シリーズあしたのヒント“まさか”の失敗への対応力は、日々の創造力強化から
「失敗学」の第一人者に学ぶ危機管理

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人間は失敗を繰り返すもの。それは不注意や気の緩みが原因である場合も多いが、会社を揺るがすような大きな失敗は“まさか”と思うようなことから起こることも少なくない。
そうした予測の難しい失敗に対処するためには、実は創造力こそが必要だと、東京大学 工学系研究科 中尾 政之 教授はいう。

大震災を機に“失敗”への関心が一変

あらゆる企業にとって、できればゼロにしたいもの。それが“事故”や“失敗”だ。しかし、現実問題、失敗は必ず起こる。しかも、その原因を直視できず、しっかりと向き合わなかったがために、同じ失敗を繰り返してしまうという光景を目にすることも多い。

似たような失敗を繰り返さないために、過去の失敗原因を究明し、未来の失敗を防止しようと生まれたのが、東京大学大学院工学系研究科の中尾政之教授が2002年に立ち上げたNPO法人「失敗学会」だ。

「人は“こうすればうまくいくよ”と言われるよりも、“こうすると失敗するよ”という話のほうが耳を傾けやすいものです。そこで、歴史上の過去の失敗を集めてその原因や防止策を探ることをし始めたのが2000年頃のことでした」

当時、日本の高度経済成長はすでに過去のものとなり、企業が利益を伸ばすことは簡単ではなくなっていた。その一方、誰もが知るような大手企業の隠ぺい体質から起こった破綻や事故、リコール問題などの報道が増え、経営者たちの意識が「利益を追うより、失敗を防ぐ」ことに向いていたこともあり、中尾教授らの活動は大きな注目を浴びた。

「それまで、企業の失敗や不祥事は広く知られたくないもの、できれば墓場まで持っていきたいものとされていました。それが日本企業の終身雇用神話が崩れたことで愛社精神が希薄になり、内部告発や早期退職者からの告発が相次ぐなどで、悪いことは隠せない時代になったという事情もあったと思います。隠すよりも公表してしっかり反省し、防止策を講じたほうがいいという考え方ですね。失敗学も“失敗を活かして日本を元気にしよう”というコンセプトでした」

過去の失敗事例をデータベース化し、その要因を分析。将来の失敗を予測し、致命的な損失を回避することが失敗学の狙い。中尾教授が「失敗のナレッジマネジメント」と呼ぶように、情報を共有し前例に学ぶことがその基本だ。

しかし、2011年の東日本大震災を機に社会が注目する失敗の質が変わったという。

“まさか”の失敗に対処するためには

「それまで企業が防ごうとしていたのは、前例はあるのに“つい、うっかり”犯してしまう失敗でした。ところが、震災とそれに伴う原発事故で、多くの人が“まさか”と思うような事態に遭遇し、安泰と考えられていた大きな企業の存続が危ぶまれるほどの状況になりました。これをきっかけに社会の関心は細かい失敗を防ぐことから、重く致命的な失敗にいかに対処するかということへと一変しました」

ただ、こうした“まさか”の失敗は数十年や数百年に一回というようなスケールで起こるだけに、前例に習うことが難しい。前例のない事態を想定し、そのリスクに対処できるようにするためには、“つい、うっかり”の失敗を防ぐのとは全く異なる考え方が必要になると中尾教授は強調する。

東京大学 工学系研究科 機械工学専攻 教授 中尾 政之

「“つい、うっかり”を防ぐには、雑念を捨てて作業に集中することが有効ですが、“まさか”に対処するためには一点集中型の思考ではダメで、普通であれば見逃すような小さな小さな違和感を拾える感度の高さと、それをもとにあらゆる可能性に思考を広げていく能力が必要です。違和感というのは、いわば雑念の一種ですから両者では必要とされる脳の動きが全く異なるわけです。これまで日本の学校や企業では一つのことに集中することが美徳とされてきたので、そういった人材を育てることが苦手でした。しかし、今後はこうした“まさか”に対応できる感度の高さや、幅の広い思考を持った人材を育てていかなければなりません」

特に経営者やプロジェクトの責任者、ミドルマネジャーなど多くの人を率いるリーダーには、現場やチーム内の違和感をベースに思考を展開し、失敗の予兆を摘み取る能力が必要になってくる。また、そういう人材を育てる重要な役割を担っている。

では、その能力はどうやって養えばいいのだろうか?

創造力を育むことがチームに勝利をもたらす

「最近、失敗を防ぐのも、新しいものを創造するのも、必要な素養は同じなのではないかと考えています」

と中尾教授は話す。

アンテナの感度を高く保ち、小さな違和感を感じ取る能力。そこで感じたものをベースに様々な方向の仮説を立てられる思考力は、実は新しい製品やサービスなどを創造するために求められるのと同種のもの。

“まさか”の失敗を防ぐ思考法は新製品や新しいサービスを生み出す力を養うことにもつながるのだという。

「大切なのは何でもないような違和感を見過ごさず、そこから“なぜこうなっているのだろう?”と疑問を持ったり、“こういうことかもしれない”と自分なりの仮説を立てる など思考を広げていくことです」

中尾教授がおすすめするのは、日々の気になることをその都度書き留めるアイデアノートを持ち歩くことだ。

アイデアノート

「内容は自由で何でもいいのです。私のノートも、コーヒーカップの形が面白いとか、旅行先で見たケーブルカーのすれ違う構造がどうなっていたかとか、教会の天井や壁画で気になった部分など、とにかく気になったことを5分もあれば書ける程度でイラストや文章でメモしてあります。ただ、人間はすぐに忘れる生き物ですから、頭で思うだけでも写真だけでもダメで、できるだけその場で手書きすることです」

それがすぐ何かに役立つわけではなくても、「なんだろう」という日々の興味や疑問をアウトプットすることで、違和感をとらえる感度や視野を広げることができ、そこから仮説を立ててイメージを膨らませていく思考を身に付けられる。教授自身、アイデアノートを付けるようになった50歳以降のほうが企画力が上がったという。

「日々の失敗を防ぐのは、サッカーでいえばディフェンス的な発想。ただ、ゴールを決めなければ試合には勝てません。世の中の変化が激しい今、企業が生き残るためには失点を防ぐディフェンス人材よりも、クリエイティブに動き、自分の力で自由に攻めるセンターフォワード的な人材が企業には欠かせないはずです。日本人は立証は得意だが仮説は苦手。今後世界に勝つためには、アイデアの引き出しを増やすことで、自信を持って仮説を唱え、立証できることが大事です。何より仕事自体、自分で仮説を立てて自由に思考を展開するほうが、本当はやりがいがあって面白いし、さらに新しい発想が生まれやすくなるのではないでしょうか」

※所属・役職は取材当時のものです

中尾 政之 中尾 政之
東京大学 工学系研究科 機械工学専攻 教授中尾 政之(なかお まさゆき)

工学博士。1983年、東京大学大学院工学系研究科修了。卒業後、大手金属メーカーで開発・設計・生産に従事。92年、大学に戻り、ナノ・マイクロ加工等の研究に携わる。2001年東京大学工学部附属総合試験所教授を経て、06年より現職。企業の生産活動に伴う事故や失敗の原因を解明する「失敗学」の研究で知られ、02年にNPO法人「失敗学会」を立ち上げる。著書に『失敗百選』(森北出版)、『なぜかミスしない人の思考法』(三笠書房)、『「つい、うっかり」から「まさか」の失敗学へ』(日科技連出版社)など多数。

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