Special edition“Up to me”

目の前のものを全力で好きになる。
山田五郎さんに学ぶ仕事への向き合い方

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テレビで披露する博識な姿が印象的な山田五郎さん。
その背景には、目の前にあるものを全力で好きになる、という仕事に向かう姿勢があった。

仕事とは好きになって楽しむこと

私は美術や街歩きといった趣味性の強い分野の仕事が多いせいか、好きな仕事ができてうらやましいと言われることがたまにあります。悪い気はしませんが、実はやや心外でもあるんですよ。というのも、私自身は好きな仕事をやっているというより、頂いた仕事を好きになってきただけだと思っているからです。

好きなことは生まれつき決まっていたり偶然に出会ったりするものだと思いがちです。でも、本当にそうでしょうか?苦手な食べ物を我慢して食べているうちに大好物になった、なんて話もよく聞きますよね。好きなことは、実は努力して作ることもできるんですよ。むしろ何もしなくても好きになることの方が難しい。どこで出会えるかわからない好きな仕事を探すより、与えられた仕事を好きなことに変えていく方が、はるかに簡単かつ確実ではないでしょうか。

私にそう思わせてくれたのは、雑誌編集の仕事でした。どんなテーマを担当させられても、本気で好きにならなければ、読者に納得していただけるページは作れません。嫌いでもやるのが仕事だとよく言われますが、雑誌編集者の場合は好きになること自体が仕事なのです。実際、好きになろうと努力すれば、大概のことは好きになれました。好きになれば楽しくなるし、楽しくなれば詳しくもなる。私がいろいろなことに詳しそうに見えるとしたら、それは雑誌編集の仕事を通じていろいろなことを好きになり、楽しんできたからだと思います。

雑誌編集に限らず、どんな仕事でも何らかのやり甲斐や面白みは絶対にあるはずなんです。だから好きになれないはずがない。仕事が好きになれないと悩んでいる方の話を聞くと、実は仕事そのものではなく人間関係や待遇に不満があることが少なくありません。それなら仕事自体を好きになって、同業他社に転職すればいい。人や組織は変えられなくても、自分を変えることはできるのですから。

最近は仕事よりプライベートを大切にする人が増えていますが、その背景に「仕事は楽しくなくていい」という割り切りや諦めがあるとしたら残念です。仕事もプライベートも両方楽しい方がいいに決まっているではないですか。仕事は我慢するものではなく楽しむもの。そう考えた方が生産性も上がり、自分にとっても社会にとってもプラスになります。

オーストリア遊学で西洋美術を体感

偉そうなことを言いましたが、要するに私の場合、自分の好きなことを見つけようともせず、単にその場の成り行きに流されて生きてきただけとも言えるでしょう。

高校時代に『俺たちに明日はない』といったアメリカン・ニューシネマや『去年マリエンバートで』などヌーヴォー・ロマン系と呼ばれた小難しいフランス映画が好きになったのも、仲間内で流行っていたから。その流れで、映画論の授業がある大学をいくつか受けて、たまたま受かった上智大学に進みました。

ところが一般教養で受講した「バロックの文化と芸術」という輪講に影響されて、今度は西洋美術史に興味が湧いてきた。でも上智には美術史専門の学科がなかったので、どうしたものかと担当教授に相談したら、本場に留学すればいいではないかと勧められたんです。ちょうどその頃、オーストリアのザルツブルクにあるアメリカ系カレッジと上智が提携。そこで単位を取れば留年せず卒業できるということで、言われるままに1年間、留学というより遊学しました。

山田 五郎

なぜ遊学かというと、行ったら行ったで向こうの先生に「美術史は作品の現物を見るのがいちばんの勉強だから」とヨーロッパ中の美術館や教会を見て回ることを勧められ、格安鉄道パスで旅行ばかりしていたから。ここでも言われたことに従っただけですが、結果としてすごく勉強になりました。

当時、東欧は共産圏でしたから西欧だけなのですが、それでも100以上の施設を訪れました。どの美術館もいまほど混んではおらず、毎日来る変な日本人は目立ったせいか、学芸員さんが声を掛けてくれて倉庫まで見せてもらったことも何度かあります。そうやって数えきれないほどの作品を見ていくうちに、絵の善し悪しや真贋がなんとなくわかってきて、ますます美術が好きになりました。

それで帰国後に美術書を出している出版社をいくつか受けたのですが、たまたま受かった講談社では雑誌編集部に配属されて…。それでも目の前の仕事を好きになっていくうちに、気がつけば自分が美術史の本を書いたりYouTubeで美術を語ったりするようになっていた、というわけです。

流されるままに生きてきた結果にすぎないとはいえ、今こうやって美術を語ることができているのも、遊学先の恩師に言われたままに数多くの作品を見てきたお陰。美術に限らず世の中には、数をこなさなければわからない、いわく言いがたい感覚があるんですよ。これは根性論でも気のせいでもなく、厳然たる事実だと思います。

数をこなして感覚を磨く

何年か前に『銀座百点』というタウン誌で、銀座の寿司の名店を取材して回りました。そのときに名人と呼ばれる方々が口をそろえて仰っていたのも、「握りは数をこなさないと上手くならない」。昔の職人さんは“つけ場”に立つ前に、裏で出前用の寿司をひたすら握らされたそうです。そうやって数をこなすうちに、米粒の数まで同じに握れるようになるのだと。

