレベルで解明できます」

将来的には、大規模な統合データを活用することで、膨大なデータの中から、個人のカラダの状態を個別的に俯瞰できるようになり、病気の予防や予見ができる次世代ヘルスケアシステムの構築につながることも期待できる。

「例えば、いまの血液検査ではコレステロールの数値が基準値の範囲内かどうか関心を持たれますが、将来的にはさらにどのタイプのコレステロール分子が多いか少ないかまで詳細に分かり、一人ひとりの体内のシステムを個別に見て健康や病気に向き合っていく。そういう時代になるでしょう。信頼性の高い統合データが集積できれば、それも可能になるはずです」

この20年、質量分析計と向き合い、分析や解析手法の開発に取り組んできた池田氏だが、これから20年後には、いまのように、現場で人の手によってデータを分析や解析するような姿はほとんど見られなくなっているだろうと続ける。

「もうすっかり自動化されて、生活のなかにも溶け込んでいるかもしれません。カラダがパッとスキャンされて『今日は魚を食べてEPAやDHAを補給したほうがいいですよ』とAIが教えてくれる。そんな時代になっているかもしれません」

※所属・役職は取材当時のものです。

池田 和貴 池田 和貴
公益財団法人かずさDNA研究所 生体分子解析グループ グループリーダー池田 和貴(いけだ かずたか)

2006年名古屋市立大学 薬学研究科 博士前期課程を修了後、東京大学 医学系研究科 特任助教、慶應義塾大学 先端生命科学研究所 特任助教、理化学研究所 統合生命医科学研究センター 副チームリーダーを経て、2020年より現職。生体中で代謝される分子の網羅的な解析(メタボロミクス・リピドミクス)の技術開発に取り組んでおり、代謝分子と病気との関連性についても研究を進めている。

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