シリーズ挑戦の系譜マイクロプラスチックの抽出・回収工程を自動化した
世界初の専用前処理装置
開発の鍵は“環境問題への熱い想い”

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地球規模の課題として注目されているマイクロプラスチック。
その分析に欠かせない前処理の抽出・回収工程を世界で初めて自動化したのが島津製作所の「MAP-100」だ。
正確で安定した分析結果を得るために、重要な役割を担う自動前処理装置は、いかにして開発されたのか。

属人的な前処理を自動化

自動前処理装置MAP-100
環境表層水中のマイクロプラスチックを抽出するための自動前処理装置MAP-100

「マイクロプラスチックの前処理の手法を統一し、自動化できないか」

2019年、島津製作所とグループ企業内の有志が集まって結成されたマイクロプラスチック・プロジェクト。その初回顔合わせの場で、メンバーたちは考えを巡らせていた。このときから、世界初のマイクロプラスチック自動前処理装置「MAP-100」の開発が始まった。

マイクロプラスチックとは5ミリメートル未満の微細なプラスチックの総称。人体や生態系への悪影響が懸念されており、マイクロプラスチックだけでなく、そこに付着する有害物質の測定や分析が各国で進められている。

分析するためには前処理が不可欠だ。海や河川などの環境水からゴミや不純物を取り除き、極小サイズのプラスチックを抽出・回収する。この工程は各国にガイドラインはあるものの、手法は統一されておらず、また手掛ける人の技術レベルによって、分析結果に差が生じるなどの懸念があった。

安居 嘉秀
環境経営統括室 安居 嘉秀

「属人性を排除し、装置による自動化が実現できれば、マイクロプラスチックの研究や対策に、大きな助けとなるはず」
環境経営統括室の安居嘉秀には確信があった。

「いいねえ」と答えたのは、分析計測事業部技術部長(当時)の前田愛明。同事業部環境ビジネスユニット(BU)長(当時)の上田雅人も大きくうなずき、ペンを取ると、さらさらと装置の構想図を描き始めた。その時点では、まだラフ案に近いものだったが、それ以降、マイクロプラスチック研究に携わる多くの技術者、研究者へのヒアリングを行い、手法に共通する部分を抽出。構想を具体化し、図に落とし込んでいった。

この図がベースとなり、翌2020年には試作機を完成させた。社外の複数の研究者に使ってもらい、高評価を得ると、チームの意気は大いに揚がった。これまで人によって異なっていた前処理の工程を自動化したことは、手間を低減するだけでなく、分析の前処理条件を揃え、信頼できるデータに導くことにもなる。それは、急激に社会課題としての認知が広がるマイクロプラスチックの実態をつかむうえで、大いに役立つものだった。

しかし、マイクロプラスチック・プロジェクトは、部署横断の勉強会に近い位置づけで有志が集まってスタートしたため、どの部門がイニシアティブを取って製品化するのか、そもそも製品として成立するのかなど、多くの課題があった。

ISO化を見据えて開発が加速

井上 信介
分析計測事業部 技術部 セパレーションG グループ長 井上 信介

「なんとか人を集めて試作機を作りましたが、製品開発はどこかのBUに委ねるしかないと思っていました」
分析計測事業部技術部で、現在はセパレーションGグループ長を務める井上信介はそう明かす。そんななか、開発の主体として白羽の矢が立ったのが、環境BUだった。

髙田 修嗣
分析計測事業部 環境BU ビジネスユニット長 髙田 修嗣

「当社には測定装置を手掛ける部署はいくつもありますが、前処理装置を開発する部署はそれほど多くありません。われわれは環境関連の水質やガス濃度測定用前処理装置を扱っていることから、担当することになりました」
と語るのは環境BU長の髙田修嗣。BUでは市場調査から企画、製品開発まで一貫して担うことが多いが、「市場規模の見極めがつかないものを手掛けるのは初めてでした」と振り返る。

環境BUがメイン部隊となることは決まった。だが、組織規模の大きくない環境BUだけでは、製品化までを一手に担うことは困難だった。

「機械設計や電気設計、ソフトウェア設計者が連携して開発するのが常ですが、人材確保に苦心しました」と安居は当時を振り返る。それは、彼らがそれぞれに“本業”を持っているからだ。

「環境問題への熱い想いを持った人が集まっていましたが、本業でも重要な仕事を任されている人が多く、時間管理と情報共有に苦労した余裕のないプロジェクトでした」

と井上が振り返るように、このプロジェクトに専念できるメンバーはほとんどいなかった。自動前処理装置の起案を行ったメンバーが社外に出向するなど、人材の入れ替わりが激しい状況であった。

しかしメンバーは「前処理のISO規格は日本から提案すべきだ」と声を上げた。マイクロプラスチック測定法の国際標準化タスクフォースで、サンプリングなどの手法だけでなく、前処理についてもISO規格を定めようという機運が高まっていた。これがプロジェクトの歯車が大きく動き出すきっかけとなった。

