樹木医として樹と向き合うことで見つけた、生態系のようなビジネスの可能性

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樹木の健康を守る専門医がいる。
樹に向き合い続けてきたからこそ得られた自然の叡智とは。

物言わぬ“患者”

街を彩る樹木。近づいて見ると、キノコや苔が生えていたり、蔓がからみついていたり、外来性害虫が加害していたりすることがある。これらはすべて樹木が病気にかかっているサイン。一見、青々と葉を茂らせていても、樹木と樹木が近すぎたり、建物から距離がとれず窮屈だったり、やたらと枝を切り落とされていたりすることで、病気に発展する可能性があるという。不健康な生活を強いられている未病状態だ。

「枝も葉も無造作にバッサリ切られて、かわいそうに」
都心の公園で樹木を見上げた樹木医の後藤瑞穂さんは、そうつぶやいた。

樹木医とは、文字通り、樹木専門の「お医者さん」だ。幹や枝葉の状態を観察したり、木槌で幹を叩いた反響音から健康状態を診断する様子は、まるで内科医だ。ときには、外科医のように枝の剪定や土壌改良といった治療を施して樹木を健康へと導く。

後藤さんは、祖母が医師、父は造園業の経営者という家庭に生まれた。
「二人からは強く影響を受けたと思います。祖母のように命を助ける仕事をしたいと、獣医を目指したこともありましたし、父からは街の景観デザインにまつわる話をよく聞いていました」
とりわけ父親が見せてくれたヨーロッパの都市の写真に心惹かれたという。計画的に緑を配し、美しくデザインされた街並みの写真は、少女の目にまぶしく映った。急激な経済発展とともに無計画に建物を建て、好き勝手に広告の看板を出していった日本とは真逆だった。
「当時はまだ、景観デザインの知識も技術も一般には認知されていませんでしたからね」

地元の街並みをもっと美しいものにしたいと考えた後藤さんは、設計デザインを学ぶため造形短期大学に進学。卒業後は、造園建設業に就職し、造園設計や環境設計の仕事に携わった。
結婚、妊娠の後、退職。出産準備のため里帰りしたとき、運命の出会いをする。
「実家で偶然、父が持っていた樹木医試験の対策テキストを目にしたんです。樹木医は、かつての夢だった獣医と、樹木の仕事とのいわば合体版。私のやりたいことはこれだ! とピンときました」

後藤 瑞穂

当時から、樹木医は造園関連では最難関の国家資格として知られていたが、思い立ったが吉日。妊娠中から対策を始め、出産後も子どもを背負いながら勉強を続けた。子どもが2歳になったときに2回目の挑戦で合格。育児をしながらの勉強はきつかったが、それ以上に、新しいことにチャレンジしたいという向上心と、知見が広がる喜びが勝った結果だった。

樹木に倣った生存戦略

樹木医に合格した直後の母親の死をきっかけに、実家の事業を引き継ぐことになった後藤さんは、父親が経営する造園会社に入社。新規事業として樹木の診断治療業務を立ち上げた。
「環境や健康に恵まれない樹木を助けられる、なんてすばらしい仕事なんだと、使命感に燃えていました」

新しい取り組みにも果敢に挑戦した。その一つが、音波の反射を利用して樹木内部の状態を解析し視覚化する樹木診断機器「ピカス」を日本で初めて導入したことだ。従来の方法よりも木を傷つけず、解析精度も良いうえに、早く結果が出る。まさにいいことだらけだったが、先輩樹木医たちからは、見慣れぬ機器への不信感と、ベテランの勘を重視する風潮から、信頼性を疑う声も根強くあったという。

しかし、実績を積み重ねることで、機器だけでなく後藤さんの評判も着実に上がっていき、「ピカスなら後藤さん」と言われるまでになった。後藤さんに倣ってピカスを導入する同業者も次第に増え、現在では東京都の公式診断機器の一つに認定されている。

