「柚子のくに」に生まれて
馬路村が示す地域の持続可能性

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高知県安芸郡馬路村。
地方創生に興味を持つ人であれば、この村の名前は一度ならず耳にしたことがあるだろう。
1980年代からゆずの6次産業化に成功した背景には、つきることのない村への愛があった。

全国から注目を集める村

県庁所在地の高知市から車で約2時間、馬路村は山間の人口850人ほどの小さな村だ。だが、ここには全国に名を轟かせる名産品がある。ゆず加工品だ。

販売元の農協に設けられているコールセンターは、一日中電話が鳴りやむことはない。販売品目はジュース、調味料などの食品にとどまらず、化粧品など70種にもおよび、一度ファンになった人は次々と新しい商品を買っていく。

高知県安芸郡馬路村

ゆず栽培を手伝う農業体験の希望も予約でいっぱいだ。生産から販売まで手掛けることで村内での雇用も多数創出。村おこし、町おこしを検討する全国の自治体から熱い視線を集めており、多い年は年間400団体もの見学者が訪れている。

「馬路村は村おこしという言葉が生まれるずっと前から『ゆず産業』に参入しています。先行できたことが、成功のいちばんの要因でしょう」と馬路村農協の長野桃太販売課長はいう。

土佐藩の時代から馬路村は山がちな地形を生かした杉の生産が盛んだった。1960年頃の人口は現在と比較して4倍を超えており、谷間の中心街は大いに賑わっていたという。

だが、戦後の住宅構造の変化により国産木材の需要は急減。村を離れる人が相次いだ。危機感を持った村は、林業に代わる新たな産業を模索していくこととなる。

そこで、ものは試しにと取り組んだのが、村に自生していたゆずの栽培だった。1960年代のことだ。しかし、見よう見まねで取り組んではみたものの、苦戦が続いた。

自生でも育つ植物だけに、果実を収穫するまでは難しくないが、青果として店頭に並べるとなると、傷や黒点など見た目にもこだわらなくてはならないからだ。適切な施肥や病害虫管理が必要で、農家の手間は少なくない。

育ったゆずは青果用の割合が極めて低く、ほとんどが加工用としての出荷となり、農家の収入は安定しなかった。

そんな70年代前半、一人の若者が立ち上がった。前組合長の東谷望史氏だ。当時20代の東谷氏は、馬路村を離れて都会のスーパーで働いていた。全国の農産物が消費者に選ばれる現場を目にしていた東谷氏は、故郷の苦境を聞きUターンを決意。ゆずの販売事業へ就き、知恵を絞り一つの結論に行きついた。

「加工品で生き残っていこう」

加工品にすることにはいくつかのメリットがあった。一つには利益の集約が図れること。原料として村外の食品メーカーに売ったのでは利益は薄いが、村に工場を建てて製品として販売すれば、すべてが村の収益となる。

さらに、絞って使うのであれば、ゆずの見た目にこだわる必要がなくなるというのも大きい。それは、農家の手間を大きく軽減することにつながるはずだと考えたのだ。

高知県安芸郡馬路村

製品化して採算ベースに乗せるには、まとまった量の原料ゆずが欠かせない。東谷氏は村内を文字通り東奔西走し、一軒一軒農家に計画を説明してまわった。

苦労して集めた原料から、まずはゆずの佃煮から始め、1986年にはぽん酢しょうゆ「ゆずの村」を発売。地道な活動が実ったのは88年、「ゆずの村」が西武百貨店の「日本の101村展」で大賞を受賞したことがきっかけで、急速に認知が広がった。

同年発売したはちみつ入りゆず飲料「ごっくん馬路村」も90年の「日本の101村展」で農産部門賞を受賞し、農協は売上をぐんぐん伸ばしていった。「ゆずの村」「ごっくん馬路村」は、いまや馬路村農協を代表する商品となった。

