Special edition“Update”

みんなの心を幸せにする落語を広めたい
落語家 林家たい平さんインタビュー

  • LinkedIn

長寿テレビ番組『笑点』(日本テレビ系列)の人気コーナー「大喜利」で、オレンジ色の着物と元気な笑顔でおなじみの林家たい平さん。一人でも多くの人に落語を届けたいという思いの原点と、担う役割とは。

いまの世の中だからこそ落語で幸せを再確認

最近、寄席や落語会の客席に、若いお客さんの姿が目立つようになってきました。つい先日も、落語会に来てくれていた若いカップルに声をかけられましてね。
「たくさん笑って、ほろっと泣けて、元気になれました。落語って、いいですね」
って言ってくれたんですよ。僕が好きな『井戸の茶碗』という噺を聴いてくれたそうです。

この噺、出てくる人が全員いい人なんですよ。こんな世界であってほしいという落語に込めた僕の思いが伝わったようで、うれしかったですねえ。最近はSNSで心無い言葉が飛び交うような世の中になってしまって、なんだか疲れちゃってる人が多いんでしょうね。そんなときこそ、大いに笑いながら、幸せってなんだっけって再確認する。落語がそんな機会を提供できているとしたら、本当にありがたいことです。

そうはいっても、落語って古臭そうとか、難しそうって思っている方も、まだまだいっぱいいらっしゃると思うんです。その気持ち、よーくわかります。かくいう僕も、かつてはその一人でしたから。なのに、どうして落語家をしているのかって?
では、そのあたりからお聞きいただきましょうか。

お客さんが笑う時間は僕にとっても幸せな時間

僕の故郷は、埼玉の秩父という小さな町で、両親と姉兄の5人家族の末っ子として生まれました。両親は、駅前の商店街でテーラーを営んでおりまして、父は針一筋の職人。その父を盛り立てていたのが、太陽のように明るい母です。母のまわりには自然と人が集まってきましてね。夕食時にはたいてい、近所のアパートに住む若者たちやお客さんがやって来て、一杯やりつつ、にぎやかに過ごしていたもんです。

姉や兄はお運びを手伝ったりしていましたが、僕は演芸係です。母が好きだった美空ひばりさんの歌を歌ったり、ものまねをしたり。それを見て、母もお客さんたちもニコニコしましてね。すると、僕も宿題しなさいとかお風呂に入りなさいとか言われずに済むし、みんなと楽しく過ごしていられる。お客さんが笑っている時間は、自分にとっても幸せな時間になるっていうことを、子どもながらに自然と覚えたんだと思います。

林家 たい平

お笑いは、見るのもやるのも大好きでした。僕らの子どもの頃は、なんといってもドリフターズでしたね。漫才ブームが起こっていた高校生の頃は、ビートたけしさんが好きだったので、ビートあきらと名乗って文化祭で漫談をしたり、教室で先生のものまねをしたりしていました。

大学は、得意な絵を活かせる道に進もうと、武蔵野美術大学に進学しました。そこで落語研究会に入ったのですが、あくまでもたまたま。別に落語が好きだったわけじゃありません。メンバーも落語に熱心だったわけではなく、ただ集まって楽しいことをする「居場所」のようなものでした。そうはいっても時折、落語に接する機会があったのですが、当時流行りのお笑いのほうが面白いなって、どこか斜に構えていました。

デザインも落語も人を幸せにするもの

ところが、そんな僕の落語観が大転換する日が来ます。

1年生の最初の講義で教授が話していた、「デザインは人を幸せにするためにある」という言葉に感銘を受けて、それをきっかけに、僕も人を幸せにするデザインができるようになりたいと思うようになりました。でも、これというものを見つけられないまま、ひたすら課題と格闘する日々を過ごしていくうちに、僕の心は、しだいにギスギス、ザラザラになってしまったのです。

そんな大学3年生のある夜のことです。一人暮らしの狭く暗いアパートで、いつも通り、課題に四苦八苦していると、ラジオから落語が流れてきました。五代目柳家小さん師匠の『粗忽長屋』です。あっという間に引き込まれましてね。絵筆を止めて聴き入って、ゲラゲラ笑って。笑い終わった頃には、心がすごく穏やかになって、またがんばろうと思えるようになっていました。

