Special edition“Love Letter”

誠実には誠実で応える
料理愛好家・平野レミさんのモットー

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思わず誰もが笑顔になる、簡単でおいしいレシピが人気の料理愛好家、平野レミさん。
亡き夫でイラストレーターの和田誠さんとの思い出、料理愛好家となったきっかけ、そして料理に込めた想いとは。

料理「愛好家」でいたい

料理愛好家として活動するようになって40余年経ちました。「研究家」ではなく「愛好家」と名乗っているのは、料理学校に通ったこともなければ、料理の研究なんて大それたことをしたこともない、ただの料理好きの主婦だからです。

もともとシャンソン歌手として活動していました。和田さん(和田誠氏、2019年逝去、享年83)と結婚して主婦となり、二人の息子にも恵まれ、家族や家に遊びに来た和田さんのお友だちに喜んでもらいたくて、腕によりをかけて大好きな料理をふるまう日々を送っていました。

ある時、和田さんの親友でジャズピアニストの八木正生さんの紹介で、料理雑誌のリレーエッセイの執筆をしてほしいとのご依頼をいただきました。正直、困ったなと思ったものの、断り切れず渋々お引き受けしたのですが、やるからにはちゃんとお応えしたいと、和田さんにアドバイスをもらいながらなんとか書き上げたのを覚えています。

それをきっかけに料理の取材をいただくようになりました。そのうち皆さんから肩書が必要だねといわれはじめたので、和田さんに相談すると、「レミは料理が大好きでやっているのだから、愛好家でいいんじゃないの」といってくれて。歌を歌いながら、楽しんで料理をする私にぴったりじゃないですか。以来、ずっとお気に入りの料理愛好家という肩書で通しているというわけです。

百点満点の料理を出したい

平野レミ
衣装:日本ランズエンド

料理への探求心は人一倍だと自負しています。レストランでみんながおいしいと褒める料理でも、私ならこうするな、こうしたらもっとおいしいのにと常に考えていますし、自分のレシピも、もっとおいしくするために、とことんがんばっちゃいます。

これも、ひとえに和田さんのおかげです。47年間の結婚生活で、和田さんはただの一度も私の料理を「まずい」と言ったことがありません。「こんなもん、食えるか!」と言われたら、私も意地になって「じゃあ、作らないわよ!」と言い返していたと思うんです。でも、いつも「おいしいね」と言ってくれたし、口に合わない時は「ちょっとここが足らないね」「こうしてみたら」と優しくアドバイスしてくれる。だから、私ももっとがんばろうと自然に思えました。

そもそも和田さんは、家庭で笑顔を絶やさない穏やかな人で、誠という名前の通り、誠実でまじめな人でした。実は最近、事務所の棚の奥から、和田さんが17歳から19歳ごろに書いた日記が出てきたんですよ。青春真っ盛りの頃の日記なんて読まない方がいいと思ったし、息子たちも「そんなの、読むもんじゃないよ」と言っていたんですけど、やっぱり、どうしても読みたくなっちゃって。どうしよう、どうしようと逡巡した末に、「お父さん、ごめんっ」って心の中で断りを入れてから読んでみました。

そして、驚きました。内容は映画やジャズ、友だちのことばっかりで、私が知っている和田さんとまったく同じ。若い頃からまじめに生活していたんですね。裏表のない、本当にいい人でした。

そんないい人、裏切れるはずがありませんよね。しかも、和田さんは私のことは何でもお見通し。誠実な人へ出す料理は誠実でありたかったし、嘘をついたり、ごまかしたりしたくなかった。だから、今日はこの程度でいいかな、なんて手を抜かず、いつも百点満点の味を目指して作っていました。

家族に料理を出す時は、学校の先生にテストの答案用紙を提出するような気分になったものです。みんなが食べる表情をじっと見ながら、今日の料理は何点だろうとドキドキしながら採点を待つ。そこで「おいしい!」と笑顔で言ってくれるとうれしかったなあ。「やっぱりね! おいしいよね!」って幸せな気分になりましたし、さらにおいしい料理を作ろうとやる気が出たものです。

味覚を育てたもの

テレビ番組でよくご一緒している俳優の船越英一郎さんが「レミさんの料理は外れがないね」って言ってくれるのですが、こうして家族以外にも、私の料理をおいしいと食べてくれる人がたくさんいることは、本当に幸せなことだと思っています。私の料理は家庭料理ゆえにシンプル。それでいいと思っています。凝った料理は、お店に食べに行けばいいんですから。

私のレシピを生み出しているのは、「ベロ(味覚)」です。舌には我ながら自信があるのですが、これは父のおかげ。私が中・高校生の頃、父は私をよく銀座の映画会社の試写会につれて行ってくれて、その帰りに必ずおいしいものを食べさせてくれたのです。あれでずいぶんと舌が肥えました。おいしいものを食べ歩くって大切です。

