INTERVIEW
感染拡大抑制のカギを握る唾液PCR検査法の確立
医療崩壊を瀬戸際で食い止めた、ある「失敗」

(北海道大学病院様ご提供)

検査をすることで感染するかもしれない。
不安に押しつぶされそうになる検体採取医師らを救ったのは、ある失敗から浮かび上がった疑問だった。
島津が開発した新型コロナウイルス検出試薬キットを用い、唾液によるPCR検査の有効性を立証した北海道大学の豊嶋教授は、医療現場での経験を通じて見えた課題とウィズコロナ時代の医療機関、企業、そして市民のあるべき姿を提言する。

北海道大学病院
検査・輸血部長
豊嶋 崇徳 教授

唾液PCR検査がもたらした光明

北海道は、日本でもっとも早く感染拡大が起こった自治体だ。 2020年1月26日に初めて道内で患者が確認されたのち、2月下旬には連日2桁の陽性者が発生した。危機感を募らせた道は、2月28日、全国に先駆け緊急事態宣言を発し、週末の外出を控えることを呼びかけた。

宣言は一定の効果をあげ新規陽性者は減少傾向に転じた。だが、胸をなで下ろしたのも束の間、4月に入り患者数は再び上昇。月の半ばには、道内の病院で治療を受ける現在感染者数が100人を超え、医療崩壊の危機が現実味を帯びてきた。

北海道大学病院に感染の疑いが高い患者が初めて運び込まれたのも、この頃だった。発熱があり、肺炎の症状を呈している。直ちに病院スタッフは決められた手順に沿って、PCR検査を行った。スワブと呼ばれる綿棒様の器具で鼻咽頭をぬぐい、同時に痰を採取して、その両方からサンプルを作成し、PCRにかける。だが、その過程でちょっとしたトラブルが起こった。

「検査技師が『痰を取ったつもりだったのですが、つばでした。失敗です』と言うのです。ところがそれをPCRにかけてみると、鼻腔から採取したサンプルは陰性だったにも関わらず、唾液は陽性を示したのです。いったいなぜだと疑問を覚えました」

検査を指揮した北海道大学病院検査・輸血部部長の豊嶋崇德医師は、そう振りかえる。

(北海道大学病院様ご提供)

豊嶋医師は、北海道大学大学院血液内科の教授でもある。日常的に白血病など免疫機能が落ちた患者のケアに当たっているだけに、感染症とは常にシビアな姿勢で対峙してきた。

早速、論文を当たってみると、新型コロナウイルスは血圧の降圧に関与するアンギオテンシン変換酵素の受容体(ACE2受容体)を介して感染するとの記述が見つかった。ACE2は口腔内にも発現している。

「なるほどと膝を打ちました。なぜ新型コロナウイルスの感染患者に味覚異常が多いのか、なぜライブハウスやカラオケボックスでクラスターが発生するのか。それは口腔の細胞に感染しているからではないか。もしそうなら、唾液でも検査が可能なのではないかという仮説です。この病との戦いに糸口が見つかるかもしれないと期待が膨らんできました」

検査体制の不足は、この頃、重大な問題となっていた。PCR検査装置の不足に加え、検査に当たる人員が足りない。スワブを用いるサンプル採取には、一定のスキルが必要だ。しかも、採取中に患者がくしゃみをするかもしれず、検査技師は感染のリスクと常に隣り合わせとなる。加えてマスクや防護服の輸入が途絶え、医療現場の不安は極限に達しようとしていた。さらに、現場のひっ迫した状況は市民の不安も増長させる。安心な暮らしがおびやかされるまでになっていた。

もし唾液での検査が可能なら、スワブ検体採取者のリスクがなくなる。唾液検査の可能性に気づいた教授は、すぐさま行動を開始した。その後も続々と来院し入院となった患者に対して再度、スワブと唾液のサンプルを採取。4月25 日から5月までのPCR陽性10例、陰性66例における、スワブと唾液の診断がどれだけ一致するかを検証した。その結果、一致率は97.4%。唾液はスワブと同等の信頼度ということが判明した。1

早速、医師会からも国に働きかけ、そして6月2日には、唾液PCR検査が認可された。異例ともいえる速さだ。

無症状者のスクリーニングにも有効性を確認

唾液PCR検査にはもう一つメリットがあった。それは、口腔ではつねにフレッシュなサンプルが得られるということだ。

当時、感染が確認された患者が治癒して退院するには、PCR検査で2度陰性が確認される必要があった。しかし、唾液では陰性を示すのに、スワブ採取のサンプルでは陽性を示す例が相次いでいた。病床の不足が深刻で、陰性とわかればすぐにも退院してもらいたい。だが、元気を取り戻しているのに陰性とならない。医療現場のひっ迫は、退っ引きならないところまできていた。

