
1894年(明治27)、創業者・島津源蔵の急逝により、
長男梅治郎が2代目島津源蔵として後を継ぎました。
2代目源蔵はわずか15歳で、電気の発生を実演できる感応起電機を
製作するなど早くから才能の片鱗を見せ、
後には「日本のエジソン」とも呼ばれるようになる稀代の発明家であり、
また、理化学器械の製造で始まった島津製作所を大きく発展させた実業家でもありました。
源蔵は、レントゲン博士によってX線が発見された翌年の1896年に早くもX線写真の撮影に成功。
1909年には国産初の医療用X線装置を開発します。
以来、島津は日本の医療用X線装置のパイオニアとして、
現代に至るまで確かな歩みを続けていくことになります。
また、X線技師を養成するため、1927年(昭和2年)には
木屋町二条の旧館(現在の島津製作所 創業記念資料館)を校舎として「島津レントゲン技術講習所」を開講。
現在は学校法人島津学園・京都医療科学大学として技術者を養成しています。
島津の歴史を語る上で欠かすことのできない蓄電池の事業化もこの頃でした。
源蔵の画期的な発明「易反応性鉛粉製造法」により蓄電池の国産化が可能になり、
この功績により源蔵は日本の十大発明家のひとりに選ばれました。
源蔵の頭文字をとった「GS」ブランドは蓄電池事業として大きく飛躍していきます。




1894年 | 初代源蔵の死去 2代目源蔵が所主となる |
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1896年 | X線写真の撮影に成功 |
1897年 | 蓄電池の製造を開始 |
1909年 | わが国初の医療用X線装置を完成 |
1915年 | 光学測定器の製造を開始 |