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史上初の永世七冠・羽生善治が語る大局観
「棋士とAIの関係」はどうあるべきか

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15期ぶりに竜王のタイトルを獲得し、史上初の永世七冠を達成した棋士・羽生善治さん。
年齢とともに変わったという勝負への臨み方とは。
また、将棋界におけるAI(人工知能)と人間の関係をどのように考えているのか-。

3度目の挑戦で手にした永世竜王

昨年12月の竜王戦で渡辺明棋王(33歳)を破り、15期ぶりに竜王位を得ました。その結果、すでに保持していた6つのタイトル同様、竜王位でも永世の称号を得て、永世七冠となりました。

永世竜王へのチャレンジは、実は今回で3回目です。チャンスはなかなか巡ってくるものではなく、実際、3回目の竜王位挑戦者となれたのも、7年ぶりのことです。この機会を逃したら、次の挑戦はいつになるかわかりません。いえ、47歳という年齢も考え併せると、次はないかもしれない。今回は私にとって最後のチャンスかもしれないと思っていました。

しかも、対戦相手は渡辺棋王です。一番(1局の勝負)につき2日間使う竜王戦では、これまで渡辺棋王に勝てたことがありません。それだけ厳しい戦いになると覚悟していたのですが、挑戦者らしく積極的に挑もうという気持ちで臨みました。それが今回の結果につながったのだと思っています。

年齢を重ねて変化した将棋の取り組み方

羽生 善治

史上最年少で棋戦を制するなど、大きな話題となっている藤井聡太六段(2018年2月時)をはじめ、将棋界では若手の台頭が著しく、実際、私が公式戦で対戦する相手も、20~30歳代がほとんどです。また、段位の高低にかかわらず、10歳代後半から20歳代前半の人たちが、最先端の戦術や定跡を生み出しています。

私自身、小学生で将棋を覚え、中学生でプロデビューしましたが、歴史ある将棋の世界で、今もこうして若い棋士が次々と誕生してくれているのを、頼もしく感じています。

将棋は江戸時代に今につながる形が確立されました。それから約400年が経ちましたが、創始からの300年間と、直近の100年間では、後者の方が圧倒的に変化のスピードが速いんです。5年10年も経つと戦術はまったく異なるものになってしまいます。ですから、私自身もその変化のスピードに対応すべく、常に若手の対局や棋譜をチェックし、面白いなと思ったものは積極的に取り入れるようにしています。

ただ、若手のアイデアがそのまま実践に活かせるかというと、そうとは言えない場合も多々あります。そこをブラッシュアップさせるためにベテランの経験が活きることもあるので、お互いに切磋琢磨しながら高め合っていけるといいですね。

羽生 善治

かつての将棋界は、一人ひとりの棋士の経験や生き様が重視されていて、未知な場面で一進一退の攻防が繰り広げられる「“ねじり合い”でこそ実力が発揮される」などと言ったものです。もちろんそういう側面は今もありますが、私自身がプロ棋士になった頃から、過去のデータを集めて分析、研究したり、体系的に考えるといったことが重視されるようになり、現在に至っています。私はいわば昔から続く「道」のような将棋から、もっと自然体で向き合う将棋へと変わっていく節目の時期に、プロ棋士になったのかもしれません。

とはいえ、私が若い頃は棋譜をコピーして集めたものですが、今はコンピューター。時代はずいぶんと変わりました。記憶や計算が得意だった若手の頃は、そうして集めたデータを基に、何手も先まで頭で計算する「読み」を中心に将棋を指していました。しかし年齢を重ねるにつれて、将棋へのアプローチの仕方が変わってきました。部分的な局面ばかりにとらわれるのではなく、戦術や方針を決める際に、全体を見て流れを読むといった大局観をより重視するようになってきたのです。

もちろん、自分の中に蓄積されているデータや経験のおかげで、何百通りもある手の中から瞬時に有効な手を絞れるようになっているからこそ、「読み」の比重が低くなっているということもあります。

将棋は良い手を指したら勝つとか、悪い手だから負けるという単純なものではありません。
先を読んで指してもその読み通りに展開しないケースもよくあることです。だからこそ、全体の流れや機微のようなものを感じ取ることが大切になります。最近の対戦では、そうした抽象的なことを考えている時間の方が長いですし、その結果、なんとなくこんな感じだろうと、あいまいな判断で次の一手を決めることもあるんですよ。

