フェアなスポーツ環境でクリーンなアスリートを守りたい
国内唯一の認定ドーピング分析ラボが目指すもの

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スポーツの世界的な競技大会が行われるたびに話題となるドーピング。
2020年東京大会のドーピング検査では、国内唯一の認定分析ラボが総力を挙げて臨む。
株式会社LSIメディエンス ADL・運営推進室 品質管理グループのグループリーダー、池北紋子氏にお話を伺った。

最高の設備と陣容で臨む特別な大会

薬物などで運動能力や精神面などをコントロールし、競技力を向上させるドーピング。フェアプレイの精神に反し、スポーツの公平性・価値を損なうだけでなく、アスリートの健康への悪影響も懸念される。また、ドーピング騒動が繰り返されると国家の信頼失墜にもつながりかねない。

スポーツ界で最初にドーピングが確認されたのは、1865年のこと。その後もあらゆるスポーツ大会で散見されていたが、1960年にローマで開かれた4年に一度開催される世界最大の大会で、死亡事故が発生。これをきっかけに議論が高まり、1968年のグルノーブル冬季大会とメキシコ夏季大会からドーピング検査が行われるようになった。さらに、競技種目や国・地域によって異なっていたルールを統一するため、第三者機関、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が設立された。1999年のことだ。

日本では1985年に神戸で開催された国際大会を契機に、アジア初のドーピングの分析ラボが設置された。その後、WADA設立に伴い、国内唯一のWADA認定分析機関として現在に引き継がれたのが、株式会社LSIメディエンスのアンチドーピングラボラトリーだ。

同社品質管理グループのグループリーダー池北紋子氏は、競技会開催期間中に行われるドーピング検査は、大きく二つの工程に分けられると説明する。
「一つは、アスリートから尿や血液といった検体を採取すること。もう一つは、その検体を分析機器にかけて分析し、その結果をWADAに報告すること。当社では、後者を担当しています」

池北  紋子

ドーピング検査は競技会の開催地で行うとの規定があり、来たる東京大会では、同社が分析を担当する。このため、都内にある現在のラボのほど近くに、東京大会専用のラボを新設した。「広さは、これまでの約4倍です。そこに最先端の分析機器がずらりと並ぶ様は、本当に壮観ですね。これだけでも、東京大会がいかに大規模で特別な大会かを実感できます」

選手の検体の採取は、昼夜を問わず行われる。そのため、分析する側も24時間体制で臨まなければならない。

「通常、検体の分析結果が出るまでは、1件につき約10日間かかるのですが、大会期間中はほぼ即日中に結果を出さなければなりません」しかも、大会期間中に持ち込まれる検体数は、通常の1年分とほぼ同数の約7000に上る。

それだけに、分析担当者も大幅に増員する。「普段は30名体制なのですが、それでは対応しきれないので、国内の大学にお声がけし、分析ができる学生さんや准教授、場合によっては教授クラスの方からもお力をお借りします。また、海外のエキスパートも招聘します」のべ数百名が一日2~3交替制で分析に当たることになるという。そのため、人員配置やスケジュール管理も同ラボの重要な仕事の一つとなる。

「これまで当ラボでは、検体の対象者の多くが日本人だったからか、ドーピング発見率は1%にも満たず、クリーンな結果が並ぶことがほとんどでした。ところがさまざまな国から選手が集まり、しかも世界最大の大会となる東京大会では、毎日、何かが見つかる可能性があると言われていて、正直、予測しきれません。ですので、いつ何が起きても迅速かつ柔軟に対応できるよう準備を進めています」

アンチ・ドーピングでフェアなスポーツ環境を

分析機器の進化で、分析の経験値を問わず、だれが測定しても同じ結果が得られるようになった。とはいえ、得られたデータ自体をどう見るか、さらにどんな分析が必要かといった判断まで機械化されているのかといえば、そうではない。やはり最後には専門的な目を持つ人の力が必要になる。

さらに、ドーピングの悪質化、巧妙化に伴い、検査手法も進化している。「毎年、新たな薬物やドーピング方法が編み出されていて、かなり複雑怪奇になっています。そのため私たちも、あらかじめ指定されている禁止薬物を対象としたターゲット分析だけではなく、フルスキャン分析などの網羅的解析も視野に入れています。これは分析装置が高感度化、高分解能化することでこのようなことが実現可能になります。そして、その信頼できる測定結果を元にドーピングとして疑わしき点がないか、複数のエキスパートたちが慎重に検討します」

高速液体クロマトグラフ質量分析計LCMS-8060
アスリートの名誉を守るためにも間違いは許されない。信頼のおける検査のために分析装置は常に最新かつ万全を期している。
(写真は島津製作所の高速液体クロマトグラフ質量分析計LCMS-8060)

ドーピング手法の近年の傾向として、昨年来大きな話題となっているのが血液ドーピングだ。「血液ドーピングとは、造血ホルモン製剤の使用や輸血のように、酸素運搬能力の向上を期待して行われるドーピングです。あらかじめ採血しておいた自分の血液を競技日程に合わせて輸血する『自己輸血』は、赤血球の量を増やすことで血液中の酸素量を増やし、持久力アップにつなげるのですが、他人の血液を使う他己輸血より、当然、判定の難易度は上がります」

そのため、アスリートの血液を定期的に採取する「アスリートバイオロジカルパスポート(ABP:生体パスポート)」という検査もあらかじめ行われているという。「ABPデータはWADAに報告され、我々のラボを含め一部のWADA認定分析機関内に設置されている Athlete Passport Management Unit(APMU)により解析されます。データはWADA管理下でアスリートのプライバシーが守られた状態で共有され、ターゲットとなるアスリートの赤血球や白血球、ヘモグロビンのデータを取り、不自然な変動がないかチェックしています。こうした検査と他の分析結果とを合わせて検知していくわけです」

このようにさまざまな手法で出された『どのような成分が検出されたか」という結果をWADAに報告している。とはいえ、アンチドーピングラボのミッションは、犯人探しではないと池北氏は強調する。

「私たちの使命は、クリーンなアスリートを守ることにあります。ドーピングは、アスリート個人への信用だけでなくスポーツの持つ魅力や価値をも傷つけるものです。ドーピング検査によってアスリートのパフォーマンスや記録が本物であることを証明し、フェアでクリーンなスポーツ環境を整えることにつながるのです」

検体は大会時の分析後、10年間保管される。その間、新たに検査方法が開発されると、再検査が行われる。その結果、大会当時の検査技術では検出できなかった禁止薬物が新たに見つかることがある。大会の数年後にメダルはく奪ということが起こるのはそのためだ。

「競技の結果がのちに変わってしまうということは、非常に残念なことです。そうならないためにも、私たちは今できる最高の分析で、間違いのない結果を出したいと思います。そしてこの経験をレガシーとして次世代につないでいきたいですね」

※所属・役職は取材当時のものです

池北  紋子 池北  紋子
池北 紋子(いけきた あやこ)

株式会社LSIメディエンス ADL・運営推進室 品質管理グループグループリーダー。1998年の長野冬季大会でもドーピング検査を担当。その知見を活かし、東京大会用のラボの構築や運営に尽力している。

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