シェア可能な研究空間が生み出すイノベーション
装置を共有するメリットに迫る

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分析装置や実験台を共有して、誰もが研究をスムーズにスタートできるようにする。まるでベンチャー企業のスタートアップを支えるシェアオフィスのような空間が、大学内に出現した。東京工業大学生命理工学院生命理工学系教授 太田 啓之 副学院長・評議員に話を伺った。

大所帯になることの弊害

「新たな出会いがあって、新たな研究が生まれる。このスペースが、異分野の研究者が出会ってコミュニケーションを育む場所になれば、学院全体、いや東工大全体の活性化につながるでしょう」東京工業大学生命理工学院の太田啓之副学院長(研究担当)は、期待に顔を輝かせる。最新鋭の分析装置が揃う部屋の名は、「島津製作所 精密機器分析室」。

2016年、東京工業大学は大きな変革に踏み切った。23学科45専攻あった組織を19系、1専門職学位課程に再編。学士課程は3学部、大学院課程は6研究科だった全体を6つの学院に統合した。これにより学生にとっては、大学院まで進路が見渡しやすくなり、専門領域を横断して幅広い知識を得られるカリキュラムが実現した。生命理工学院は、その6つある学院のひとつだ。ライフサイエンスとテクノロジーに関する世界最高レベルの研究や開発を推進する人材の育成を目指している。

今回の再編により、5つあった生命理工学系の専攻は発展的に消滅し、講師まで含めると70人の教員を抱える一大組織ができあがった。ライフサイエンス分野では全国でも非常に大きな組織となった。だが、思わぬ課題が持ち上がった。「従来、一つの専攻には10前後の研究室があり、専攻内で各教員が活発にコミュニケーションを取っていました。ところが再編でこれだけ大きな集団となることで、かえってコミュニケーションが取りづらくなると懸念したのです」

一人の想像力、一人の知見にはどうしても限界が生じる。たとえすぐ目の前に答えがあったとしても、いつも同じ方向から見てしまうことで、見落とすことがないとも限らない。他の研究者から刺激を受け、違うものの見方を手に入れることは、課題解決の糸口を探る定石だ。

島津製作所 精密機器分析室

産学連携の象徴的存在を目指して

そこで検討されたのが、自然に人が集まるスペースの設置だ。研究に使用する分析装置などの機器は、従来研究室ごとに所有し、それぞれが管理していた。一部共有していたものの、旧生命理工学研究所全体では行っていなかった。そこで、再編を機に、ばらばらの研究設備を一つの場所に集めることを考えた。そうすれば、使用する際には必ずこの場所に行く必要が生じ、様々な研究者が自然に同じスペースに集まるようになる。

「たとえばメタボロミクス(代謝を一斉に分析するシステム)や、ゲノム編集分析には大掛かりな装置が必要となります。若い研究者が個人レベルで導入することは難しいですが、全員で共有すれば、着任したばかりの先生でもこれらの研究をすぐに始められます」研究者同士がカフェのように集って話せることができれば、新たなアイデアからイノベーションが生まれる可能性が高まる。

折しも文部科学省は、政府の研究開発投資の伸びが停滞していることを受けて、急激な弱まりを見せていた科学技術イノベーションの基盤的な力を維持・向上させるために、研究設備・機器の共用化をサポートする施策を打ち出していた。コンペティブなオファーであるため、なにか特徴がなければ、採択されない。どう特徴を出していくか、頭を悩ませた結果、同大は2つの切り口を打ち出した。一つは企業の名前を冠した共用スペースを設けることだ。

「私の知る限り、企業の名前のつく分析室を大学内に設置した例はほとんどありません。以前から、島津さんとは何か連携できればというお話はさせてもらっていましたが、この再編が非常に良い機会となりました。これが呼び水になって、産学連携をさらに加速させたい」と太田副学院長は胸のうちを明かす。

全学で利用できる研究空間

もう一つは、共用の実験室を設置することだ。実は「島津製作所 精密機器分析室」と同様の中大型の分析・解析装置を集めた部屋は全部で9つある。顕微鏡室や、超遠心機室など、用途別に分かれており、その中核に、試験管やフラスコなどの実験器具や汎用的な分析・観察装置を備えた部屋を設けることにした。

「各研究室が持っている実験室と同じような実験台があり、汎用の小さな遠心分離機や小さな分光器を配置して、研究室レベルでやっている実験ができるようにしたかったんです。そういう場所を設けることで、たとえば海外からの短期滞在者や共同研究企業から出向されている方が、そこを拠点にするなど、研究しやすい環境をご提供したいと思いました。もちろん、9つの共用スペースの装置はどれも自由に使えます」。

さらに、提案には将来的にこれらの設備室を有料化して自立化させることも盛り込んだ。果たして東工大の提案は採択され、生命理工棟とその周囲では、連日搬入搬出が繰り広げられることになった。「全学のライフサイエンス系の研究を支援するバイオセンター※も含めて、機器の共有化を一気に進めました。組織改編と並行する形で、非常にドラスティックな改革でしたね」と振り返る。

  • ※ 太田教授が長を務める全学共同利用施設「バイオ研究基盤支援総合センター」

「東工大には、理系領域の研究が端から端まであります。今回の事業で生まれた共用スペースは所属の生命理工学院だけでなく、全学で利用が可能です。医用工学分野や材料工学分野などの研究者が、ライフサイエンス系の機器をここで使うこともできる。ここで出会った研究者同士が話せば、思いもよらない未来のアイデアが生まれるでしょう」

バイオ研究基盤支援総合センター

装置に親しむということ

いまライフサイエンス系の大学関係者の間では、もうひとつ大きな懸念事項がある。大型の研究が、大学では行われにくい状況が生まれているというのだ。全国に研究所と称する施設が官民問わず相次いで立ち上げられており、その多くが拠点化を目指して大型の装置を積極的に導入している。当然分析・解析能力も高い。全国的な共同利用を推進していることもあって、大学の研究者も自らのテーマをそれらの研究所と共同で研究し、分析はこれらの研究所に委託するという形が増えてきているという。

「自分の身近に装置があって、その装置を見ながら研究することが少なくなる。学生などは装置に慣れ親しむことが少なくなるかもしれない」

分析・解析を知ることなく科学に取り組む。それがどれほどの危うさを孕んでいるかは、専門家でなくても容易に想像できる。東工大の各研究室にしてみれば、今回の共用化事業によって、24時間占有することはできなくなる。しかし、少なくとも「自分たちの分析装置」を身近に置いておくことは可能になった。

その選択の行方がどうなるのか。答えが出るのは、意外に早いかもしれない。

※所属・役職は取材当時のものです

太田 啓之 太田 啓之
東京工業大学生命理工学院生命理工学系 教授太田 啓之(おおた ひろゆき)

副学院長・評議員。バイオ創造設計室長。バイオ研究基盤支援総合センター長。教授。1988年4月京都大学大学院農学研究科博士後期課程食品工学専攻修了。農学博士。三井植物バイオ研究所研究員、国立基礎生物研究所協力研究員を経て、1991年より東京工業大学生命理工学部で研究に従事。2016年より現職。研究では、植物の進化の解明や藻類のバイオエネルギーへの応用を目指している。

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