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国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所
難治性疾患研究開発・支援センター
松山 晃文 センター長

iPS細胞がもたらす「創薬革命」

研究開発から患者さんの手に届くまで長い年月を必要とする「薬」。
iPS細胞の活用で、創薬は劇的に加速し、医療を、ひいては社会を変えるかもしれない。

あらゆる患者さんが救われる社会を

「誰もが、どこにいても最先端の医療の恩恵を等しく受けられる。そんな社会も夢ではないのです」
国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所の松山晃文博士の声音に淀みはない。
博士の所属する医薬基盤・健康・栄養研究所は、医薬品・医療機器の創出に向けた基盤技術の研究などを通して、革新的な医薬品の開発に貢献することを目指す国の機関。博士は難治性疾患研究開発・支援センター長として、難病と呼ばれる病気の「新薬」開発を主導している。
新薬の開発は、莫大な時間と費用を要する一大事業だ。何千、何万という化学合成の組み合わせを試し、マウスなどで有効性と安全性を検証。そこをパスしたら、医療機関などの協力を得て、臨床試験を行い、本当に人間でも安全かつ有効に機能するか何段階にも分けて検証する。日本製薬工業協会によれば、新薬が世に送り出されるまでには、9~17年の歳月と、1品目あたり200~300億円の費用がかかるという。海外の製薬メーカーでは1000億円を超える開発もめずらしくないとの報告もある。そうなると、製薬メーカーは一種類でより多くの患者さんを救える薬の開発を優先せざるをえなくなる。
難病は一般に患者さんの数が少なく、有効治療が乏しいために、開発が思うように進められないというジレンマを抱えている。
その状況を変えるかもしれないと期待されているのが、あらゆる体細胞に変化できる性質を持つiPS細胞だ。培養した組織を人体に移植する「再生医療」での活用が注目されがちだが、新薬開発のプロセスにおいても有効に利用されつつある。調べたい組織を培養して薬の検査をすれば、研究室レベルで人体組織への影響を調べることができる。そうなれば開発のプロセスは大幅に短縮され、コストも下げられるかもしれない。
もっともそこに至るまでには行政はもちろんのこと、企業の協力が重要だ。製薬メーカーや医療機器メーカーだけでなく、実際の製造工程を考えると、オートメーション化や品質管理分野で半導体メーカーや精密機器メーカー、IT企業の手も借りたい。そこで欠かせないのが利害を超えて研究開発を束ねる橋渡し役。同研究所ではこれまでも、産官学の連携や、画期的な成果を数多く世に生み出してきた。その中で、企業、行政、他の研究機関との連携を強力に推し進めているのが松山博士だ。
「社会を変えるためには、一人の患者さんしか救えないものではダメ。どんな難病でも同じように苦しんでいる10人、100人を救わなくては。そのためにできることはなんでもしたいんです」

挫折を乗り越えて

松山博士が難病治療と向き合うようになったのは、20年前、循環器系の医師として臨床に立っていた頃にさかのぼる。
「どんなに手を尽くしても、薬が効かない、これ以上手の施しようのない患者さんがいる。そのたびに医療の限界を突き付けられ、無力感に打ちひしがれていました」
その苦い経験から新薬の研究に打ち込んだ。しかし、新薬が現実のものとして患者さんの手元に届くまでにはあまりにも道のりが長い。博士は研究だけでなく、安心安全で効率良く生産できることまでを考え、世に送り出すべく東奔西走を続けてきた。こうした真剣な活動に共感した企業や、医薬品業界への参入を目指す企業が松山博士を頼って相談にくるケースが増えていった。博士は、幅広い人脈を活かし、コラボレートできそうな研究者や研究機関を考え、紹介している。
「経験はなくても、新しい市場を開拓していこうという気概のある人たちが多い。自分たちの持つ技術で社会を良い方向にしていきたい、という強い思いを持った会社とは、一社でも多く話がしたい」
と言葉に力を込める。

分析対象の成分の種類や量を一度に測ることができる島津のLC/MS/MSメソッドパッケージ

常識をひっぱたく

島津製作所も松山博士の熱意に引き寄せられた企業のひとつだ。本来、iPS細胞を目当ての組織にしっかりと変化させるためには、培地に含まれるさまざまな成分が厳密に規定されている必要がある。だが、各種成分の量を個別に測定するには非常に多くの手間がかかり、事実上不可能であったために、これまで長く研究者の勘と経験に任されてきた。そこで、分析対象の成分の種類や量を一度に測ることができる島津のLC/MS/MSメソッドパッケージを博士に提案。細胞培養に必要な各種成分の一斉分析が可能となり、培養前後で培地のどの成分がどれだけ使われたか、数値として網羅的にとらえることができるようになるなど、細胞培養用の培地の作成に革新をもたらした。
「これまでは60点の答案で我慢するしかなかった。ところがこれを使うことで、実は80点、100点の答案があるということがわかった。ハリセンで頭をひっぱたかれたかのような衝撃を受けましたね」
と博士は振り返る。

50年先を見据えて

松山博士の目にはさらに未来の再生医療の姿が映っている。現在は細胞の移植を必要とする病気も、将来は飲み薬や塗り薬で治療できるようになるというのだ。傷を治すとき、人体ではさまざまなホルモンやタンパク質が働き、組織の再生を促している。だが、すり傷や切り傷は治せても、欠損してしまった部位が元通りになることはない。しかし、細胞を移植したときにその細胞が人体の一部として馴染み、損傷を再生する過程でどのようなホルモンが出て、どのような物質が増えているかがわかれば、それを代替する薬を投与するだけで、将来は細胞の移植なしでも損傷部分を再生させられる可能性がある。
「再生のメカニズムがわかれば、サプリメントも本当に効き目のあるものがつくれる。人々が死ぬまで健康で元気な体でいられるお手伝いができるかもしれない。50年経った後、回り回って自分がその恩恵を受けて、自分のしたことに意味はあったのだ、と実感できれば、うれしいですね」
博士は期待をにじませていた。

国立研究開発法人
医薬基盤・健康・栄養研究所
難治性疾患研究開発・支援センター長

松山 晃文(まつやま あきふみ)

医学博士。1994年大阪大学医学部卒業。循環器内科医を経て、2015年に現研究所部長。2017年4月より現職。厚生労働省厚生科学審議階科学技術部会専門委員、同高度医療評価会議技術委員、(独)理化学研究所創薬・医療技術プログラムマネージャーなども務める。