蓄電池と島津の関係
GSユアサ バッテリーの名前の由来
自動車やバイクのバッテリーとして知られる「GSユアサ バッテリー」。この「GS」、実は島津製作所・創業者の息子であり初代社長の島津源蔵(二代)のイニシャルであるG.Sから名付けられています。
「日本のエジソン」二代島津源蔵
1869年生まれの二代源蔵(以下源蔵)は「日本のエジソン」とも呼ばれ、82年の生涯の中で数多くの発明を生み出しました。家業を手伝う忙しさから小学校には3年ほどしか行けませんでしたが、独学で物理や化学の知識を蓄えていきました。科学技術への好奇心と情熱を原動力に、理化学機器を開発・製造し、1930年には日本十大発明家の一人に選ばれています。
二代島津源蔵
イニシャルから名付けられたバッテリー
明治時代の産業発展に伴い電動の製品が増える一方で、電力の供給は十分でなく蓄電池の需要は伸びていました。国産蓄電池が必要だと考えた源蔵は外国製品を参考に製造を開始しました。1897年には、容量10アンペアの小型鉛蓄電池を完成させました。これは、日本で初めて工業的に製造された蓄電池で、のちに源蔵のイニシャルからGS蓄電池と名付けられました。
蓄電池
その後、蓄電池事業は島津製作所から分離・独立し、1917年に日本電池株式会社が設立されました。その技術と創造の精神は、現在の株式会社 GSユアサに受け継がれています。
大正時代 、京の街を走る電気自動車
現在も注目を集める電気自動車ですが、源蔵は今からおよそ100年前にアメリカから輸入した電気自動車「デトロイト号」を愛用していました。
源蔵はデトロイト号に自社製の「GS蓄電池」を搭載し、通勤にも用いていました。そのフォルムから「源蔵さんのシルクハット」と呼ばれ、京都の人々の注目を集めました。
「デトロイト号」と二代島津源蔵(写真提供:株式会社 GSユアサ )
源蔵が亡くなった後もデトロイト号は大切に保管されました。2008年、株式会社 GSユアサは「電気自動車デトロイト号復活プロジェクト」を立ち上げ、8か月の期間を経て走行可能な状態に復活させました。現在、デトロイト号は同社の社屋ロビーに展示されています。
現在、街には多くの電気自動車が走るようになりました。デトロイト号で京都を巡った源蔵はこの未来を思い描いていたのでしょうか。
島津製作所の蓄電池に関する歴史については、当社Webサイト「Visionary」内「MADE IN JAPANの夢」でもご紹介しています。