このとき、はたと気づいたんです。いま、この落語は僕のザラザラな心に働きかけて、生きる力をくれた。これって、デザインの本質と同じじゃないか、と。ならば落語という絵の具を使って、人の心を幸せにするデザイナーになるのもありなんじゃないかと思うようになりました。また、僕は偶然、落語に出会えたけど、ことによったら生涯、落語に出会わない人もいる。それは本当にもったいないこと。じゃあ僕自身が、一人でも多くの人が落語と出会うためのきっかけをつくる存在になりたい、そう思って落語家になろうと心に決めました。

そして大学卒業後、師匠こん平に弟子入りし、現在に至るというわけです。

聴く人も登場人物も幸せに
時代で変化する古典落語

僕が落語をするうえで大切にしていることがあります。それは、僕自身が落語マニアにならないということです。

落語には、江戸時代から大正時代につくられた古典落語と、それ以降につくられた新作(創作)落語があります。古典落語には、いまでは使わないような表現や、いまの価値観ではありえないようなことが出てきます。それをそのままやると、わかる人にはわかる、つまりマニアのためだけの落語になってしまうんですね。また、どこか違和感があると、そこでお客さんの気持ちが離れてしまい、最後まで聴いていただけません。

僕がやりたいのは、聴く人にとっても登場人物にとっても幸せな落語なので、初めて聴く人にもちゃんと伝わるだろうか、面白いだろうかとしっかり考えながら、現代の価値観に合わせたセリフや演目を吟味しています。

例えば、『芝浜』という噺では、働かなくなった魚屋の勝五郎に、おかみさんが「釜のふたが開かないから働いて」って言うセリフがあります。でも、僕はそんなことは言いません。そもそも「釜のふたが開かない」とは、経済的に立ちいかないという意味なのですが、きっとわかる人は少ないですよね。しかも、現代なら、そんなぐうたらだんな、さっさと別れちゃえっ、てなる。だから僕は、「私は、あんたの働いている姿にほれて一緒になった。あのかっこいいあんたにもう一度戻ってほしい」と変えました。ほかにバッサリ切ったところもあります。

林家 たい平

そんなに変えちゃっていいのかと思うかもしれません。でも、そもそも落語は時代と共にあるもの。古典落語をそのまま守らなければ、なんてことは一切ないんです。むしろ、現代に残っている古典落語は、代々の師匠方が時代に合わせてつくり変えてきたからこそ、いまでもイキイキとしているんですね。時代に合わせる柔軟性は、落語の力強さであり、すごさであると思います。

とはいえ、守るものもあります。例えば、その噺が何を言いたいのかという本質や美学は外しません。また、美しい日本語は残さなければいけないし、それは落語家の仕事であるとも思っています。

では、何を基準に決めているかというと、これはもう落語家一人ひとりのさじ加減です。昔の師匠方が、よく落語のまくらで、「噺家は世情のあらで飯を食い」なんて話していました。「世情のあら」とは、今日、何が起きているのか、それに対して世間はどう思っているのかということ。落語家は、世間の悶々としたものをいかに笑いに変えるか次々と考え、それをまくらや噺のなかに入れ込んでいるわけです。

そのためにも、情報をアップデートすることはもちろん必要です。でも結局、一番大切なのは自分を信じることなんですよ。自分のなかにしっかりとした価値基準があれば、何が正しくて何が正しくないのか、おのずと判断できます。その判断が間違っていなければ、お客さんは「そうだ、そうだ」ってついてきてくださいますし、違うなと思えば離れていきます。

価値観は、一つではありません。いろいろあっていい。だからこそ、落語家もたくさんいるんですね。お客さんは、そのなかから、共感できる落語家を選んでくださればいいんです。これこそ、落語の懐の深さ、広さだと思います。

『笑点』はやさしく温かい世界

一人でも多くの方に落語と出会ってほしいと願う僕にとって、大切な活動が、テレビ番組『笑点』への出演です。

2006年に、師匠のこん平に代わり『笑点』に入ったのですが、初めてオレンジ色の着物を着ることになったときは、それは怖かったです。横に並ぶ師匠方は、それこそ僕が子どもの頃からテレビで見続けてきた強者(つわもの)ばかり。ここはきっと厳しい世界で、新参者は怖い目にあうに違いないって震え上がっていました。

