患者一人ひとりにベストな医療提供を目指す
リアルタイムデータシステム

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医療現場では、スタッフ間で患者情報を十分に共有することが不可欠だ。さもないと医療事故につながる恐れがある。オーストラリア・メルボルンのAustin Healthは、島津製作所と協働し、リアルタイムで行える患者情報共有システムの構築に取り組んでいる。この病院では、患者情報を適切に管理することで医療事故を防ぎ、患者ケアの質の向上を目指している。

病院にかかると、まず問診を受け、さらに検査を受けることで、体の状態を示すさまざまな数値が得られる。医師のもとには、電子カルテを通じてこうした患者情報が集まるが、オーストラリアでは病院間でも患者情報の迅速なやり取りができるまでになっている。今後も医学や診断技術の進歩により病気と患者への理解がさらに進み、集まる情報の種類や精度もいっそう向上していくだろう。こうした情報の集積は、一人ひとりの患者に対して、最適な治療方針を提供することにつながる。いわゆるパーソナライズ医療だ。Austin HealthのMark Horrigan医師は島津製作所との相互協力のもと、より高度で安全、かつ安価なパーソナライズ医療の提供を目指すスマートデータ管理システム「Yuki」の構築に取り組んでいる。

「『Yuki』というシステム名は日本語の『雪』にちなんで名付けました。積もった雪は何も描かれていない真っ白なキャンバスのようなもので、このプロジェクトを開始した当時の私たちの心情を表しています」

Horrigan医師は心疾患が専門だ。カテーテルと呼ばれる管を患者の腕や足の付け根から挿入し、薬液を投入して心臓や血管の診断をしたり、狭窄血管や心臓弁の治療を施すこともある。カテーテルによる施術での患者の負担は、通常歯医者での治療と変わらない程度だ。しかしごく稀に、患者の腎臓や皮膚などに損傷を与え、患者が出血や血液凝固を起こす可能性があるという研究発表も多数ある1

研究によれば、臓器や皮膚の損傷の原因は、カテーテル治療で使用される造影剤やX線にあるという。しかし、症状がすぐにあらわれることがないため、患者自身や医療スタッフが問題に気づく前に検査や治療を終え、患者は帰宅してしまっている。

「見えないし感じない。だから、だれも気がつくことがなかったんです」とHorrigan医師は述懐する。「しかし、検査から数週間、場合によっては数か月経ってから腎機能障害や皮膚障害を起こして再び病院を訪れる患者さんがいる。私たちが想像しているよりも多くの患者がダメージを受けている可能性に気がつきました」

Horrigan医師

データを活用しベストな治療を導く

このことに気づいたHorrigan医師は、すぐにある実証実験を行った。チームのスタッフに、手術中に投与される造影剤の量を徹底して記録しておくよう命じたのだ。多くの場合、スタッフは一般的な基準に沿って患者ケアにあたっている。投与しても問題がないという臨床試験データに基づいたものだが、すべての患者にとって一律同じであることが果たして正しいことなのか、疑問を抱いたのである。結果は、明白だった。スタッフは、造影剤量や放射線量に対してより注意するようになり、合併症が発生する数をこれまでの3分の1に減らすことができたのである。

この調査結果から、Horrigan医師は、患者の状態をリアルタイムで記録できるシステムが必要だと考えた。最新の患者情報にいつでも触れることができれば、投与された造影剤や照射された放射線の総量から、携わるスタッフの注意を喚起することができる。だが、彼はパーソナライズ医療のための患者情報が一括管理できるシステムの開発については専門外だったため、16年前から関係があった島津製作所に相談したところ、その構想はすぐに同社の社長にも伝わった。

「島津製作所は、実に幅広い視野を持っています。彼らは、『科学を通じて人々の生活の質を向上させる』ことをミッションとして掲げている。画像診断という枠を越え、高品質な患者ケアという新たな分野でも、よいパートナーになってくれるだろうと考えたのです。実際、彼らは引き受けてくれた。これは島津製作所にとって、非常にすばらしく、そして適切なステップだと思います」とHorrigan医師は語る。

