震災を機に転換期を迎えた福島の農業
地元待望の農学部が果たす重要な役割とは?

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2019年4月、福島大学に地元待望の農学系学類が誕生した。
東日本大震災から8年、県の農業の真の復興に向けて期待が集まっている。
福島大学農学群食農学類の小山良太教授に、立ち上げまでの道のりをお聞きした。

100年の悲願

「100年の悲願がようやく叶うと涙された農家の方もいました。それほど望まれていたんです」と話すのは福島大学農学群食農学類の小山良太教授だ。農学群食農学類は、この4月に初めて学生を受け入れた新しい学類。小山教授は2013年からその立ち上げに奔走してきた。

専門は農業経済学で、これまでは経済経営学類に籍をおいていた。ほかにも新学類には小山教授同様、農学のバックボーンを持ちながら他の学類に籍をおいていた教員に加え、本当の農学をやりたいという小山教授の呼びかけに応えた教員38人が全国の大学から集まった。

「学生も、関西や九州など、これまで福島大学にはあまりなじみがなかった地域から集まってきています。まずまずの滑り出しです」と、目を細める。

小山 良太

福島県は日本有数の農業県だ。農業生産高では47都道府県中トップテンの常連で、出荷量で上位10傑に入る農産物が、実に50品目もある。品目数では群を抜いて日本一だ。

2つの山並みと海が織りなす特有の地形がおいしい水、肥沃な土壌、変化に富んだ気候をもたらし、豊かな実りを育んできた。加えて首都圏から300キロメートル足らずと抜群の地の利にも恵まれ、都会の胃袋を満たす、なくてはならない食料供給地となってきた。

にもかかわらず、福島県にはこれまで農学部を持つ大学がなかった。福島唯一の国立大学である福島大学は、設立の経緯から人文系の学類は充実していたが、理工系の学生の受け入れは2005年まで待たねばならず、農学系の学部は今年になるまでなかったのである。

試練のとき

設立のきっかけとなったのは、東日本大震災だ。

2011年3月、震度6を超える激しい揺れ、津波、それに続く福島第一原子力発電所の爆発事故で、20万人が住まいを追われた。混乱が広がり、農家の不安はたちまち極限に達した。作物は育つのか。祖先から受け継いできた土地を再び耕すことはできるのか―。

翌月、福島大学は、被災者と被災地域の復旧・復興を支援するために「うつくしまふくしま未来支援センター」を開設した。全国から研究者が駆けつけ、未曾有の事態を前に、懸命に調査・研究を進め、対策を練った。

そのかいあって、検査体制が整っていなかった1年目こそ全量廃棄となったコメも、翌年からは安全が確認され、出荷できるようになった(本誌28号で紹介)。

一部の桃から放射性物質が検出されたこともあった。土壌からは放射性物質が見つからなかったため、移行の経路がわからず、農家は絶望の淵に立たされた。だが、調査によって放射性物質が樹皮から果実に移行していることが突き止められると、農家は自信を取り戻し、樹皮の除染を済ませ、ふたたび生産に向かっていった。

だが、問題はまだ序の口に過ぎなかった。風評被害の嵐が吹き荒れ、福島産の農産物がスーパーで手に取られる機会は激減した。安全が確認されたにもかかわらず行き場を失った福島産米は、外食チェーンや惣菜、弁当などに活路を見いだしたが、ブランド米として流通していた震災前と比べて買い取り価格は大幅に下がり、農家のプライドは大きく傷つけられた。

「いまは福島産の農産物が危険だと思っている消費者はほとんどいません。しかし、一度失った小売店の棚のスペースを、もう一度空けてもらうのは、並大抵のことではないのです」

原発事故は、農地だけでなく流通経路や人の心までも荒地に変えてしまっていたのだ。そのうち、全国の大学から未来支援センターに集まっていた研究者たちは派遣期間を終えて、研究成果とともに自らが所属する大学へ戻っていった。

「仕方がありません。宮仕えの身ですから、研究は、それぞれの大学の成果として扱われなければなりません。地元に研究機関があれば、研究成果を地元にもっと還元することもできたはずですが、私たちには核となるべき農学部がなかったのです」

小山教授は、荷物をまとめる一人ひとりに声をかけた。「必ず農学部をつくる。そのとき、もう一度力を貸してくれないか」

小山 良太

生まれ変わる農村

震災前から限界集落や中山間地の農業経済、農家経営を研究していた小山教授にはビジョンがあった。

「農業人口の減少や高齢化が声高に言われ、離農者が増え耕作放棄地も増えている。しかし、それは決して農業の衰退を意味しているわけではありません。いまは過渡期なんです。たしかに米の買い上げ制度が崩れ、農産物のブランドも乱立しすぎて陳腐化した。かつての農業の姿は力を失っているかもしれません。しかし、農村にある資源、農地の生産力は、何も衰えていない。まだまだ使えるものを使っていないだけなのです。僕たちはこの震災を、新しい農業を始めるきっかけにしなければいけません」

教授が考える新しい農業とは、土づくりから食べる人の生活までを考えた、付加価値の高い農業だ。

「たとえば、糖質50パーセントOFFの米があれば大きな市場が見込めるでしょう。おいしさはそのままで血糖値に不安があっても食べられる。病院など新たな販路も開拓できるし、米粉にすれば、お菓子としても流通できて地元に新しい産業を創出することもできるでしょう」

魅力のある産業は、若い世代を呼び込み、地域に活力を生む。大学は、その若い世代を継続して供給することもできる。

「福島県の農業に対して支給されている政府からの復興援助金も、来年にはなくなります。福島県の農業が自立するために、何がなんでも成功させたい」

食べるところまで一貫して研究するという決意を込めて、学類の名前は「食農」と名付けた。

成功事例もある。1986年のチェルノブイリ原発事故の影響をもっとも大きく受けたベラルーシのゴメリ州では、一時10万人以上が避難し、地図から消えた町も数多くある。麦の田園地帯も全員避難で荒れに荒れた。だが、帰還が許された村には、若い人が次々と就農し、30年たったいま、活気に満ちているという。

「ウオッカの一大産地となっているんです。麦のままではなかなか売れなくても、蒸留してしまえば、セシウムがもし移行していても確実に分離できる。そこに着目してウオッカを新たな産業として定着させた。そこで大きな役割を果たしたのが、ゴメリ州立大だったのです。さらに新しい農業に魅力を感じた若い人たちが大勢集まってきた結果、アートなどの文化も芽生えた。ラベルのデザインもアーティスティックで、これなら消費者に選んでもらえると思いました」

実際に現地を視察した小山教授は、食農をきっかけに福島が新しい文化発信地となることにも期待を寄せる。

震災から30年が経つ2041年、食農学類の最初の卒業生は40代の働き盛りになる。教授がまいた「種」は、どんな実を結んでいるだろうか。

小山 良太 小山 良太
福島大学農学群食農学類 教授小山 良太(こやま りょうた)

1974年東京都出身。2002年、北海道大学大学院農学研究科博士課程修了。博士(農学)。同研究員を経て05年、福島大学経済経営学類准教授に着任。14年同教授。2019年より食農学類教授。うつくしまふくしま未来支援センター農・環境復興支援部門長も兼務。日本学術会議連携会員、多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会委員など。

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