タネまで搾りきって有効活用

成功できた裏には、加工品として先行できたこと、東谷氏というリーダーがいたこともあるが、他にも理由があった。強力な援軍の存在だ。

高知大学農学部の沢村正義教授(当時)は、柑橘類が専門の農学者だ。ゆず研究の第一人者で、その成分分析や安全性評価で多くの実績を上げてきた。それだけに、ゆず産品を精力的に販売する馬路村の話は自然と耳に入り、たびたび村を訪れるようになっていた。付き合いが本格化したのは、定年退職後の2012年。Food business Creatorという社会人大学のプロジェクトで特任教授を務めた沢村教授が、週一回のペースで馬路村を訪れ、共同研究を開始したことからだった。

教授が力を注いだのが残渣の有効利用だ。

「搾汁したあと皮やタネとして残る残渣は、重量にして半分くらい。その残渣を処理するのに化石燃料を使って焼却しなければならない。柑橘類の残渣は世界的な問題です」

そこで教授は残渣を精油、タネも搾ってユズオイルを抽出し、その成分を分析。その結果は驚くべきものだった。

タネを搾った油にはメラニンの生成を抑制する効果があることが判明。全国紙でも紹介され、大反響を呼んだ。これを基礎化粧品として商品化して販売したところ、注文の電話が殺到した。さらに、青ゆず種子のエキスからは、小じわを改善する効果が認められた。

また、柑橘油は、種類によっては炎症・障害を起こす光毒性を持つ物質、フロクマリン類を含むものもあるが、教授の丹念な分析の結果、ユズオイルに関しては蒸留オイルはもちろん、圧搾しただけのオイルでもIFRA(国際香粧品香料協会)の基準を大きく下回っているなど安全性も証明された。

沢村 正義
写真:島津製作所製ガスクロマトグラフ質量分析計 GCMS-2020NX型

馬路村に惚れ込んだ教授は、共同研究終了後も“村専属”の分析学者となり、近年はゆずの機能性成分の分析、抗酸化作用やストレス緩和作用などの研究に携わっている。販路拡大を目指す村にとって、これ以上の援護射撃はない。

「ゆずとは長い付き合いですが、知れば知るほど、違った面を見せてくれる。長く連れ添った伴侶のようですね」と笑う。

笑顔があれば何もいらない

村が成功した理由は、さらにもう一つあった。単にゆず商品として売るのではなく、馬路村のイメージを前面に押し出し、村とセットにしてブランディングしたことだ。

「ごっくん馬路村」は「馬路村公認飲料」と銘打ち、CMやチラシ、パッケージに至るまで、村民をモデルにし、笑顔あふれる田舎暮らしがイメージできるようになっている。ユーザーは食べるたび、使うたびに、作った人やそこで暮らす人たちに思いを馳せる。それはリピーターを増やし、観光客の誘致にもつながっているのだ。

ゆずで村は潤った。道路は整備され、観光客が宿泊できる温泉施設もできた。だが、村には豪華な「御殿」はない。

「大規模農業ができるわけでもありませんから、大儲けはできません。それよりも、いちばん大事なのは、愛着のあるこの村が変わらず、いつまでも住み続けられること。恵みをもたらしてくれる安田川や周囲の山々、そしてそこに暮らす人たちの笑顔があれば、あとは何もいらないのです」(長野氏)

本当に持続可能な社会とは何なのか。馬路村はSDGsへの取り組みでも大きく先行している。

※所属・役職は取材時のものです。

沢村 正義 沢村 正義
高知大学名誉教授沢村 正義(さわむら まさよし)

高知県出身。高知大学農学部農芸化学科卒業、九州大学大学院農学研究科修士課程農芸化学専攻修了。大学院時代に大分県産カボスの成分分析に取り組み、カボスの知名度を飛躍的に高めた。1978年高知大学農学部助教授に就任。以来一貫して、柑橘類とくにユズに関する研究を続ける。92年同教授。2009年同大学退職後、同大学地域連携推進センター特任教授に就任し、馬路村の地域起こしに携わる。馬路村農協特別顧問も務める。

長野 桃太 長野 桃太
馬路村農協加工販売課販売課長長野 桃太(ながの ももた)

高知県出身。大学で地域経済を学んだのち、2009年に馬路村農業協同組合への入組をきっかけに移住した。現在は加工販売課 販売課長として、「持続的な村おこし」をテーマにゆずドリンク「ごっくん馬路村」やポン酢しょうゆ「ゆずの村」など、約70種類の商品の販売活動や情報発信に携わっている。

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