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大阪大学

メタボロミクス大航海時代

生体内の代謝物を網羅的に解析するメタボロミクス。
基礎生物学や医学分野だけでなく食品、工業分野など、あらゆる分野に飛躍的な進展をもたらすと期待される最先端の研究を加速化させるため
産学連携の共同研究講座が産声を上げた。

梁山泊をつくりたい

「ここを、メタボロミクス研究者の梁山泊にしたいんです」
そう目を細めるのは大阪大学大学院工学研究科の福﨑英一郎教授。メタボロミクス研究の第一人者で、同大学院生命先端工学専攻生物工学コース生物資源工学領域で教鞭を執る。
「梁山泊に」と教授が意気込むのは、先頃、教授が中心となって大阪大学と島津製作所と共同で開設した「大阪大学・島津分析イノベーション共同研究講座」のことで、メタボロミクスの解析システムの新技術や新しい運用方法の研究開発を行う。研究者も学生も装置メーカーも一緒に席を並べ、共同体としてメタボロミクスの進化を育んでいこうと福﨑教授が発案したもので、7年越しの夢が叶ったものだ。
「この分野はスピード感が大切。最先端の研究が進められている現場で、メーカーは、ユーザーのニーズを吸い上げて装置やアプリケーションを開発できる。一方研究者は、できあがった優れた装置を使ってさらに高度な研究に取り組める。どちらにとっても大きなメリットがあります。世界中から同じ志を持つ人がこの共同研究講座に集い、メタボロミクス研究の新しい領域を切り拓いてほしい」

研究対象はメタボロミクスのテクノロジーそのもの

教授が「スピード感」を重視するのは、メタボロミクスが今非常に着目される研究であることと無関係ではない。メタボロミクスは、生命活動で生じる様々な代謝物(メタボライト)を、網羅的に検出・解析し、生体内の生命現象を包括的に調べるテクノロジー。ゲノミクス(遺伝子)、 プロテオミクス(たんぱく質)に続くもっとも新しいオーム科学(網羅的解析情報に基づく科学)で、基礎生物学の理解や、いまだ解明されていない遺伝子の機能解明の有力な研究手段となる。その応用成果を期待して、医療や製薬、バイオエネルギーやフードビジネスまで、こぞってメタボロミクスに力を入れ始めている。
そうした研究者のほとんどは、解き明かしたい何らかの対象物があって、その解決手段としてメタボロミクスに期待をしている。だが、福﨑教授の視点は違う。
「僕らは、メタボロミクスで何かを明らかにすることを主眼としているわけではありません。生体の表現型に近い代謝物は、現象が常に変動しているため、ゲノミクスやプロテオミクスよりも『すべてを網羅する』ことがある意味では難しい。現状のメタボロミクス技術は不完全です。斬新な技術開発を行うとともに、堅牢性、一般性を高め、ユーザーフレンドリーな技術プラットフォームを世の中に提供することを目指しています。対象が微生物でも人間でも食品でも何でもやる。『目的のために手段を選ばない』のではなく、『手段のために目的を選ばない』研究をしています。研究者としては特殊な立ち位置でしょうね」

