頑張りすぎている人たちが『もう無理』と言える社会を。
人気キャスターが想いに寄り添う地道な活動にシフトした理由

最愛の妻・奈緒さんを乳がんで亡くして約3年半。
“シミケン”こと、清水健さんは今、テレビの表舞台から去り、男手一つで息子さんを育てながら、乳がんの啓発などに関する講演活動や各種団体の支援活動などに尽力している。
華やかなテレビの表舞台から、地道な活動にシフトした清水さんの“想い”に迫る。

僕にしかできないことを選択

シミケンがキャスターを辞める―そんなニュースが駆け巡ったのは、2016年の年の瀬のことだった。関西地方の夕方の顔としてお馴染みだった清水健さんが、報道番組『かんさい情報ネットten.』を降板し、十数年にわたり所属した読売テレビをも退職してしまうのだから、関西圏の人たちにとっては、残念の一言に尽きる出来事だった。

ただ、その決断は、広く理解もされていた。降板の2年前、清水さんは最愛の妻、奈緒さんを乳がんで亡くした。妊娠中に乳がんが発覚しながらも、出産を決意した夫婦の絆や闘病の記録、無事に生まれた息子さんへの想いなどは、著書『112日間のママ』(小学館)としてまとめられ、15万部のベストセラーとなった。

もっとも、退職は、決して奥さんの死を悲観してのことではない。むしろ、亡くなった後も、がんと戦い続けるために決めたことだった。

『112日間のママ』の発刊以後、清水さんのもとには全国から同じような状況に悩む人たちからの講演依頼が殺到。さらにがん撲滅や入院施設の改善、難病支援に取り組むべく、「一般社団法人清水健基金」を立ち上げるなど、キャスター以外の活動も増えていた。

清水 健

「しかもシングルファーザーとして息子を育てているのですから、休む暇もありません。さすがに体がもたず、体重が20㎏も減っていました。自分の異変が子に伝わったのでしょう。帰宅しても息子が私に近寄ってこない時期もあり、自分が限界だということに気付かされました」

何かをやめるべきだと考えたとき、父親と講演は自分にしかできないが、キャスターならば僕でなくてもできるという結論に達した。大学時代からアナウンサーを目指して自分を磨き、念願の読売テレビに入社した清水さんにとって、苦渋の選択ではあった。しかし、この1年半、画面の向こう側にいるだけではわからない、たくさんのモノを得られ、夢を捨てる以上の大きな収穫が得られたと振り返る。

『もう無理』が言える社会を

退職後は一般社団法人清水健基金の代表理事として、各種団体・個人の支援活動に専念。奈緒さんの最後の場所であり、小児がんと闘う子どもたちと家族を支援する「チャイルド・ケモ・ハウス」、京都大学の「iPS細胞研究基金」など20団体近くに寄付を行っている。

講演活動もいっそう精力的に展開し、その数は2年半で200回近くに達した。清水さんの講演には、一つの特色がある。終了後、清水さん本人がロビーに立って、来場者一人ひとりと交流をしていくのだ。

清水 健

「僕と話をすることで、来場された方の心が少しでも楽になったらいいなと思って続けています。『そこまでする必要はないのではないか』との声もあるのですが、実際、講演会場にいるとびっくりするくらい多くの人が我慢されていることに気付いて、これはなんとかしたいと背中を押されました」

例えば、ある講演会で出会ったご夫婦。ロビーに立っていた清水さんの前で、旦那さんが涙ながらに奥さんが乳がんを患っていると告白した。横にいた奥さんにとっては驚きの光景だった。夫が自分のことで涙を流す様子を初めて見たからだ。

「僕との対話を通して、お互いに我慢しあっていることに初めて気づいたんです。これをきっかけにお互いに頑張ろうという気持ちが湧き上がってきたとの声を聞くと、一つでも二つでもこういう場所を増やしていきたいと考えますよね」

