芳しいお茶の原料は虫の糞 生命連鎖の妙味・虫秘茶ができるまで

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えも言われぬ味と香り。
虫の糞からつくったお茶が、反響を呼んでいる。
商品化したのは、もともとは虫嫌いだったという大学院生。
その挑戦は、常識を変え、未知の扉を開こうとしている。

虫がつくるお茶

「これはクリの葉。ルイボスティーのような風味で、ほんのり奥に甘みを感じます」
優雅な所作で急須から茶を注ぐと、すっと湯呑みを口元に運び、言葉を選んで的確に評す。その姿はまるで茶師のようだ。

丸岡 毅

丸岡毅さんには、二つの顔がある。一つは、京都大学大学院農学研究科博士課程の学生。現在2回生で専攻は化学生態学。昆虫の代謝物などを研究している。もう一つはベンチャー起業家としての顔。虫の糞を原料とするお茶の製造・販売を行っている。

虫の糞というと眉をひそめる向きも多いだろう。しかし、虫の体内の酵素で発酵する過程は、紅茶の製造中に起こる反応と変わらない。しかも、虫は葉のもっともおいしいところを食べるといわれており、味わいはさらに高まる。中国では清の時代から虫糞茶が生産されており、香り、うま味の高い茶として知られている。

「茶道家の方に飲んでもらったところ、なぜこんなにおいしいのかと。レストランのシェフは、香り、味、色ともに素晴らしく、料理の材料としても可能性があると言ってくださった。クリのお茶でチャーシューを煮たらどうかとか、サクラのお茶の出涸らしを浅漬けに和えたらどうかなど反響をいただき、これはいけると確信しました」
自信を付けた丸岡さんは、2022年、自身で作成した虫糞茶を「虫秘茶」と名づけ、クラウドファンディングを実施。目標金額の3倍を集め、多くの人がその味を堪能した。

虫秘茶
澄んだ色と豊かな香りを持つ虫秘茶

虫がかわいくなってきた

虫秘茶との出会いは偶然だった。もともとあまり虫は好きではなかったという丸岡さんだが、研究室でイモムシと植物、ハチの研究をしているうちに、「案外かわいいかも」と思うようになったという。

丸岡 毅

「ハチといっても、イモムシにたまごを産み付ける寄生バチです。イモムシが葉っぱをかじると、葉っぱはそれを察知して特徴的なにおいを出す。そのにおいをかぎ分けてハチが出てくるんです」
つまり、イモムシは葉をかじる際の唾液成分によってハチに見つかる。不利に思える唾液成分保持の理由には、そのリスク以上のメリットがあるのではないかと考えた丸岡さんらは、ゲノム編集で唾液成分の代謝がうまくできない個体をつくり出し、検証した。

「結果、生育が遅くなりました。こういう大きなシステムの中で植物と昆虫、昆虫と昆虫は、生態系をつくっているのかと気付かされました。そのときからですね。虫がかわいいと思うようになったのは」
ちょうどその頃、研究室の中でも虫好きとして知られる先輩から「虫採りに行こう」と誘われた。
「知らない虫を見るのが楽しくて。写真を撮っては、図鑑で調べるという、まるで夏休みの小学生のような日々でした」

そんなある日、先輩から「これあげる」ともらったのが、マイマイガの幼虫だった。リンゴにつく虫の研究をしていたその先輩は、リンゴ園から採集してきた幼虫を「お土産」に持って帰ってきたのだという。
「さすがにいらないなあとも思ったのですが、その辺に放すわけにもいかず、とりあえず飼育することにしました。新緑の季節で、キャンパス内のサクラの葉をとってあげていました」

当然、飼育ケースのなかには、大量の糞が落ちる。それを片付けていたとき、芳香が鼻をくすぐった。
「ちょうど桜餅のような香りでした。それが水に滲んできれいな赤茶色に見えたところがお茶っぽいなと思い、先輩と一緒にお湯を注いでみたんです」

思った通り、液体は芳醇な香りを放ち、好奇心から口に運ぶと柔らかなうま味が広がった。その味に驚いた丸岡さんは、植物や虫の組み合わせを変えて試してみようと、連日山に通ったという。
「バラ科の植物は華やかな香りに、ブナ科は香ばしい落ちついた味になる。クワの葉は黒豆茶っぽくて、これもおいしかったですね。虫の種類でも大きく変わります。同じサクラでもマイマイガよりもイラガのほうが味が濃くなる。ミカンの葉をガの仲間の幼虫に与えるとおいしいお茶になるのに、アゲハチョウでは、青臭くて飲めたものじゃなかったです」

いくつかの組み合わせは、市販のお茶をはるかに凌ぐおいしさだった。虫の消化過程で加わる何らかの成分にその秘密があることは、間違いなさそうだ。現在、島津製作所も丸岡さんの研究に協力して、人が製造したお茶と、虫から生み出されたお茶の成分の違いを見極めようとしている。

葉
虫が食べる葉によって風味が異なる

丸岡さんの指導教員でもある京都大学大学院農学研究科の森直樹教授(農学博士)によれば、分析装置は研究の心臓だという。

森直樹教授(農学博士)

「分析装置で得られたデータに対して、進化や生態を意識した解釈をすると、おもしろい見方ができる。植物と昆虫は思っている以上に関係が深い。その関係性を化学の言葉で解き明かしてくれるのがまさに化学生態学なんです」

オオミズアオ
終齢幼虫の体長が70-80mmにもなるオオミズアオ

生命の神秘に迫る

この虫秘茶が、人々にとって虫や植物に目を向けるきっかけになればと、丸岡さんは夢を語る。
「たまに茶話会を開くんです。参加してくださるのは茶人やデザイナー、陶芸家や建築家、いろいろです。皆一様に最初は恐る恐る口に運んでいたのが、味に驚いて、どんどん会話が弾んでいく。『うちの近所にこんな植物が生えてるけど、その葉だとどうだろう』『別の虫に食べさせたらどんな味になるかな』って、笑顔で語り合うんです。普段は、虫や植物のことを気に留めませんよね。イモムシなんて、足が何本あるか、ほとんど知ることもないし、どんな成虫になるのかもぼんやりしている。それが、お茶を一杯飲んだだけで興味の対象になっていく。虫秘茶をきっかけに、だれもが種の多様性を意識しはじめるんです。ここまで人を動かせるのかと僕自身が驚いています」

修士課程1回生で、企業への就職が内定していたが、博士課程への進学を決意。博士課程を終えれば、本格的に事業化を目指していく。
「リスクを避けがちな学生が多いなかで、自分がやりたいことを究めようとする真面目さ、真剣さは素晴らしい。ぜひ、夢を叶えてほしい」と森教授は目尻を下げる。

研究を見守る森直樹 教授と
研究を見守る森直樹教授と

人間が農業を始めてから1万年足らず。しかし昆虫と植物の喰う-喰われるの関係は、その1万倍もの歴史がある。虫には、まだわかっていないことが数多くあるのだ。虫秘茶の研究から、私たちが知らない生命連鎖の洗練された仕組みが見えてくるかもしれない。

※所属・役職は取材当時のものです。

丸岡 毅 丸岡 毅
丸岡 毅(まるおか つよし)

1996年、京都生まれ。京都大学大学院農学研究科博士課程、化学生態学専攻。ガの幼虫の糞からつくるお茶「虫秘茶」を開発し、その事業化に取り組んでいる。高校時代は野球部のエースとして活躍した経験も持つ。

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