年齢を重ねることで、そうした感覚的な判断の精度が上がってきている反面、そこにはマイナス面もあります。経験や知識がじゃまをして、状況の変化に適応できなくなってしまう恐れがあるからです。私自身そうならないよう、新しいものとこれまでの知識や経験とのバランスを考えながら、日々研鑽を積んでいます。今も昔も、棋士一人ひとりのこうした積み重ねが、400年続く将棋の歴史であり、これからも、そうやって将棋は歩んでいくのだと思います。

対立するのではなくAIに学ぶ

羽生 善治

対局では何日にもわたって集中力を持続させる必要があります。長く座り続けて、盤面に意識を集中させるというのは一種独特で、マラソンのような持久力が大切になってきます。

人間ですから、いつまでも集中し続けているというのは無理で、対局がないときは、意識して何もしない時間を作っています。何か別のことをしてリラックスするというより、何もしない。本当にぼーっとしているんです。若い頃はそんな時間も、棋譜が頭によみがえってしまう、ということがありましたが、切り替えがうまくなったというか、最近はそれもありません。

24時間365日、休むことなく考え続けられる人工知能(AI)と、プロ棋士が対戦する電王戦では、私たちが思いつかないような斬新な一手を繰り出すAIの指し手に注目が集まっています。将棋ソフトの開発には、将棋とはまったく関係ない優秀な方々が参入していて、ものすごいスピードで進化していますし、ちょっと前までは考えられないようなコラボレーションが起きたりしていて、面白くなっているなと思います。

将棋は一見、アナログに見えますが、盤上はテクノロジーの世界です。常に定跡やセオリーが進化していて、サイバー空間で完結できるのです。それだけに生産性を考えると、休まずに将棋を指し続けることができるAIに、人間は絶対にかないません。

でも、人間には人間にしかできない発想がありますし、AIにはAIにしかない思考があります。将棋界では今、人間対AIという対立構造で捉えるのではなく、AIから発想やアイデアを学び、人間なりに理解して吸収していこうという段階に入っています。

以前、似顔絵を描くロボットを作っている研究者にお会いしたことがあります。その際に印象的なお話を伺いました。それは「詩を書くロボットも作れるけど、私は作りません。肉体を持って生きて暮らしている人間が、その人生のなかで心を動かされて書くことで、初めて詩は意味を持つからです」ということでした。

まったくその通りで、科学技術の進歩でAIはどんどん複雑なことができるようになるのでしょうが、AIがそれをやる意味があるのか、という点が問われるようになるでしょう。

羽生 善治

私たち人間は、AIがさも万能で絶対に間違えないと思ってしまいがちですが、それも違います。AIは確率的に精度を上げる方向に開発が進んでいくものの、水平線効果といって、ある地点を超えると、その先の評価の精度がガクンと落ちるそうです。ですから将棋において、今後AIが示す手が絶対ということはありません。

将棋に限らず、AIとは異なる人間ならではの良さは、意外性や意表を突いて驚きをもたらすことにあると思います。これまでも、新しいことはいつでも、実現の確率が非常に低いとか、こんなことをやっても全然ダメだと思われているようなことの中から生まれてきました。人間はAIを恐れず、過信せず、人間だからこそできる方向に力を入れていくべきです。

これからは将棋界も、AIとは違う魅力をどれだけ生み出し続けることができるかどうかで、その真価が問われていきます。そこにはAIと人間が、今後どう付き合っていくべきか、そのヒントも隠されているかもしれません。

※所属・役職は取材当時のものです

羽生 善治 羽生 善治
羽生 善治(はぶ よしはる)

1970年9月27日生まれ。埼玉県所沢市出身。82年二上達也九段門下でプロ棋士養成機関・奨励会に入会。85年四段昇段、史上3人目の中学生プロ棋士となる。89年第2期竜王戦で初タイトル獲得。96年七冠独占を達成。2017年第30期竜王戦にて竜王獲得。これにより永世竜王、永世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖の永世七冠の資格を保持する。2018年国民栄誉賞受賞。

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