プラネタリウム・クリエイター
大平貴之氏が語る、プラネタリウムが持つ力

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壮大な宇宙から見れば、地球も小さな点の一つに過ぎない。
プラネタリウムには、そんな思いを抱かせる力がある。
世界的プラネタリウム・クリエイター大平貴之氏の思いを聞いた。

小学生でプラネタリウムを自作

大平 貴之

頭上を覆うドーム状の天井いっぱいに、無数の星々がきらめく。プラネタリウムは、大人から子どもまでそれぞれに日常の喧騒を忘れる癒しと、宇宙への憧れを与えてくれる。

大平貴之さんは、プラネタリウムを創る人、プラネタリウム・クリエイターだ。投影機の開発にはじまり、設置や投影に関するレクチャー、さらに星空の空間演出も手掛ける。これまで手掛けたプラネタリウムは国内外で40を超え、体験した人の口コミで評判が広がり、商業施設をはじめ業種、建物を問わず投影を望む声が後を絶たない。

大平さんが初めてプラネタリウムに出会ったのは小学生の頃。地元の川崎市青少年科学館(現・かわさき宙(そら)と緑の科学館)で、「富士山山頂からの星空」を鑑賞した。

「立体的に投影される映像空間にぐいぐい引き込まれてしまいました。本や勉強で得た数字だけの知識とは違って、星が無数にあるということを体感できて感動しましたね」

当時、大平さんはモノづくりや科学実験が大好きで、学校の図書室にあった科学実験の本を読んでは、片っ端から実験していたという。一時は親から“実験禁止令”が出されるほどののめり込みよう。そんな大平さんがプラネタリウム鑑賞をきっかけにプラネタリウム製作に興味を持つのは必然だった。

思うが早いか、すぐに材料を集め、小学4年生で卓上のピンホール式プラネタリウムを完成させた。小さく星座をなぞって穴を開けた投影球に光源を入れると、部屋の天井に星空があらわれた。簡易な作りながらも上出来で、家族からも好評だったという。

「作れたことも嬉しかったですが、なによりも観た人が喜んでくれたのが嬉しかった。当時は意識していませんでしたが、人に披露することが一番の楽しみだったのかもしれませんね」

「披露したい」から「喜んでもらいたい」へ

その後も大平さんは、次々とプラネタリウムを生みだしていった。開発の根底にはいつも、観客の心が震えるような感動を伝えたいという思いがあった。

その情熱が一つの頂点に達したのは1998年。のちに大平さんの代名詞ともなる「MEGASTAR」の開発だ。半導体の微細加工に使われる技法を応用し、実に170万個もの星の投影に成功した。もっとも暗い星は11.5等級で、もはや着座位置から肉眼で確認することはできない。だが、そんな星々が無数に集まることで織りなす天の川の圧倒的な没入感は、アートと呼ぶにふさわしい美しさだった。

2000年、表参道の美術館を使った「MEGASTAR」の初公開は、そのアート性を生かしたものとなった。これまでのプラネタリウムの「定番」だった星座や宇宙の歴史といった解説をなくし、かわりに波や風の環境音をBGMにするというスタイル。プラネタリウムの新市場を生み出そうとする大胆な挑戦だった。

そんななか、ある現場スタッフがこう尋ねた。
「あのぼやーっと映っているのは何ですか?」
スタッフの指の先には天の川があった。大平さんははっと驚き、そのもやもやしたものは天の川で、我々が住む銀河を内側から見たものだと構造を丁寧に説明した。すると、スタッフの目は、みるみる輝きを増し、感動で声をうわずらせたという。

「彼女のなかで、宇宙が具体的なイメージを持ったんです。ただ綺麗なだけでなく、宇宙が現に存在し、しかも自分もまたその中にいると気づいた。その実感が、感動をより大きくするんだなと思ったんです」

些細なやりとりだったが、この経験がきっかけとなり、星や宇宙を精密に再現した自身のこだわりを観てもらいたいという気持ちから、観客にもっと喜んでもらいたいという思いが強くなっていったという。クリエイターとして大きな転機だった。

プラネタリウムが世界を変える

大平 貴之

2005年、世界初となる家庭用光学式プラネタリウム「HOMESTAR」を世に送り出した。プラネタリウムは専門の施設で観るものだという固定観念を取り払い、一般家庭で宇宙の旅を楽しむことを可能にした。

きっかけは共同開発メーカーの担当者がもらした「仕事で疲れていた帰り道、ふと星が観たいと思ったんです」という言葉だった。

家庭というこれまたプラネタリウムにとっての「新市場」の反応は予想がつきにくく、当初、プロジェクトでは1000台も売れれば御の字としていた。だが、その予想は大きく外れ、実に170万台を売り上げる大ヒット商品となったのだ。

これ以降も大平さんの創り出すプラネタリウムは、ドーム球場、列車内、航空機内など様々な場所で星空を演出し、観る人を魅了していった。企画はクライアントからの持ち込みが多く、そのたびに実現に向け彼らと真剣に模索を続けてきた。思いもよらない業種からの依頼や企画の連続で簡単なものではなかったが、そのたびに大平さんは胸を弾ませたという。そしてこれからも身近に星空や宇宙を体感できる空間を増やしたいと夢を語る。

「宇宙は、僕たちが住んでいる世界の一番外側にある自然。目の前の事柄をすべてすっ飛ばして視野を宇宙にまで広げることで、善悪にとらわれて判断のつかない問題から、一時的に気持ちを解放することができると思うのです。社会には、紛争、組織のトラブル、個人のいざこざなど、さまざまな問題があります。でも、それらも同じ一つの宇宙の出来事なのだと星空は語りかけてくるような気がするんです」

もし、駅のコンコースや商業施設、温泉など日常で利用する場所にプラネタリウムが設置され、すべての人が身近に宇宙を感じられる社会が訪れれば、人々の意識が変わることになるかもしれない。

「新幹線や飛行機で移動しているとき、窓の外に富士山が見えると、自分はいま日本にいる、日本人なのだと認識することがあるでしょう。同じように、星空を見て銀河系の一員であることを思い出してほしいです」

※所属・役職は取材当時のものです。

大平 貴之 大平 貴之
大平 貴之(おおひら たかゆき)

プラネタリウム・クリエイター。有限会社大平技研代表取締役。1996年日本大学大学院理工学研究科精密機械工学専攻を修了後、大手メーカーに入社。2005年有限会社大平技研を設立し、代表に就任。2005年日本イノベーター大賞優秀賞、2006年文部科学大臣表彰 科学技術賞など受賞多数。著書に『プラネタリウムを作りました。―7畳間で生まれた410万の星』(エクスナレッジ)、『プラネタリウム男』(講談社)など。前者はテレビドラマ化もされた。

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