こうして「Yuki」は生まれた。医療スタッフにとって過剰で不必要な情報は最小化し、一方で手術が「安全とされる許容範囲」を超えそうな時は直ちに警告をしてくれる、高品質の医療を提供できるプラットフォームだ。

「私たちが求めているのは、必要な情報が格納されているシステムです。それ以上でもそれ以下でもありません。それだけで『Yuki』は十分な品質、安全、効率を提供してくれるのです」(Horrigan医師)

もちろん、情報が格納されているだけではどんなシステムも用をなさない。「Yuki」は患者ケアのために最適な情報を医療スタッフに提供できるよう設計されている。例えば手術の際に、患者についての大量の記録にスタッフが混乱しないよう、手術に必要な情報のみを提供してくれる。ペースメーカー治療であれ、冠動脈造影であれ、様々な手術に対応した情報提供が可能なのだ。

加えて「Yuki」には、手術の質や術後経過を評価するためのデータを提供する機能もある。これは医療スタッフが治療過程のどこを改善すればいいかを特定するうえで、大きなサポートになるものだ。

「Yuki」システム
図:Yukiの概要

「『Yuki』は、我々に何が最善の処置か明確にしてくれる。もし明確にできなかった場合は、その理由と解決策も教えてくれるのです」(Horrigan医師)

「Yuki」システム

単なる電子化に留まらない

「Yuki」が画期的なのは、検査機器からシームレスにデータを取り込めることだ。今日、医療記録のデジタル化は急速に進んでいるが、その大半は手書き情報をスキャンしてデータ化したものに留まっている。これは図書館にある蔵書を全てスキャンして画像データにしているのと変わらない。これではデジタル情報を統合して医療のベスト・プラクティスをサポートするには力不足だ。

もっといえば、ベスト・プラクティスを導くのに最良とされている現在の手法は、現場スタッフが「患者ケアにおいて見落としがないか」を用紙に手書きでチェックするというのが大半だ。この手法には、スタッフの意思決定をサポートする機能は存在しない。むしろスタッフにはそれぞれ独自の情報分析能力が必要とされ、これが患者ケアの質に著しい差異が生まれる要因となっている。

「従来のシステムは医療記録を管理するもので、事務的な目的では役立ってきました。しかし、それが積極的に患者ケアの改善に役立ってきたかといえば、疑問を感じます」とHorrigan医師はいう。
一方、「Yuki」は患者が受けた放射線や造影剤の量を絶えずモニタリングし、「造影剤の投与量や放射線被ばくレベルはどのくらいか?」、「ダメージを最も受けやすい患者層は?」といった疑問に答えてくれる。

Horrigan医師らは、かつて造影後に腎機能障害が起きるかどうかは、造影剤の量だけではなく、患者の状態および年齢や性別、病歴などのプロフィールも深く関係しているという事実を突き止めていた2。つまり、医療スタッフは「造影剤の安全量は患者毎に異なる」と理解しておく必要があるということである。「Yuki」の必要性に思い至った背景にもこの研究がある。現在、放射線被ばくについても同様の研究が進められている。

こうした個別のデータ分析は、医療スタッフにとっては簡単なことではないが、「Yuki」にはうってつけの仕事だ。

「多様な医療情報を活用し合えるプラットフォームを作りたい。それができれば、患者一人ひとりに合わせた医療のベスト・プラクティスの提供は大いに前進するはずです」

参考文献

  • 1 Brown JR, et al. (2016) Chronic Kidney Disease Progression and Cardiovascular Outcomes Following Cardiac Catheterization-A Population-Controlled Study. J Am Heart Assoc 5(10).
  • 2 Chua HR, Horrigan M, McIntosh E, & Bellomo R (2014) Extended renal outcomes with use of iodixanol versus iohexol after coronary angiography. Biomed Res Int 2014:506479.
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株式会社 島津製作所 コミュニケーション誌