タンパク質を利用して脳の病気の発症を予測する

タンパク質を利用して脳の病気の発症を予測する

仏モンペリエ大学の研究者と島津製作所の欧州イノベーションセンター(以下、EUIC)は、血液中のタンパク質濃度を測定することで、アルツハイマー病やパーキンソン病といった脳の病気の発症を事前に予測する技術開発に取り組んでいる。

この100年で世界の人々の平均余命は2倍になり、今では多くの人が60歳の誕生日を迎えることができるが、数世代前は、これほどまで長生きできる人はわずかであった1。このような大きな変化が起きた主な要因は、様々な感染症の治療法が見つかったこと、そして、かつては体が衰弱していくのをただ見ていくことしかできなかった疾患が治療可能になったことである。しかしその一方で、寿命が延びたことにより、我々は新たな病気に罹患するリスクにも直面するようになった。加齢に伴って起こる病気の中で最も恐れられているものの一つに、脳の病気が挙げられるだろう。

実際、65~74歳の33人に1人がアルツハイマー病に罹患するとされており、85歳以上では、この割合が3人に1人まで上昇する2。パーキンソン病に罹患する人の割合はこれよりも少ないものの、主なリスク因子が加齢であることに変わりはない。これらの疾患を含む神経変性疾患の特徴は、健常な脳細胞が徐々に失われることである。

現代の医学においても、神経変性疾患を治療する方法がほとんどない。その理由の1つは、診断がついた時には手遅れで、治療がもはや奏効しない状態で見つかるからである。例えばパーキンソン病の場合、運動制御の障害など、目に見える症状によって診断が下されたときには、多くのケースで病状がかなり進行しており、ドーパミン神経細胞はすでに半分ほど失われている3

早期発見が可能となると、治療とまではいかなくとも、発症を防止したり細胞変性を遅らせたりする目的でひょっとしたら非常に効果があるかもしれない新薬を試験的に用いるなど、選択の余地が広がるだろう。このような状況を実現すべく、モンペリエ大学のChristophe Hirtz教授(https://ppc-montpellier.com/index.php/accueil-en/ )は、EUICの共同パートナーとなったのである。

Christophe Hirtz教授

Christophe Hirtz教授

「私と島津製作所の関係が始まったのは、2015年の米国質量分析学会でした。島津フランスから、臨床プロテオミクスの分野で私の研究室と一緒に仕事がしたいと、何度か連絡をいただいたのです」Hirtz教授はそう振り返る。

「共同研究を始めた当時、島津製作所は臨床プロテオミクスの分野で有名な企業ではありませんでした。私たちは、島津製作所の質量分析計の性能も知りませんでした」

臨床プロテオミクスは、生体内のタンパク質について研究するプロテオミクスという学問の一分野だ。ヒトゲノム計画によって、私たちの健康に重要な遺伝子が脚光を浴びるようになったが、この計画は同時に 、タンパク質もそれ以上に重要であることを明らかにした4。臨床プロテオミクスでは、病気の発症に関連があるタンパク質を同定・解析する。このような実験では、島津製作所のLCMS-8060のような質量分析計が重要な役割を果たしている(https://www.an.shimadzu.co.jp/products/liquid-chromatograph-mass-spectrometry/triple-quadrupole-lc-msms/lcms-8060/index.html)。

Hirtz教授は、島津製作所の機器を試してみたかったが、資金が不足していた。そこで教授は、満足できれば購入するという約束で、システムを有償で貸与してくれないかとEUICに持ちかけた。EUICは、この分野で最先端を走るHirtz教授と共同研究することに決め、条件を提示した。Hirtz教授は、島津からのオファーがこれ以上無いほどの好条件であったと振り返る。

「装置をお貸ししましょう、Hirtz先生」
「どのくらいの期間お借りできるのですか?」
「購入できるようになるまで、使っていただいて結構です」

実際のところHirtz教授は、使用開始して1年もしないうちに貸与された機器を購入した。現在、彼はLCMS-8060を2台保有しており、購入予定の3台目の貸与を受けている。