ところが、実際は全然違っていました。初出演のとき、故・桂歌丸師匠がこうおっしゃってくださったことを、よーく覚えています。

「大喜利は笑点合唱団だと思ってほしい。合唱団はそれぞれが自分のパー トの声をちゃんと出すことで美しいハーモニーを奏で、お客さんに楽しんでもらえる。笑点の大喜利も同じこと。だから、先輩後輩なんて気にせず、自分の声をしっかり出しなさいよ」と。

しかも、師匠方がそろって、「たい平ちゃん、早くスキルアップして、こっちまで上がってこいよ」って、手を差し伸べてくださいましてね。『笑点』って、なんてやさしくて温かい世界なんだって、心底驚きました。

林家 たい平

それは、一人欠けても合唱団が成り立たないということも、もちろんあります。でも、なにより、師匠方が落語界で突き抜けた存在であり、だからこその強さとやさしさをお持ちだからなんです。メンバー同士も、芸歴や年齢を超えて、本当に仲がいいんですよ。 だから、一見ののしり合いに見えるやり取りもどこか温かく、楽しんでいただけるものになるんだと思います。

『笑点』という番組の力にも、改めて驚かされました。出演するようになったら、寄席や落語会に来てくださるお客さんの数が、なんと10倍以上に増えたんです。全国を回らせていただいていますが、いまだに、お客さんの7、8割は、「笑点に出ているあのたい平さんが近所に来たから」と、初めて落語を聴きに来てくださる方なんですよ。つくづく『笑点』とは、僕の原点にある思いを実現してくれる、計り知れない力を持った番組だなと思います。だからこそ、僕はどうにかがんばってこれからも出演し続け、落語とみなさんの出会いの場をつくりたいと思っています。

枝葉を伸ばして剪定してどんな樹形になるかを楽しみに

僕はいま57歳なのですが、『笑点』でもご一緒している三遊亭小遊三師匠が、以前、こうおっしゃっていました。

「記憶力と体力が満ちあふれ、芸の円熟味も増す50歳から60歳は、落語家にとって最高の10年。一番いい時期を楽しみなさいよ」って。だから、いろんなことに挑戦しています。6年前に出演した24時間マラソンしかり、ゴルフ番組出演やSNSでの発信しかり。僕という人間を木に例えると、落語という木の幹から、枝葉をボーボーに伸ばしている状態です。この枝葉も落語を聴いたことがない方へのいわばトラップ。枝葉をきっかけに、幹である落語に興味を持ってくれる方が増えたら、ありがたいです。

60歳からは、いよいよ樹形を整える準備に入ることになるんですかね。まずは60歳で、この枝は役割を全うしたかなってパチッと剪定して。70歳になったら、こっちの枝を次の代に受け継ごうってギコギコ切って誰かに渡したり。そうして85歳ぐらいになったとき、たい平という木がどんな樹形になっているのか、自分でも楽しみです。だから、こんな落語家になりたいという目標はあえて設けていません。

落語は、落語家自身の年齢や経験によっても、刻々と変化していきます。これこそが、いまを生きる落語家の噺を聴く醍醐味です。僕も落語家ですから、ぜひ僕の噺を聴き続けていただけたらと思うんですが、これがなかなかねえ。

皆さん「たい平さんの落語って面白いですね。ファンになりました」って言ってくださるのに、次会うときは、別の落語家の会だった、なんてことはしょっちゅう。僕だって人間ですから、そりゃあ、内心複雑です。でもね、最近はこう思うんですよ。あらためて人生を振り返ったときに、「そういえば、最初に聴いた落語はたい平だった」なんて思い出してくれれば、本望だなあってね。

※所属・役職は取材当時のものです。

林家 たい平 林家 たい平
林家 たい平(はやしや たいへい)

1964年、埼玉県出身。武蔵野美術大学造形学部卒業。1988年林家こん平に入門。2000年真打昇進。2008年芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2006年より日本テレビ系列『笑点』大喜利メンバー。落語家としてはもちろん、タレントや歌手など多方面で活躍。今年で26年目となる「芝浜の会」や「天下たい平」(横浜にぎわい座)などの定期公演をはじめ、精力的に落語の会を開催。『はじめて読む古典落語百選』(リベラル文庫)、『林家たい平 特選まくら集』(竹書房文庫)など著書も多数。

この記事をPDFで読む

  • LinkedIn

記事検索キーワード

株式会社 島津製作所 コミュニケーション誌