2022年4月6日 | お知らせ
初代島津源蔵による民間初の有人軽気球飛揚を記録した当時の版画が発見
「軽気球試検之図」
軽気球試検之図
当社の創業者である初代島津源蔵は、1877(明治10)年12月6日に日本で民間初となる有人軽気球の飛揚に成功しました。
この軽気球飛揚の様子を記録した久保田米僊による当時の版画「軽気球試検之図」が、昨年京都市内で発見され、このたび修復作業が完了いたしました。
当社がこれまでに「軽気球飛揚図」として公開していたものは、1947(昭和22)年の改組30年記念にあたり、当時の社員であり画家であった西川純が古い写真を模写した水彩画です。
当社の創業記念資料館は、新型コロナ感染拡大の影響を考え、現在休館しておりますが、開館後にはこの「軽気球試検之図」と「軽気球飛揚図」の2つを並べて展示する予定です。
初代源蔵の軽気球飛揚について
源蔵が製作した軽気球は、京都仙洞御所の広場で、1 人の男性を乗せ、約 36 メートル飛揚し、集まった 4 万 8 千人の拍手を浴びたと記録されています。これは当時の京都府が、最新の科学技術を示し府民の理化教育への関心を高めたいと考え企画したイベントでした。このニュースは、当時の東京の日刊紙「朝野新聞」の同年12月13日付けの記事で紹介されました。
京都府から依頼を受けた源蔵の手もとには、気球製作のための資料がほとんどありませんでしたが、試行錯誤して完成させました。源蔵が主に担当した水素ガスの製造は、鉄くずに硫酸を注いで発生させました。その装置には、伏見の酒樽を利用し、鉄パイプで配管したこと、本気球の飛揚に先立ち、五色の紙製小球を飛ばした様子も、生き生きと伝わってきます。