『タモリ倶楽部』という番組でネジの問屋さんを訪ねたとき、そこのご主人は実際に手の感覚だけで言われた数のネジを掴んで見せました。で、我々も挑戦してみたら、一時間ほど続けただけでも意外なほど上達できたんですよ。人間の感覚って、本当にすごいと思いましたね

先端技術を支える東京の町工場を紹介するMXテレビの番組でも、何度も驚かされました。完璧につくられたはずの機械が、なぜか正常に動作しない。そのこと自体も不思議ですが、熟練の職人さんがちょっと手を加えただけで途端にうまく動き出すのは、まさに魔法のようでした。どこをどうしたのか伺っても、大抵は「なんとなく」とか「勘だよ」としか返ってこない。語彙が乏しいわけではなく、そうとしか答えられないのです。数をこなすことで体で覚えた感覚は、数値化も言語化もできませんから。AIがどんなに進化しても、近似値しか得られない。

そのような数値化できない経験値は、ものづくりだけでなく、営業から美術鑑賞まで、どんな分野にもあるはずです。IT化が進んでいろんなことが便利になる反面、実物に触れて数をこなす機会が減っていくのは、その点でちょっと心配ですね。

英語も西洋美術も敷居が高いはずがない

『オトナの教養講座』と銘打って西洋美術を紹介するYouTubeの番組を配信しています。教養とか美術とかいうと堅苦しいお勉強のイメージがありますが、むしろ逆。どちらもいわば娯楽であって、無理に勉強するものではありません。

私は英語と美術をお勉強の対象にしてしまったことが、近代日本の大きな過ちの一つだと思っています。

山田 五郎

英語はただの道具ですよ。日本人が英語ができない原因は、日本語の特殊性でもシャイな国民性でも教育の問題でもなく、単に使う必要がなかったから。これから国内市場が縮小して海外に出るしかなくなれば、嫌でも話すようになるでしょう。あるいは自分から好きで学ぶだけでも、普通に話せるようになるはずです。英語圏では誰だって話せているわけで、頭の善し悪しは関係ない。下手に受験科目にして苦手意識を植え付けるから、できるものもできなくなってしまうのです。

一方、美術がお勉強になってしまった一因は、皮肉なことに美術館にあると思います。美術館は一部の権力者が独占していた作品を万人に公開してくれた反面、本来は日常的な娯楽だった美術をガラス越しに学ぶ教養に変えてしまったのです。私はよく「絵の見方を教えてください」と聞かれますが、そんなの、好きに見ればいいんですよ。いろんな作品を見て数をこなしていくうちに、自然と自分の見方が確立してきますから。

そうなったら、次は自分で買って家に飾ってみるのもいいでしょう。美術品は高価で手が出ないと思い込むのは間違いで、会社員のお給料で買える作品もたくさんあります。かつての王侯貴族と同じ楽しみ方を、いまは誰もができるのです。これこそが、本当の意味での美術の民主化だと思います。

失敗は財産

『オトナの教養講座』では、「ワダ」という20代前半の女性が聞き役を務めてくれています。彼女のいいところは間違いを恐れないことです。

長きにわたって経済が停滞し、減点法でしか評価されない社会になってしまったせいか、今の日本の若者は異常なまでに失敗を怖がりますよね。

飲食店でも映画でも展覧会でも世間の評価をネットで調べ、人気のあるところにばかり行列する。でも、それを繰り返しているだけでは、いつまで経っても自分自身の判断力は身につかず、一生、失敗を恐れながら生きていくことになりますよ。

失敗しない判断力は、失敗することでしか身につきません。失敗しないことを成功と呼ぶのなら、まさに「失敗は成功の母」なのです。

成功は時の運もありますが、失敗には必ず原因がある。ならばその原因を明確にして繰り返さないよう努めれば、二度と同じ失敗はしないはずです。ただし失敗の原因は人それぞれなので、他人の経験が参考になるとは限りません。あくまでも自分自身が失敗し、恥をかいて痛い思いをしなければ、実になる教訓は得られないでしょう。

人は成功より失敗から多くを学びます。そして若いうちの失敗は、比較的大目に見てもらえますし、取り返すことも容易です。歳を取ってから取り返しのつかない失敗をしたくないなら、若いうちにできるだけ失敗しておいたほうがいい。社会で成功している方の多くは、若い頃の手痛い失敗談をお持ちです。私の好きな古美術の世界でも、駄作や贋作をつかまされた数だけ目が肥えると言われています。

愚かさを笑われたって、いいじゃないですか。それもまた、若いうちにだけ許される特権です。私くらいの歳になると、変に気を遣われて、笑ってももらえなくなりますから。その方がよほど辛いですよ。

もっとも、辛いからこそ同じ失敗を繰り返すまいと努力する気も起きるわけです。この歳になってもまだ失敗を糧に成長できるのは、むしろ幸せだと思います。いくつになっても失敗を恐れず挑戦していきたいですね。

※所属・役職は取材当時のものです。

山田 五郎 山田 五郎
山田 五郎(やまだ ごろう)

1958年、東京都出身。上智大学文学部卒業後、(株)講談社に入社。『Hot-Dog PRESS』編集長、総合編纂局担当部長等を経てフリーに。現在は時計、西洋美術、街づくりなど、幅広い分野で講演、執筆活動を続けている。『知識ゼロからの西洋絵画入門』(幻冬舎)、『銀座のすし』(文藝春秋)、『闇の西洋絵画史(全10巻)』(創元社)、『機械式時計大全』(講談社)など著書多数。『出没!アド街ック天国』(テレビ東京)ほか、TV・ラジオにレギュラー出演中。

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