PFAS(有機フッ素化合物)への対応が、世界的な課題となっている。中国で2022年に公表された「重点管理対象新汚染物質リスト」には、PFASのうち代表的な3種類の化学物質——PFOA類、PFOS類、PFHxS類が記載された。中国におけるPFAS環境分析分野のリーダーの一人には、中国科学院生態環境研究センターの王亚韡研究員の名が挙げられる。中国科学院大学(国科大)と杭州市が共同で設立した国科大杭州高等研究院と、島津中国イノベーションセンターは新たな共同研究室の開所式を2025年4月末に予定しており、研究の次のステージへの飛躍を目指している。
中国における環境研究のフロンティア
中国科学院生態環境研究センターは1975年、生態環境分野で中国初の全国的な総合研究機関として設立された。同センターは、中国に限らず地球規模での環境問題解決を目指す環境科学の進展に、重要な役割を果たしている。その研究センターの中でも、政府から資金を得ている重点研究室の室長を務めるのが王研究員だ。


「私は長年にわたり、新たな汚染物質を分析する手法開発から環境での動態プロセスの解明と同時に、人への曝露メカニズムや健康への影響に至るまでの包括的な研究に従事してきました。また天然有機物質の新しい分析手法の創出や、環境界面プロセスに関する研究などにも携わっています」
PFASに関しては、2008年頃から研究に取り組んできたと王研究員は語る。具体的なテーマは、PFASによってもたらされる健康ダメージのメカニズム解明だ。この研究に関しては、これまでにいくつものプロジェクトが実施されてきている。
環境問題に対する関心の高まりを受けて中国では2019年に、中国科学院および浙江省政府の承認を経て、中国科学院大学(国科大)と杭州市が共同で、国科大直属の二級学院として国科大杭州高等研究院を新たに設立している。国科大杭州高等研究院が目指すのは、科学技術革新の推進と産官学連携の深い融合であり、また地域経済と社会に対する発展の支援も欠かせないテーマだ。なかでも重要課題と認識されているのが、地域環境保護と健康課題への対応だ。
PFASはどのように人にダメージをもたらすのか
課題解決のために王研究員は、国家自然科学研究基金の重点プロジェクト「典型的なペルフルオロアルキル物質及びポリフルオロアルキル化合物(PFAS)の生物蓄積代謝、人間への曝露および健康影響のメカニズム研究」を主導した。
「この研究では、質量分析、分子生物学(Molecular Biology)、計算毒性学(Computational Toxicology)を組み合わせて、PFASが体内に入った後の分布と変換法則の解明や、曝露による健康被害およびその潜在的な分子メカニズムを突き止める研究に取り組みました」
一連の研究による成果は確実に出ている。たとえば肺腺がん患者では健常者と比べて、明らかに高濃度のPFOAが検出されている。この事実を踏まえた動物実験の成果では、PFOAと細胞表面にあるタンパク質であるインテグリンの相互作用が、肺腺がんの進行にどのような役割を果たしているのかが明らかになった。
「ほかにも胎児や新生児など感受性の高い集団を対象とする曝露研究も行っています。この研究からは、妊娠後期におけるPFAS曝露が、胎児の出生体重に影響を与える可能性が示唆されています」

環境汚染物質の塩化パラフィンに関する研究では、環境中における塩化パラフィンの挙動や遷移メカニズムが精査された。これにより塩化パラフィンの環境中での動態が明らかになり、その潜在リスクが解き明かされている。これら一連の王研究員の研究を支えているのが、島津が提供する分析機器である。
「島津の分析機器は、ほぼ年中無休に近い状態で稼働しています。おかげで新たな汚染物質を相次いで発見できたり、汚染物質が健康被害をもたらすメカニズムの解析を滞りなく進められています」と王研究員は島津の果たしている役割を評価する。
機器を駆使して新たな分析手法を開発