さらにさかのぼると、幼い頃はよく、近所の畑で育った採れたての野菜を庭のあずまやのいろりであぶって食べていました。
味付けは一切なし。でも、どの野菜も味が濃くておいしかったなあ。野菜そのものの味を覚えることができたあの経験は、私のベロにとっては大きかった。
今も料理に余計な調味料が入っているとすぐにわかりますから。

平野レミ

キッチンから幸せ発信

息子たちには、私のこうした経験から育てられたベロを通して作った料理を出すのはもちろん、私が料理をする姿を見せるようにしてきました。学校の宿題をキッチンの近くでやらせて、食材を水でジャージャー洗ったり、まな板でトントン切ったり、フライパンで炒めたりする様子を見せるわけです。

「おなかすいた。ごはんはまだ?」「もうすぐよ、待ってなさい」なんてやりとりをするうちに、食事ができあがる。目で見て、耳で聞いて、においを感じながら会話する。このプロセスがあるからこそ、子どもたちは家庭料理から幸せ感や満足感を得ると思っていますし、親から大切にされていると認識して自己肯定感を育むのだと信じています。そんな想いを込めて、いつもサイン色紙には「キッチンから幸せ発信」って書くんですよ。

料理をするのはお父さんとお母さん、どちらでもいいんです。我が家も、私が出張したときは和田さんが作っていました。

疲れて料理をしたくない日だってありますよね。そんなときのために、私はあらかじめカレーや炒飯など、いろいろな料理を冷凍しておきました。いざとなったら、子どもたちに「お母さんは疲れているから、今日は自分たちでチンして食べなさい」と言い置き、ワインを飲んでさっさと寝ちゃったものです。料理はまず自分が元気じゃないとできませんから。

早いもので、その息子たちも今では40歳代の大人で、それぞれ家庭を築いています。最近、お嫁さんたちから聞いたのですが、二人とも料理をするそうです。しかも、結構上手なんですって。改めて、私の背中を見て覚えてくれたのねと、しみじみ思いました。

時間は調味料

和田家の家訓は「肉の3倍、野菜を摂る」。私の母もよく野菜が大事って言っていましたし、血液サラサラで健康に過ごすためには、野菜が大事なのはよく知られていることですよね。だから我が家でも、肉料理やギトギトと脂っこい料理が好きな息子たちが少しでも元気でいられるよう、いろいろな野菜料理を出してきました。

それでも和田さんは、私より先に逝っちゃいました。本当に悲しくて寂しい。今でも和田さんに会いたくて、時折、生きているのが苦しくなるほどです。どんなに元気な人でもいつか死ぬんですね。

だからといって、暴飲暴食をしていいわけではなく、やはり、生きている間は健康的でおいしいものをたくさん食べた方がいいと思います。料理を作る側は、食べる人が健康になるよう、そしておいしいって言ってくれるような幸せな料理をたくさん作る。そのためにとことん考えて、徹底的にやるべきでしょう。

それでもやはり後悔することがあるんだなあと今は思いますけどね。でも、やらないよりはやって後悔した方がいいじゃないですか。凝った料理でなくてもいいんです。シンプルでも相手のことを想って作る。私もやるだけのことはやりました。

よく明るいですねって言われるのですが、私自身は明るいとも前向きとも思っていません。ただ、みんなが気持ちよく過ごすために、人づき合いで無理しないようにしています。

それでも嫌なことがあった時は、やっぱりワインを飲んでさっさと寝ちゃう。時間は調味料。一晩寝かせたカレーやシチューがマイルドになっておいしくなるように、一晩寝れば、トゲトゲしていた気持ちも和らぐものです。

私ね、来世もまた主婦をやりたいの。子どもを産むのも育てるのも、大好きなお料理を家族に食べてもらうのも楽しいんですもの。結婚相手は、もちろん和田さんです。息子たちには、私が死んだら私と和田さんのお骨を混ぜてってお願いしてあるんです。あの世でもどこでもずっと一緒。きっと嫌がらないよね。

平野  レミ 平野  レミ
平野 レミ(ひらの れみ)

東京都出身。料理愛好家、タレント、シャンソン歌手。シャンソン歌手として活動中の1972年、イラストレーター、エッセイスト、映画監督の和田誠氏と結婚。主婦、育児に専念したのち、料理愛好家として活動再開。エッセイ執筆、NHK『きょうの料理』をはじめとしたテレビやラジオ出演、講演会などで活躍。キッチングッズの開発も行う。著書『野菜の恩返し』や『家族の味』も好評発売中。

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