発酵は日本の誇るべき技術
その底知れぬ素晴らしき世界とは

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肌本来の力を呼び覚ます―。
酒造メーカーがつくる基礎化粧品が話題を呼んでいる。
発酵の技術を食品だけにとどめておくのはもったいないと機能性素材の開発に着手。
50年をかけ、市場での評価を不動のものにしつつある。
微生物と植物が織りなす「発酵社会」の深淵をのぞいてみよう。

酒蔵が遊び場だった

勇心酒造の創業は1854年。ペリーによる2回目の黒船来航と同じ年だ。高松藩の米が集まり、豊富な湧水もあった宇多津で時を刻み、地元の料理に合うふくよかな酒を届けてきた。
だが、現在の同社の主力商品は、酒ではない。米を独自技術で発酵させ、その力を引き出した「ライスパワーエキス」を配合した基礎化粧品だ。肌のコンディションを整えるとして、ユーザーに強く支持されている。自社製品のほか、大手化粧品メーカーへのOEM製品も供給している。

勇心酒造

「米糠が肌にいいとか、温浴効果を促すとか、米には、人の体のバランスを整える力があるんです。それを微生物の力で引き出した。酒造メーカーの私たちだからこそできた、唯一無二の商品だと自負しています」
と語るのは、同社の徳山孝仁常務取締役だ。

勇心酒造

徳山孝・現社長の長男として生まれた孝仁氏は、幼い頃から酒蔵を遊び場として育った。
「積んである酒箱の上に登って叱られることはしょっちゅうでしたね。造り酒屋の長男ということもあって、子ども時分にもなんとなく将来は家を継ぐことになるんだろうなという気持ちはありました」

だが、社長であり研究者でもある父の経営方針は、普通の造り酒屋とは大きく異なっていた。1972年、孝氏は社長就任と同時に、研究開発に力を入れる。それも、日本酒の改良ではなく、発酵技術の総合的な利活用を進めることを宣言したのだ。
「従業員10人くらいの小さな造り酒屋で、父一人だけが研究開発をしている。何やってんだろうねと言われていました」

80年代後半、製薬会社と組んで入浴剤を開発。これがそこそこ当たり、ようやく一つ目の成功事例が生まれた。だが、その入浴剤が終売すると経営は大きく傾く。ちょうど孝仁氏が大学受験に差し掛かった頃のことだった。
「進学して家を離れましたが、卒業まで家業が続いているとは思えませんでしたね」と回想する。

複雑なものを複雑なまま捉える

勇心酒造

父親の勧めもあり農学部に進学した孝仁氏は、そこで分析化学と出会う。それは、幼い頃から慣れ親しんできた発酵とは真逆の世界だった。
「科学的なアプローチって、現象をとことん細分化、単純化して、化学式やエネルギーの法則など、人が理解できる形まで落とし込むものですよね。それに対して、発酵は複雑な現象を複雑なまま捉えるものなんです」

孝仁氏には忘れられない体験がある。18歳頃、酒蔵の杜氏を相手に、覚えたばかりの知識を得意げに披露した。
「このタンクのなかで、麹がデンプンを糖にして、それを酵母がアルコールにしてっていう反応が起こってるんだよね」
すると、老齢の杜氏はこう返した。
「馬鹿言え。そんな簡単なことだったら酒の味なんて、どこでつくっても一緒になる。俺たちはうまい酒をつくってるんであって、アルコールをつくってるわけじゃねぇ。何がどんな反応でそうなってるのか、お前分かるのか?」

若き孝仁氏は言葉を失った。
「はっとさせられましたね。発酵プラントのなかで起こっている反応は、何万何億とある。それが温度や微生物のほんのちょっとした変化で、大きく変わっていく。政治の世界を方程式で書けないのと同じです」

世界最高の技術で新素材を作り出したい

95年、孝社長は、いまなお主力商品である米発酵エキス「ライスパワーNo. 11」を開発する。発売と同時にその優れた効果が波紋を呼び、経営は改善へ向かった。その3年後、孝仁氏は入社し、孝社長から奥深い発酵の世界を徹底的に学び取った。
そのうち、ライスパワー部門の売り上げが、酒造部門のそれを上回るようになり、いつしか化粧品メーカーとして紹介されることも増えてきた。

勇心酒造

だが、孝社長も孝仁常務も社名を変えるつもりは毛頭ない。

「創業から170年たちますが、そのうち120年以上は酒造りだけをやってきましたから。いまは米と発酵で機能性素材をつくっていますが、米のポテンシャルを発酵で引き出すことについては同じことをしている感覚なんです。むしろ美味しいものだけにこの技術を使ってきたのがもったいないくらい。発酵というとお酒や味噌を作るためだけの技術だと思われがちですが、決してそうではなく、発酵はあくまでも技術なんです。できるかどうかは別としてコンクリートをつくるために発酵を使うという発想をしても本当はいいんです」

勇心酒造

発酵は日本の誇るべき技術だと、孝仁常務は言葉を続ける。
「いろいろなところに応用されているという意味で、技術の幅は日本がダントツです。そのなかでも酒造りは最高峰の技術だと思います。もちろん人それぞれ好みがありますから、ワインのほうが美味しいという方もいるかもしれませんが、技術の複雑さ・高度さでいくと、日本酒は世界トップレベルです。世界の歴史において、お酒にはずっとニーズがありましたから、1000年以上もかけて多くの知恵がそこに累々と加わっている。その粋を極めたのがいまの日本酒なんです」

勇心酒造

複雑なものを複雑なまま捉える。あるいは、さらにその複雑さを増すなかで新たな可能性を追求する。シンプルさを追求する科学が全盛の21世紀の今日、その視点は貴重だ。その技術を活用すれば、困難とされてきた社会課題の多くも、解決に導けるかもしれない。

「新しい発酵法に挑戦できれば、少なくともほかでできなかったことができるようになる。そのなかには、世の中の役に立つものがいくつか生まれてくるのではと思っています。ライスパワーでさえ技術開発が始まって50年そこそこ。お酒に比べれば、ほんの生まれたばかりの技術ですから、伸びしろはまだまだあるはずです」

微生物の種類、その餌となる食品の種類、そして条件や環境の違い。発酵の組み合わせは、文字通り無数にある。科学の目と酒造りの哲学を身につけた孝氏と孝仁氏率いる勇心酒造から、当分目が離せそうにない。

※所属・役職は取材時のものです。

徳山 孝仁 徳山 孝仁
勇心酒造株式会社 常務取締役徳山 孝仁(とくやま たかひと)

1974年、香川県生まれ。東北大学農学部、東京大学大学院農学生命科学研究を卒業。98年、勇心酒造に入社。研究開発部、商品開発部を経て、研究職から商品開発に至るまで幅広い業務に携わる。

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