「私たちの目標の1つは、世界の顧客や研究者と社会課題の解決に向けた強力な共創関係を結ぶことです。私たちは彼らをお客様ではなくパートナーとして見ています。パートナーたちの研究をできる限り前進させるとともに、私たちの分析装置の性能を最大限に引き出すために協働しているのです」そう語るのは、島津ヨーロッパ法人のLCMS製品マネージャー兼EUICのプロジェクト担当、Stéphane Moreauである。

神経変性疾患はタンパク質の疾患である

神経変性疾患は、その特徴から、しばしば「タンパク質症」に分類される。この言葉は、脳細胞に特定のタンパク質が異常に蓄積するという意味を含んでいる。タンパク質の形態は多様であり、同じタンパク質でも様々な高次構造(プロテオフォーム)をとりうる。細胞内におけるある種のプロテオフォームの存在量や、様々なプロテオフォームの比率は、病的な状態を反映すると考えられている。例えば、α-シヌクレインのプロテオフォーム異常は、パーキンソン病でよく見られるほか、レビー小体型認知症および多系統萎縮症という異なる症状を示す2種類の神経変性疾患でも認められる。しかし、臨床サンプル中の濃度は非常に低いため、高い感度を持った質量分析計が必要になる。

Hirtz教授の研究チームは、島津製作所の質量分析計LCMS-8060を用いて、これら3種類の疾患のいずれかに罹患した患者100人以上の試料から、疾患を引き起こすα-シヌクレインのプロテオフォームを検出する研究を行ってきた。この取り組みの土台にあるのは、複数のタンパク質のプロテオフォームをもとにアルツハイマー病、前頭側頭型認知症、およびレビー小体型認知症の患者を区別できる可能性を見出した、Hirtz教授らの臨床プロテオミクスの研究成果である5。さらにHirtz教授らの研究手法の臨床プロテオミクスでは、検査自体侵襲性が低く、痛みも少ないという利点もある。このような方法であれば、多くの人が症状の発現前に検査を受けようと考えるであろう6

「2023年になり、私たちは火星や月に人を送る計画を立てているのに、いまだ神経変性疾患の診断に四苦八苦しているというのは理解できません」と、Hirtz教授は言う。

しかし、LCMS-8060の感度と頑健性をもってしても、ただ装置のスイッチを入れてサンプルをセットするだけで臨床プロテオミクスの研究ができるほど甘くはないと、Hirtz教授は強調する。

「一番難しいのは質量分析の部分ではありません。最も難しいのはサンプルを調製するところなのです」と、彼は言う。

この理由は、タンパク質の抽出が、血漿や脳脊髄液などのサンプルに含まれる複雑な細胞の基質から行われるためである。この点を考慮し、EUICは共同研究の取り組みを通じて、博士課程の学生に対し、質量分析を学ぶためだけでなく、生化学的条件やワークフローの最適化を行うための費用を助成している。

「島津製作所のおかげで、スキルの幅が様々な領域に広がりました。神経科学、生化学、質量分析、プロテオミクス、そして臨床研究について専門性を高めることができました」こう話すのは、Hirtz教授の研究室で初めてこのような助成を受けたMarie-Laure Ponsだ。彼女は今年卒業予定である。

2015年の最初の出会い以来、Hirtz教授は島津製作所の継続的な協力を高く評価している。その協力関係は彼の期待をはるかに超えるものとなり、島津製作所が優れた技術以上のものを提供してくれる重要なパートナーになったと話している。

「LCMS-8060は、現在市販されているトリプル四重極型質量分析計のなかでも最高の機器の1つです。私にとって島津製作所とのコラボレーションは信頼と長期的な関係に基づくものです。この点は他の会社と大きく違います。私がこれまでに経験し、現在も続いている関係性のなかで、島津製作所との協力関係は、間違いなく最も実りあるコラボレーションです」

*本記事内に掲載のすべての機器は研究用途にのみ使用可能です。医薬品医療機器等法に基づく医療機器として承認・認証等を受けた機器ではありませんので、治療診断目的にはご使用になれません。

*本記事内における人物の所属団体および肩書等の情報は、インタビュー実施時点(2022年12月)のものです。

1) https://ourworldindata.org/life-expectancy
2) DOI: 10.1002/alz.12068
3) DOI: 10.1007/s00702-018-1910-4
4) DOI: 10.1038/nmeth.2369
5) DOI: 10.1002/dad2.12285
6) DOI: 10.1007/s00702-022-02474-9

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