Special edition“Core Values”

日本ラグビーの雄が語る、「勝てるチーム」への変革に必要なこと
立川理道さんインタビュー

  • LinkedIn

勝てるチームに必要なものは何か。
大学、トップチームでキャプテンとして改革を起こし、勝利を手にしてきた日本ラグビーの雄が、チームビルディングの枢要を明かす。

喜べばよかった

立川 理道

僕が所属するクボタスピアーズ船橋・東京ベイ(以下、スピアーズ)は、日本ラグビー最高峰のリーグである「NTTジャパンラグビー リーグワン2022-23」シーズンで優勝し、リーグ王者となりました。チームにとっても僕にとっても初の栄冠です。

国立競技場で優勝が決まった瞬間、チームの選手たちは抱き合ったり雄叫びを上げたりして喜びを爆発させていたのですが、僕としては「あ、勝っちゃった」という感じで。歓喜の輪には加わらず、まずは相手チームのキャプテンとレフリーに握手を求めに行きました。僕にとってはいつも通りの行動だったのですが、それがどんなときも相手へのリスペクトを忘れない、冷静なキャプテンとして報道されたおかげで、2022-23シーズンのリーグワンMVPにも選んでいただけたのかもしれません。

だけど、いま振り返ると、みんなと一緒に喜んでおけばよかったなって思います。やはり特別な瞬間でしたし、そう何度も経験できることではないですから。だから、中・高・大学ラグビー部のキャプテンには、花園や国立競技場で優勝したら僕の真似をせず、ガッツポーズをするぐらい思いっきり喜んでほしいですね。

全国大学準優勝

立川 理道

じつは、学生時代にも国立競技場で決勝戦を戦ったことがあります。天理大学4年生のときに行われた、第48回全国大学選手権大会決勝の対帝京大学戦です。あのときは接戦の末、負けて準優勝に終わりましたが、僕たちとしては、進化の証明となった満足のいく結果でした。というのも、僕が天理大学ラグビー部に入部した当時は、選手一人ひとりのポテンシャルはあるものの、とても全国のトップレベルで戦える集団ではなかったのです。

先輩は皆いい人たちで、練習もそれなりにやりつつ、大学生活も楽しむといった感じでした。僕も楽しい雰囲気が大好きでしたし、もっと強くなりたいと思いながらも、低学年の立場ではどうしようもなく、とにかく自分なりにがんばろうと思っていました。しかし、チームのために何かを変えなければとまでは、当時は思いが至りませんでした。2年生のときにU20日本代表に選ばれましたが、その経験をチームに還元しようという思いも浮かばなかったほどです。

そんなとき、左ひざの前十字靭帯を損傷しました。僕にとっては競技人生初の大ケガです。1年近く試合に出られず、テレビなどで同級生たちの活躍をただ眺めるしかない日々は、本当に悔しかった。でも、時間がたっぷりあったおかげで、気づけたこともありました。慢心は無かったか。もっとチームのために動けたのではないか―。それからは、出場できないぶん、チームの試合を客観的に見て、自分が出場したとしたらどうするかと考えたり、出場している選手にアドバイスをしたりするようになりました。

3年生になってケガも治り、よしやってやるぞ、とモチベーション高くチームに復帰したタイミングで、チーム改革が始まります。けん引役は、キャプテンに就任した一つ上の兄、直道です。兄は当時の大学ラグビー界に君臨していた関東のチームに勝つための努力をしようと、練習の強度を上げたり、寮生活や食事を見直ししたりと、さまざまな手を打ちストイックにラグビーと向き合いました。これが35年ぶりの関西大学リーグ優勝、全国大学選手権ベスト8という結果につながります。

4年生になり、僕がキャプテンを引き継いでからも、兄のキャプテン像を継承して皆で走り抜けた結果、全国準優勝を果たしました。

勝ち切れない理由

大学卒業後は、現所属チームであるクボタスピアーズに入りました。当時のスピアーズは、トップリーグの一つ下のカテゴリーで戦っており、あと一歩のところで昇格を逃していました。