家業を継いで5年ほど経った頃、父の勧めで東京進出することになった。樹木医は都会でこそ力を発揮できる資格だという先輩経営者の先見の明からのアドバイスだ。
2007年、東京に進出し新事務所を開設する。だが、ここで壁にぶつかった。東京での樹木医の主な仕事は公共機関から発注される街路樹診断の業務だが、新参者に回ってくる仕事は少なく奪い合いになるため、存在自体が疎まれることになった。なかには上京する際に、家業をほったらかすとは何事だと怒鳴りつける同期の樹木医もいたほどだ。そこで、新たな市場に目を付けた。民間企業や個人宅だ。公共機関に比べて仕事自体が無いと考えられていたため、同業者との競争は少なかったのだ。
その際、フル活用したのが、インターネットだった。ブログやホームページを作成し、SNSを通して自身の熱い想いや実績を地道に発信し続けた。すると、次第に問い合わせやマスコミからの取材依頼が舞い込むようになり、それに伴い、仕事も増えていった。

後藤 瑞穂

地元で女性初の樹木医合格、日本初の診断機器の導入、民間企業や個人との取引、インターネットやSNSの活用。それまでの業界の常識を覆し、新しいことにチャレンジし続けてきたのは、自分なりの生存戦略だったと話す。

「女性がヘルメットをかぶって大木と向き合う、というギャップのある姿を逆手に取って広く発信することは、ブルーオーシャンを狙って事業の特色を打ち出すことや、樹木が虫を呼び寄せるためにきれいな花を咲かせるのと同じこと。私にとってビジネスで生き残るためのブランディングなのです」

クスノキのように

現在、事業は樹木医や造園にとどまらない。たとえば、竹を利用した筒形土壌改良剤の開発とベトナムでの現地生産。廃棄物を使った再生樹脂製のフラワーポットKAFUの開発。治療している樹木を利用したアロマオイルや染め物などの商品を企画・製造・販売し、その収益を樹木の保全・治療費に充てる「サーキュラーエコノミー」の構築にも取り組んでいる。さらに、樹木医の育成、環境教育の推進、巨樹や古木を守る樹木遺産プロジェクトと、やりたいことは尽きない。その姿はじつにエネルギッシュだ。

後藤 瑞穂

「自然や樹木が、ビジネスの仕方を教えてくれるんです。生態系はすべてつながっていて、相乗効果で全体が発展していきますよね。ビジネスも同じで、すべてはつながっている。素材は同じでも、ちょっと視点や角度を変えると、万華鏡のように新しいことが次々と見えてくる。そんな事業を構築したいんです。生態系のようにお互いが繋がりあって相乗効果を発揮して、大きな成果をもたらしてくれると思っています」

多くの樹木と向き合い、共に生きてきた後藤さんには目指す姿がある。神社仏閣でよく見られ、ご神木として信仰の対象となることもあるクスノキだ。

「神秘的で美しく、打たれ強い。動きませんが、よく観察すると、どっしりと構えて、鳥や虫といった多様な生き物を呼び寄せ、それらを媒介にまた別の生き物を呼び寄せる。とてもアクティブで、周りを動かす力があるんです」
私もそうありたい、と目を輝かせる後藤さん。その情熱と技で、人とすべての生き物の命が輝く多様性に満ちた豊かな景色を広げている。

※所属・役職は取材当時のものです。

後藤 瑞穂 後藤 瑞穂
樹木医、一級造園施工管理技士 株式会社木風 代表後藤 瑞穂(ごとう みずほ)

1988年九州造形短期大学卒業後、造園建設業会社に入社。2001年熊本県初の女性樹木医になる。2007年東京に進出し「木風KOFU」開設。奄美群島 加計呂麻島「諸鈍デイゴ並木樹勢回復事業」など多数のプロジェクトに携わる。著書に『樹を診る女のつぶやき』(熊日出版)。テレビ番組「情熱大陸」をはじめメディア出演多数。

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