池澤 由雄
分析計測事業部 環境BU 製品開発G 主任 池澤 由雄

「ISOの審議には製品が必要なため、急遽、2023年の3月までに製品を出すことになりましたが、製品化までの期間は実質半年ほどしかありませんでした」

製品開発のリーダーを務めた環境BUの池澤由雄は振り返る。ISO化の取り組みと並行して製品化も進めるという、島津製作所としても前例のないプロジェクトが走り出した。

海洋中のマイクロプラスチック その発生源と内訳 世界の海に流出する一次※マイクロプラスチック
※工業用研磨剤やスクラブ剤などに原料として使用されるものを指す。大きなプラスチック製品が紫外線等の外的要因により微細化したものは二次マイクロプラスチックと呼ばれる。
マイクロプラスチック問題は、国連が2015年に採択した持続可能な開発目標(SDGs)にも大きくかかわっている。海洋地球研究船「みらい」による観測によると、太平洋側北極海(チュクチ海)全体のマイクロプラスチックの総量は33億個と見積もられている。また、国際的な研究チームが発表した分析結果によると、世界中の海に浮かんでいるプラスチック粒子は最大500万トン近くに達しており、人体や生物への影響は計り知れないとされている。

チーム一丸で世に送り出す

与えられた開発期間は約6か月。異例の短さだったが、試作機はすでに形になっており、実際に大学の研究室でも稼働し、フィードバックも得ている。「なんとかする」という強い思いがメンバーの間にはあった。ただ、2022年6月からプロジェクトに加わった技術部の土岡伸嘉は、現状をより厳しく見ていた。

土岡 伸嘉
分析計測事業部 技術部 エレクトロニクスG 主任 土岡 伸嘉

「試作機には改善点が複数あると思いましたし、チームのみんなが、まだ同じ方向を見られていない混沌とした状態に危機感を持っていました」(土岡)

川原 和美
分析計測事業部 Solutions COE グリーンソリューションユニット環境G 副主任 川原 和美

検証を担当した分析計測事業部Solutions COEの川原和美も「まだ世にない製品の開発という、何が正解かわからない、暗闇のような状況のなかで答えを導き出すのは、地道で泥臭い作業でした」と語る。

わずか半年で製品化にこぎつけるという強行スケジュールのなかでも、自らの強みを「問題解決能力」だと言い切る土岡は、その状況に対して、逆に燃え上がってくるものを感じていた。

「マイクロプラスチックは国際的な環境問題で、非常に意義のあるプロジェクトです。その課題に立ち向かうわれわれの試作機はすでに専門家に評価されている。あとは、やるべきことを整理して、チームで向かう方向を揃えるだけでした」(土岡)

所属部署や専門分野がそれぞれ異なるとはいえ、もともと環境問題への志や、製品に対する強い想いを持ってプロジェクトに手を挙げた者ばかりだ。コミュニケーションを重ねていくうちに、力を合わせて製品化を目指すよい雰囲気がチームに広がった。製品開発にゼロから携わるのは初めてだった川原は「正直しんどかったですが、いま思えばすごくいい経験でした」と表情を和らげる。

とはいえ、限られた時間のなかでの完成はやはり簡単ではなかった。

「2023年の年始には、3月の市場投入は難しいことが判明しました。このことは、ISOの会議が迫っているというプレッシャーを強める一方で、自分の中での推進力になった側面もあったのかもしれません」

とリーダーの池澤は振り返る。最後はメンバーだけでなく関係者全員の力を集結させ、2023年8月、マイクロプラスチック自動前処理装置「MAP-100」は完成し、発売された。

「ISOの会議に展示することができ、国際的にも島津製作所がマイクロプラスチックに対して本気で取り組む姿勢を示せました」と池澤は胸を撫でおろす。早速、欧州の研究者からも問い合わせが入っているという。

国内の展示会に出展すると、マイクロプラスチックの研究者・調査関係者から、「こういうものが欲しかった」と声を掛けられることが多くなった。注目されることの少なかった前処理の工程にフォーカスし、正面から向き合ったことが、潜在的なニーズを掘り起こしたといえるだろう。安居も「マイクロプラスチックなら『島津』と言われるようになるためのドアオープナーとなってくれる製品」と期待を寄せる。

勉強会から始まったプロジェクト。しかし志高く集まったメンバーたちの、妥協のない姿勢が、新たな世界の扉を開けた。

開発にあたったプロジェクトメンバー
開発にあたったプロジェクトメンバー。
前列左から、分析計測事業部 環境BU ビジネスユニット長 髙田 修嗣、分析計測事業部 Solutions COE グリーンソリューションユニット環境G 副主任 川原 和美。後列左から分析計測事業部 技術部 エレクトロニクスG 主任 土岡 伸嘉、分析計測事業部 技術部 セパレーションG グループ長 井上 信介、分析計測事業部 環境BU 製品開発G 主任 池澤 由雄、環境経営統括室 安居 嘉秀。

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この記事の編集こぼれ話「勉強会から始まったプロジェクト」

※所属・役職は取材当時のものです

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