大学時代同様、きっかけがあれば強くなれると思い、そこに貢献したいと入部したのですが、実際に入ってみて、昇格できなかった理由がわかりました。チーム全体が家族のように仲が良く、優しい人たちの集まりだったのです。それはいまも変わらないスピアーズの文化で、すごくいいところですし、僕も大好きです。でも、勝ち上がるためには、厳しさが足りないとも感じました。

立川 理道

当時、僕は日本代表に選ばれていたため、日本代表とスピアーズを行き来していました。当時の日本代表のヘッドコーチ(以下、HC)は、エディー・ジョーンズさんで、とにかく練習が厳しかった。ところが、スピアーズに帰ってくると、みんな楽しくラグビーをしている。すると、もともと楽しいことが好きな僕としては、つい楽な方に流されてしまうわけです。そんな調子でしたから、トップリーグに再昇格してからも、スピアーズの戦績はパッとしませんでした。ですが、僕も中堅の選手になるにつれて、さすがにどうにかしたいという思いが強くなっていきました。

そんなとき転機が訪れます。世界的な名将フラン・ルディケが2016年、スピアーズの新HCに就任。同時に僕が新キャプテンとなり、チーム改革を進めることになったのです。

一人ひとりに存在意義を

ルディケHCの就任以来、今回の優勝に至るまで少しずつチーム力が上向いていきました。選手一人ひとりが自分の存在意義を感じられるようになったこと、チーム内競争を活性化できたのがその理由です。

スピアーズには50名以上の選手が所属しています。でも、その中で試合のメンバーに入れるのは23名。残りの約30名はいわゆるメンバー外となります。このメンバー外の選手のモチベーションの維持がチームマネジメントの要と言っても過言ではないのですが、当時は維持できているとは言い難い状況でした。

そもそも、メンバーもメンバー外も同じチームの一員。メンバー全員がそれまで以上にリスペクトし合うためにも、まずはお互いを知ることから始めました。何歳からどこでラグビーを始めたのか、何のためにラグビーをしているのか、家族構成は、といったことをプレゼンし合いました。また、南アフリカ、トンガ、サモア、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、と海外出身の選手も多いので、それぞれの文化を知る機会もつくりました。いつも一緒にいても知らないことってあるものです。発見がたくさんありましたし、お互いへの理解とリスペクトが進んだことで、グラウンド内外でのコミュニケーションが円滑になり、チームに一体感が生まれていきました。

メンバーとメンバー外という呼び方もやめて、シーズンごとに設定するチームのテーマに合わせて名称も考えました。たとえば、モータースポーツの「F1」がテーマだったときは、メンバーを「レースカー」、それ以外を「ブースト」と命名。練習で競い合ったり、ブーストが試合を想定して対戦チームの動きをしたりします。もちろん、試合に出るメンバーは都度入れ替わるので、全員がものすごくがんばる。自然と練習の強度が上がり、内容も充実していきました。

立川 理道

このチーム内競争をさらに進めたのがコロナ禍です。新型コロナにかかって欠場となった主力選手に代わり、控えに回りがちだった選手たちが出場したのですが、その選手たちがしっかりとしたパフォーマンスを発揮してくれました。おかげで、これまでの取り組みが間違いでなかったことが証明されましたし、何より選手たちそれぞれに自信が生まれ、選手層の厚みが増したと思います。

チームの試合当日の過ごし方も変わりました。試合に出られない選手も、会場で試合の準備を手伝ったり、ライブビューイングイベントに出演してファンと交流しながら盛り上げたりしています。一人ひとりがチームのためにできることを自ら考えて行動するようになった結果です。

