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石巻市立病院 伊勢 秀雄 前院長

命の砦

未曾有の大災害で甚大な被害を受けた病院が、5年以上の歳月を経て再開した。
地域に充実した医療を届けるとの信念を貫き、医療復興を推し進めた前院長の思いに迫った。

孤立した病院

2011年3月11日。
激しい揺れに続いて、巨大な津波が東日本の広域を襲った。沿岸の町では濁流がコンクリートのような圧力で家屋を押し流し、次々に人を飲み込んでいった。
東日本大震災のなかでも石巻市は市町村単位で最も被害の大きかった市だ。平野部の30%が浸水し、死者行方不明者は3600人を越えた。それから6年が経ち、三陸自動車道を降りて市街地へ車を走らせても、その傷跡を見つけるのは難しい。だが、さらに海に進んだ先の日和山と呼ばれる丘に上り、南浜地区を展望すると、わずかに工場、倉庫が散見されるほかは、更地が無残な姿をさらしている。震災以降、災害危険地域に指定され、建物の建築が制限されているためだ。
石巻市立病院はこの南浜地区に建っていた。
過去の歴史から、今後の津波に備えて1998年の開院時には土地をかさ上げしていた。しかし波はその想定を超え、1階の天井まで達した。倒壊することこそなかったが、1階に置かれていた食料や水、検査装置や電源は水に浸かってすべての機能を失った。
患者、職員、避難してきた周辺住民あわせて450人が孤立。ドクターヘリなどを使った救出作業は4日間に及び、その後、同病院は閉鎖された。
「職員、入院患者さんを含めて、津波で亡くなった方はいなかった。本当に不幸中の幸いでした」と、伊勢秀雄前院長は述懐する。
とはいえスタッフの誰もが被災者だった。だが、未曾有の大災害の中、医療従事者としてのプライドと信念を持ち働き続けた。食料も医薬品もままならないなか、救出直後から要介護者の避難所となっていた施設の運営や、市立の牡鹿病院の診療支援に携わり、4月に入ってからは日和山の公民館に開設された仮診療所で診療活動を再開した。設備もままならない施設で奮闘する姿は、さながら野戦病院のようだったという。
石巻市の他の避難所に設けられた救護所へ支援に向かったスタッフも少なくない。全国から応援にかけつける医師も相次ぎ、石巻市立病院のみならず、地域の、そして全国の医療者が総力を挙げて、命の砦を守り続けた。

石巻市立病院

1998年、石巻医療圏で絶対的に不足していた救急医療を担う病院として設立。2011年3月、東日本大震災に伴う津波被害で水没し、機能を失う。同年4月から仮診療所で診療を再開。2016年9月、石巻の医療復興のシンボルとしてJR石巻駅前に新しい建物を建設し再開した。現在は、救急に加え、リハビリテーションや緩和ケアにも取り組み、在宅医療支援病院として地域医療の一翼を担っている。

http://ishinomaki-city-hospital.jp/index.html

医師不足にどう立ち向かうか

震災から半年もたつと、市の中心部では復旧して機能を回復する病院、診療所も増えてきた。市立病院も再建されることが決まっていたが、いつになるかの具体的な計画は見えていなかった。その間に同病院を離れていったスタッフも少なくなかった。
「これまで急性期医療に特化して体制を整えていた市立病院と、仮設の診療所では、できることに大きな差があって、本院に勤務していた医師は、本来の力を発揮することはできませんでした。ただでさえ医師不足の地域で、これではさらに貴重な医療資源を損失することになる。機能の整った施設で本来の技術力を発揮し、質の高い医療を提供することが、地域全体としてみればプラスになる、そう考えていました」
一方で、伊勢前院長は医療過疎地域である沿岸部に積極的に足を運んでいた。そこには、高齢で診療所へ足を運ぶことすら困難な患者さんたちが待っていた。
「もともと医者が絶対的に不足していた地域ですから、震災後はさらに厳しい状況になっていました。今後ますます高齢化が進むなかで、地域医療がどう進んでいくべきか、現実を突きつけられました」
地域医療がどうあるべきか。そのなかで新しい石巻市立病院はどうあるべきか。被災地医療の傍ら、市や医師会、関連病院との討議を重ねていった。

真の復興へ

2016年の9月1日、石巻市立病院は再開を果たした。移設した内陸部のこの場所にも津波が到達していたことから、1階は駐車場にした。懸念だったスタッフの確保も順調に進んだ。
1998年の開院時には、地域で圧倒的に不足していた救急医療も担う急性期病院としてスタートしたが、津波で壊滅した他の市立病院の機能を受け継ぎ、療養期の治療も行うケアミックス型の病院となった。また複数の疾病を抱えている高齢の患者が多いことを踏まえて、すべての疾患を診られる医師を育成していく。さらに、在宅医療支援病院の指定を受け、在宅医療に携わる開業医らをアシスト。在宅患者に異常がみられたときは、24時間受け入れられる体制構築を進めている。
新病院では、整形外科などから要望の多かった骨密度測定を充実させた。その際、骨密度測定用の独自アプリケーションSmart BMDを組み込んだ島津製作所のX線TVシステムSONIALVISION G4が採用された。骨密度測定専用の装置が不要となり、スペースが節約でき、使い勝手もよいとして評価された。
「6年という長い歳月を経てもまだ、市内には仮設住宅にお住まいの方も大勢いらっしゃる。大きな被害を受けた地場産業である水産加工業の立て直しも始まったばかりです。石巻が復興したといえるまでにはまだ時間がかかるのでしょう。しかし、病院を再開でき、この医療圏で必要となる病床数もどうにか確保できました。医師不足は相変わらずですが、地域医療の復興の道筋が見えてきたことで、この地域の真の復興が少しでも早まるきっかけになればうれしいです」
災害からの復興には、まだ多くの知恵と力が必要だ。

骨密度測定用の独自アプリケーションSmart BMDを
組み込んだX線TVシステムSONIALVISION G4

佐々木喬技師長、SONIALVISION G4がある部屋の前にて。

石巻市立病院 前院長

伊勢 秀雄(いせ ひでお)

1949年、石巻市出身。東北大医学部卒。東北大医学部講師を経て97年石巻市立病院外科部長に就任、2004年から院長を務め、17年3月退任。05年から市病院局長を兼務し、市の医療計画策定にも携わる。専門は消化器外科。