来場者の想いに触れることにより、清水さん自身にも変化が訪れた。キャスターとして表舞台に立っていた清水さんは弱みを見せず、どこか虚勢を張っている節があった。実際、番組では奥さんの病状には一切触れないでいた。しかし、今は弱い自分を表に出すこともできている。周囲にも自然と自分が〝いっぱいいっぱい〟だと漏らすことができている。

「我慢している人をたくさん見たことで、格好をつけていても仕方がないということがわかりました。『もう無理』と言える社会でなくてはならない。ならば僕も弱さを我慢しなくていいのではないかと思うようになりました」

医療機器が想いを体現する

清水さんの話には、“想い”という言葉がよく登場する。家族や友人、心の中に生きている人など、多くの人を想いながら我々は生き続けている。一人ひとりの想いを大切にしたいから、講演の場でもロビーに立つ活動を続けているのである。

今回の取材にあたり、清水さんには島津製作所の本社、三条工場の医療機器ショールームを見学してもらった。さまざまな機器が並ぶフロアで、もっとも長く立ち止まっていたのは乳房用PET装置『Elmammo』の前だったが、これに“想い”を感じたと語る。

清水 健
痛みのない検査を目指した島津製作所の乳房用PET装置『Elmammo』

「ピンク色で包まれ、とても医療機器とは思えない、かわいらしいデザインを見て、検査に臨む人の不安を少しでも取り除こうという技術者の“想い”が伝わってきました。妻との闘病生活の頃にこうした機器があったら、心の余裕が生まれたかもしれません」

奈緒さんもPET検査を受けたという。そのとき、全身にがんが転移している事実が判明した。だから、清水さんにとってPETは決していいイメージがなかった。しかし、医療機器独特の冷たさを消し去る『Elmammo』を前に、PETは命を助けるものだとの前向きなイメージを持つことにつながったという。

こうして得たさまざまな情報の発信源として、清水健基金という場を活用していく考えだ。

清水 健

「私たちのもとには島津製作所のようなメーカーはもちろん、支援団体やボランティアグループなど、さまざまな人たちの想いが寄せられています。点と点だった想いを線でつないでいく、ハブや接着剤のような存在として、これからも活動を続けていきたいですね」

一方で想いをより広く発信する方法を模索しており、テレビでの活動再開という選択肢も視野に入っている。キャスターを辞めてテレビの外を見てきた清水さんならば、乳がんなどの病を我慢してきた人たちの想いを、飾りなく伝えられるのは間違いない。しかも、シングルファーザーとしてお子さんと過ごした濃密な時間も、かけがえのない財産となっている。

「子育て中のシングルファーザーも、シングルマザーも、両親が健在のご家庭も、未だ旧態依然とした日本の社会のなかでは、やはり我慢をしているところがたくさんあります。本当にそうするかどうかは別として、ニュースを読んでいた僕が『子どもが熱を出したので帰ります』と番組を後にしたら、それを見て、ずいぶん楽になる人も多いのではないでしょうか」

我慢しなくていい。無理と言っていい―頑張りすぎている人たちに、それが許される社会が来れば、人は重荷から解放されて、笑顔でいられるはずだ。

清水さんの左手の薬指には、今も結婚指輪が光っている。自分を笑顔にしてきた奈緒さんとともに、シミケンは笑顔でいられる世の中作りのために走り続ける。

清水 健 清水 健
清水 健(しみず けん)

1976年生まれ。大阪府堺市出身。中央大学文学部社会学科卒業後、読売テレビ放送に入社。キャスターとして様々な番組で活躍する。2009年~2017年までは報道番組『かんさい情報ネットten.』のメインキャスターを務める。妻・奈緒さんはこの番組のスタイリストだった。2015年2月、奈緒さんは乳がんのために逝去。その3か月前には長男を出産している。現在は一般社団法人清水健基金の代表理事として、講演会や支援活動に尽力。著書に『112日間のママ』『笑顔のママと僕と息子の973日間』(ともに小学館)がある。

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