魔法の言葉は無い

立川 理道

ルディケHCの方針で、人間性に優れた選手の採用強化もチームを成長させてくれました。また、選手の意見を吸い上げたり伝達事項を拡散するために、僕を含めた選手6人でリーダーグループをつくり、選手のマネジメントをしています。このリーダーたちが本当に素晴らしく、あらゆる場面で助けられています。そうした選手たちのキャプテンとして僕ができることは、正直であることに尽きます。

日本や世界のトップレベルで戦う選手たちは、アスリート能力の高さはもちろんのこと、じつは勘も鋭いのです。隠しごとやごまかしはすぐに察しますし、すごく嫌がります。僕よりキャリアが上の選手にはどうしても遠慮しがちだったのですが、それもコミュニケーションの妨げにしかなりませんでした。

これは試合のときも同じです。ラグビーのキャプテンというと、涙を流しながら熱く語ってみんなを鼓舞する、というイメージを持っていたのですが、そうである必要はありませんでした。そう気づけたのは、日本代表でキャプテンを務めた廣瀬俊朗さんを目の当たりにしたことが大きいです。廣瀬さんは、淡々と問いかけるように語って、「じゃあ行こうか」というタイプ。魔法の言葉も、演じて叱る必要もないんですね。

僕は話が上手な方ではありません。でも、いつでもだれに対しても自分らしく、そのときの気持ちを素直に話すことが大事なのだと肝に銘じています。

恩返しのために

2015年のラグビーワールドカップの後も、日本代表や、国際リーグ「スーパーラグビー」に参戦する日本チーム「サンウルブズ」として活動し、それぞれでキャプテンも務めました。そのまま自国開催となる2019年のワールドカップも出たいとがんばりましたが、その思いは届きませんでした。選ばれる立場ゆえに仕方がないこととはいえ、「どうして日本代表に入れなかったの」「出てほしかった」といった声を聞いたときは、正直、かなり苦しかったです。一方で、応援し続けてくれる方もたくさんいて、すごく救われました。そのとき、僕がラグビーを続ける意義を改めて考えました。そして、それは応援してくださる方々への恩返しであり、ラグビーを通して何かを伝え続けることなのでは、と思い至りました。

立川 理道

その後も自分を見つめ直し、日々のフォーカスポイントを明確にして準備するようになったことで、選手としてもキャプテンとしても、高いレベルのパフォーマンスを安定して出せるようになっていると思います。

それが評価されたのか、昨年、4年ぶりに日本代表に呼ばれました。試合に出た際は思いがけずたくさんの声援をいただき、心からうれしかったです。また、今回のリーグ優勝でも多くの方からお祝いの連絡をいただきました。こうした応援の声が、またがんばろうと思える大きな力になっていますし、僕が活躍する姿をお見せすることで恩返しになっているといいな、と思います。

現在33歳。ベテランの域にさしかかりつつあるのですが、まだ衰えは感じていません。ラグビー選手として現役である間は、日本代表は目指すべき場所であり、必要とされれば行くべき場所だと思っています。
またあの場所に立つためにも、まずはここスピアーズで、だれも無視できないぐらいしっかりとしたパフォーマンスを出し続けていきます。

※所属・役職は取材当時のものです。

立川 理道 立川 理道
ラグビー選手立川 理道(たてかわ はるみち)

1989年奈良県生まれ。4人兄弟の末っ子。兄たちに続き、4歳で地元のラグビースクール「やまのべラグビー教室」でラグビーを始める。天理中学・高校・大学でプレー。2011年、天理大学のキャプテンとしてチーム史上初の大学選手権準優勝に導く。2012年クボタスピアーズ(現・クボタスピアーズ船橋・東京ベイ)入団。2015年ラグビーワールドカップ対南アフリカ戦では、果敢なタックルで歴史的勝利に貢献。2016年よりスピアーズでキャプテンを務める。主なポジションは12番(センター)、10番(スタンドオフ)。代表歴56キャップ。

この記事をPDFで読む

  • LinkedIn

記事検索キーワード

株式会社 島津製作所 コミュニケーション誌