研究室で使われているのは、LC-MS/MS2台、GC-MS/MS2台である。
「島津との協力によりPFASの新たな分析手法の開発においても、いくつかの重要な成果を挙げています。たとえばLC-MSを活用する56種類のPFASに対するハイスループットな分析法を開発し、特許協力条約(PCT)に基づく発明特許を出願しています。かつ、103種類のPFAS化合物を含むデータベース「PFAS MRM Database」を共同開発し、製品化しました。この分析法では高感度と低検出限界を実現しているので、1回のサンプル注入でハイスループットのPFAS分析ができるようになりました。また従来はGC-MSでしか分析できなかった化合物についても、質量分析パラメータとイオン源の最適化によりLC-MSでの分析を実現しています」
王研究員らはほかに、分子量が非常に小さい超短鎖PFASの分析法も開発している。超短鎖PFASは、環境中に広く存在し、環境問題が深刻化していることから、近年国内外の研究者の注目を集めている。特にトリフルオロ酢酸(TFA)は、さまざまな環境媒体において濃度が著しく上昇しており、他のPFAS化合物と比較しても高いレベルに達している。さらに、哺乳類毒性研究により、TFAには生殖毒性および肝毒性があることが確認されている。ところがこれまで超短鎖PFASを分析するのは難しかった。なぜなら親水性が強く極性も高い超短鎖PFASは、通常の逆相カラムでは保持できず、すぐに溶出してしまうからだ。

「超短鎖PFAS特有の課題を解決するために、SFCを活用できるのではないかと考えました。島津の協力を得たおかげで、SFC特有の分離選択性を活用する分析法、具体的には5種類の高極性超短鎖PFASに対する効率的かつ環境負荷の少ない分析方法を開発しました。SFCを活用する質量分析技術は、LC-MSでは対応の難しかった超短鎖PFASの正確な定量を可能にしてくれました」
環境問題は常に変化し続けており、新たな汚染物質が相次いで発見されている。複数の化合物による複合汚染がもたらす健康問題は、新たな研究の焦点となっている。一方では分析技術の革新により、従来は検出困難だった新規の汚染物質を正確に検出できるようにもなっている。今後はこうした新汚染物質の管理も重要課題となってくる。
共同研究室を立ち上げ、研究を次のステップへ
島津の分析機器を王研究員は「長時間使っても、高感度、高安定性、耐汚染性などに優れた性能を発揮してくれるので、新たな汚染物質の分析に適しています」と評価する。
「島津のアフターサービスとサポート体制はとても優れています。まず故障時の対応が迅速であり、専門的な技術サポートにより問題を適確に解決してくれる。定期的に検査を行って使用状況を常に把握した上で、メンテナンスに関する適切なアドバイスもくれる。おかげで装置を安定運用できています」
まもなく島津と国科大杭州高等研究院は、共同で新たな実験室を設立する。その狙いは島津の先進的な分析機器と技術を活用し、新汚染物質の環境動態や健康被害に関する研究を新たなレイヤーへと高めることにある。
「新たな実験室を通じて産官学連携を強化し、研究成果をより迅速に実用化していきたい。目指しているのは中国国内に限らず、全世界を視野に入れた環境問題の解決への貢献です。研究の強力な伴走者として島津製作所には、引き続き新たな分析装置の開発を期待しています。加えて、連携して研究に取り組むパートナーとして、ぜひ島津の今後の研究構想も理解しておきたい。そのうえで島津との協力関係から革新的な研究プラットフォームを構築し、専門人材の育成にまで取り組めたら理想だと期待を膨らませています」
化学大国ともいえる中国では、次々と新たな高性能化学物質が開発され続けている。その結果として新たな汚染物質がでてくる可能性も否定できない。だからこそ「重点管理対象新汚染物質リスト」(2023年版)が公表され、PFASを含む 14品目の物質が記載された。ほかにもマイクロプラスチックも管理対象物質として指定されている。
環境問題解決のために島津製作所は、中国においてさまざまなソリューションを提案し、その成果をグローバルにも展開していく予定だ。
※記事の内容および所属・役職は取材当時のものです。