3年で論文が書ける研究を

3年で論文が書ける研究を

福﨑教授が「特殊な立ち位置」を選んだのには訳がある。
教授がメタボロミクスに取り組み始めたのは前世紀末。企業で生理活性物質の大量合成研究というまったく畑違いの研究をしたのちに、大学で「バイオテクノロジー」分野の教員としての職を得てテーマを模索していた頃だ。周りの同年代の同僚たちは、すでに研究歴10年以上の中堅でそれぞれライフワークとしての研究テーマを持っていた。自分のバックグラウンドを生かしたオンリーワンの研究が何かと考えた末に、
 「徹底的に(代謝物全体を)見てやろう。そうすれば、何か新しい発見があるに違いないと。まだメタボロミクスという言葉も知られていなかった頃で、いろんな人に反対されました。そんなことやっていても絶対ものにならない、と。だけど僕は、将来を考えればこれしかないと思っていました」
解析には、液体クロマトグラフ(LC)やガスクロマトグラフ質量分析計(GCMS)を活用していたが、10年後には装置の性能が格段に上がり、見えなかったものが見えるようになった。生体内にあるおおよその物質の構造を推定することができるようになったため、多くの研究者は、わずかに残された新物質を見つけるか、その物質がどうやって生まれ、生体内でどんな役割を果たしているかを突き止めることに注力していたが、福﨑教授には譲れない一線があった。
「従来のアプローチをどれだけ研ぎすませたとしても、よほどの幸運に恵まれなければ新しい発見は望めませんし、どんなに素晴らしい技術も3年で陳腐化してしまいます。それでは学生は、何年も博士論文を書けないということになりかねません。僕は、何かを発見するのではなく、発見のための新しい解析手法を開発し、進化させることで、学生が3年で博士号が取れるスピード感のある研究にしたかった。一流の研究者を育てるために一流の研究をしたいと思っています。教育者としてのアイデンティティが強いんです」

風をつかめ

こうして福﨑教授はメタボロミクスの大海原に漕ぎ出した。メタボロミクスを志す多くの研究者が、生命の秘密という "新大陸" を目指したり、メタボロームの相関関係を描いた "世界地図" を描こうとする中、教授はいわば、六分儀を開発したり、効率よく風をつかむ操舵法といった "航海技術の向上" を通してメタボロミクスの可能性を広げてきた。
結果として、教授は世界でも最先端の "船" を造り上げるにいたった。「あそこにはすごい技術がある」。噂を聞きつけた研究者や企業が、教授の元にひっきりなしにサンプルを持ち込んでくる。その都度、新たな手法を開発し、数多くの発見を導いてきた。
とはいえ、メタボロミクス研究はまだ端緒についたばかり。より効率的に手法を洗練させるために教授が求めたのが、装置メーカーと共同で研究できる空間だったのだ。
「学生だけでなく、社会人や留学生など、一人でも多くの人に、この講座で学んでほしい。とくにアジア圏からの留学生に期待しています。彼らは自国の企業や政府機関のキーマンとして未来を担う優秀な人材ばかり。彼らとのパートナーシップを育んで、今後、教育とメタボロミクスにおける日本のプレゼンスを高めてほしいです。最終的には、アジアを中心とした情報の発信、人材の交流、教育をするためのハブになりたいですね」
今まさに、世界を視野に入れたメタボロミクス大航海時代の幕が上がろうとしている。

風をつかめ

島津製作所のガスクロマトグラフ質量分析計や液体クロマトグラフ質量分析計、超臨界流体クロマトグラフ質量分析計、イメージング質量顕微鏡などがずらりと並ぶ共同講座。ここで代謝物の総量を測定する定量メタボロミクスと、分布情報を視覚化するイメージングメタボロミクスの共同研究を行う。

福﨑英一郎(ふくさき えいいちろう)

大阪大学大学院工学研究科生命先端工学専攻 教授
工学博士

福﨑英一郎(ふくさき えいいちろう)

1983年大阪大学学士、1985年同大修士、1993年同大論文博士。1985年~95年まで日東電工(株)研究員を経て、1995年~2007年まで大阪大学助教授、2005年~2007年にJST 研究開発戦略センター特任フェローを兼任し、2007年から現職。専門はメタボロミクス、メタボリックプロファイリング、代謝工学。抱負は「『工学は社会ニーズに技術で応えるサービスサイエンス』というコンセプトを国際舞台で具現化できる優れた研究者、技術者を育てたい。まだまだ一部の研究者の技術である『メタボロミクス』をユーザーフレンドリーな戦術にするためにやれることはすべてやる。『大学院重点化』『男女共同参画』『国際化』『産学連携』の4つのキーワードを意識しながら」