「文献を調べていくと、鼻咽頭には“死んだ”ウイルスの断片が残っているということがわかってきました。遺伝子の有無を検査するPCRに、ウイルスの生死は判別できません。一方、口腔はつねに唾液が分泌されており、死骸は洗い流されていく。唾液をサンプルとすることのメリットがまた一つ明らかになった形です」

ところが、医療業界には、唾液は感度が低いという根強い不信があった。唾液に含まれるウイルスは数が少ないというのがその理由だ。感染症検査の長い歴史のなかで、唾液による検査は不正確な結果を導くことがあり、だからこそ、スワブが推奨されてきた側面もある。

教授は、この通説に対しても正面から立ち向かった。空港検疫や保健所に声をかけ、無症状者を含む約2000人に及ぶ大規模調査を行ったのだ。世界的にもこれほどの規模の研究は類を見ない。結果、鼻のスワブ検査の感度が86%、一方の唾液は92%。まったく遜色のないものであることが証明されたのだ。2

「先の臨床研究で、症状のある方の検査に対しては有効性が確認できましたが、感染拡大防止には、無症状の人のスクリーニングが鍵になると考えていました。それには感度が重要になる。この大規模検査は非常に大きな一歩となりました」

事実、唾液PCR検査は、空港検疫やスポーツイベント時のスクリーニングに採用され、その簡便さもあって、広がりを見せている。

唾液を採取するシャーレ
(北海道大学病院様ご提供)
唾液によるPCR検査研究の様子
(北海道大学病院様ご提供)

ウィズコロナ時代の検査のあるべき姿

感染拡大防止に取り組む教授が、もっとも懸念したのは、PCR検査へのアクセスが非常に悪いことだ。検査ができるのは指定された医療機関に限られ、受けられるのもほぼ感染がまちがいないと思われる症状が出ている人とその濃厚接触者に限られる。検査を受けるまでに時間がかかれば、その間に無症状のまま市中を歩く人が現れ、感染を拡大させてしまう。どうすれば、アクセスを改善させることができるのか。

「私がこだわったのは、自己採取できるということなんです。アメリカでも唾液検査は行われていますが、スワブを用いています。そうすると、やはり検査に関わる人員が必要になり、医療現場の人員不足解消にはつながらないのです。唾液をシャーレに吐いて、それに蓋をして検査機関に送るだけでよければ、そこに人を配する必要はありません。極論すれば、もし症状が出れば、ドラッグストアで採取キットを購入して、唾液を自分で採取して、検査会社に送付するだけで検査が可能になるのです」

鼻咽頭の粘膜
くしゃみや咳が出やすく、検体採取者の感染リスクがある。医療従事者は厳重な防護服が必要。
唾液
スワブ検査に比べ、安全で簡単に検体を採取できる。自己採取も容易。

図:新型コロナウイルス検査の検体採取方法
(インタビューに基づき作成)

いま、ともすれば感染者を非難する風潮が広がっている。教授はこの風潮に警鐘を鳴らすとともに、検査へのアクセスの改善がこの重苦しい空気を払拭する鍵になると期待を寄せる。

「まずは誰もが感染する可能性があるということを肝に銘じてほしい。明日は我が身なのです。だからこそ、一人感染者が発見されたら、周囲の人がただちに検査を受けられる体制が整えられるべきなのです」

つまり、全員が受ける必要もないと教授はいう。

「特に繁華街などエピセンター(感染集積地)で長い時間を過ごす感染リスクの高い人が、検査を望んでいるにもかかわらず4、5日も待たされるという状況は望ましくありません。こうした場所に検査の資源を集中させれば、感染拡大も抑えられ、万一感染してもすぐに対応してもらえるという安心感が広がっていくはずです」

そして、教授は企業にも期待を寄せる。

「検査が迅速にできることが重要です。時間あたりの検査数を増やすことができれば、それだけ検査へのアクセスがよくなる。日本の研究機関、企業はこの状況下でもまだ活動の制限が少ない。信頼できる技術を確立し、革新を進めてもらいたい」

ひとつの「失敗」からPCR検査の可能性を広げた研究者。技術開発を担う企業と研究者が力を携え、よりよい社会を目指す。それが、豊嶋教授の思い描くビジョンだ。

参考文献:
1.J Infect. 81, e145-e147(2020).
2.in preparation

*本記事内における人物の所属団体および肩書等の情報は、インタビュー実施時点(2020年8月)のものです。