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大阪大学

原子の世界像

原子の世界像01

原子や分子が主役のナノメートル、サブナノメートルの世界。そこは、私たち人間の生活空間とは、まったく別の力学的法則に支配されている。原子はどんな姿をして、どう振る舞っているのか、ある科学者の挑戦が、素のままの原子の姿を描き出す顕微鏡の実現に結びつけた。

常識が通用しない世界

電子は、エネルギーを与えられることがないのに、原子核に "墜落" することなくその周囲を回り続け、粒子のいくつかは、通り抜けることがないはずの壁を、まるでトンネルでもあるかのようにやすやすとくぐり抜けていく。原子の世界は、人間界の常識では考えられない現象で満ち満ちている。
「常識と思われていたことが、あっという間にくつがえることがある。原子の世界は、実におもしろいですよ」
と語るのは、大阪大学産業科学研究所の森田清三特任教授。物理学の研究からキャリアをスタートし、電子工学に転じた森田教授は、ナノの世界を探る走査型プローブ顕微鏡の開発と応用に関する研究を、黎明期から続けてきた日本の第一人者だ。
走査型プローブ顕微鏡は、先端を尖らせた探針で、試料の表面をなぞり、その表面の凹凸の様子を拡大観察するタイプの顕微鏡。光学顕微鏡や電子顕微鏡(TEM)が、文字通り "見て" 観察するのに対して、走査型プローブ顕微鏡は、表面をくまなくなぞることで、対象の形を浮かび上がらせる。鋭く尖らせた探針の先端にある原子1個と、なぞろうとする対象物の原子との間に働く力が、触覚の代わりだ。
その力の種類によって走査型プローブ顕微鏡にはさまざまな種類があるが、絶縁体の間をも通り抜ける微弱な電流(トンネル電流)を利用した走査型トンネル顕微鏡と、原子の間に働く原子間力を検出して画像を得る原子間力顕微鏡が普及している。電子顕微鏡が開発から80年を超える歴史を持つのに対し、走査型トンネル顕微鏡が誕生したのは1981年、原子間力顕微鏡は1985年と、比較的新しい観察手法だ。

原子を撮りたい

80年代初頭、超伝導体におけるトンネル電流の不思議な振る舞いを研究していた森田教授は、同じトンネル電流を使った走査型トンネル顕微鏡の登場を知って、たちまち夢中になる。ヨーロッパの研究者のもとを訪ねて、「ぜひ教えてください」と頭を下げたという。
研究室に戻って簡易的な装置を作り、「どうにかそれらしい画」を撮って、発表のために出席した1986年の国際学会で、さらなる衝撃が待っていた。原子間力顕微鏡の登場である。
「当時、原子間力顕微鏡は日本ではほとんど知られていませんでした。『そんなことができるのか』と目を丸くしたのを覚えています」
原子間力顕微鏡はそれまでの顕微手法にはない可能性を秘めていた。電子顕微鏡(TEM)や、走査型トンネル顕微鏡は、電気の力を借りるため、絶縁体は観察できない。そのため絶縁体を観察する際は、表面に導電処理というコーティングを施す必要があり、「本当に表面を見ているのか」という疑問が常につきまとった。一方、原子同士が引きつけ合ったり、反発したりといった原子間力は、あらゆる物質の間で働いている。原子間力が使えるなら導電処理をせず、物質の表面そのものを観察できるのだ。
加えて真空環境が必要ないことも魅力だった。走査型トンネル顕微鏡は、導電性のある金属を観察する場合でも、酸やアルカリで表面を非常にきれいに洗い、さらに酸化を防ぐため、超高真空状態で観察する必要があったが、真空にするために空気を吸い出す真空ポンプは、当時はまだ観察に最適な状態をつくるのが困難で、莫大な投資を必要とした。
世界中の研究者が "真空中で原子を見る" ことに注目しているなか、森田教授は、その研究を方向転換させたのだ。
「走査型トンネル顕微鏡の原理自体それほど難しくなく、あとは真空環境を作る資金力の勝負というステージに移ってしまいました。そうすると研究者の出番は減ります。少し遠回りすることになるけど、新しい技術にチャレンジしようと、原子間力顕微鏡をテーマに据えました」
そこから試行錯誤が続いた。先行する走査型トンネル顕微鏡では、「原子が見えた」「原子を "つまんで" 動かして字を書くことができた」といった華々しいニュースが聞こえてくる。原子間力顕微鏡にとっては「夢のまた夢」だったが、教授のチャレンジは着実に成果を挙げていく。1995年には、原子の姿を目にし、2005年にはゲルマニウムのキャンバスにスズの原子で「Sn」という文字を書くことに成功。世界をあっと言わせた。

どんな条件でも測れるように

分解能や探針の制御能力の向上と共に、観察で足かせとなる諸条件を外していくことにも腐心した。極低温ならできることを、室温でもできるようにする。また、粘性で探針の振動が妨げられる気体や液体中でも観察できるようにする研究は、京都大学大学院の山田啓文准教授らとの密接な連携により進められた。
「極低温下では原子はおとなしくしていますから、常識外のことは起きない。一方、室温や液中という環境は、人間でいえば、いろんな人がいる町中を歩き回っているのと同じで、予想外のことが起きる。そこがおもしろいんですよ」
その研究は、(独)科学技術振興機構(JST)の先端計測分析技術・機器開発プログラム『大気中・液中で動作する原子分解能分析顕微鏡』において、島津製作所が京都大学、大阪大学、神戸大学、北陸先端科学技術大学院大学、金沢大学と共同開発し、2014年に島津製作所から発売された新世代の走査型プローブ顕微鏡HR-SPM※にも存分に生かされている。
「大気中や液中で動作し、なおかつ原子・分子を見られる顕微鏡というのは、これが初めて。いま、ものづくりは、すべてナノ構造からの取り組みへとシフトしています。ものづくりの現場では、ありとあらゆる条件で測れることが望まれますから、この装置に対する期待は大きいでしょう」
「ナノの世界では、エネルギーの受渡しを行う表面の役割が、想像もできないくらい大きい。新しい機能の多くは表面を制御することで生まれてくるのです。表面観察技術の向上は、ナノテクノロジーの進歩を支えるカギです」
P15~16に開発物語「挑戦の系譜」を掲載。

原子の世界像02

大気中・液中で動作する次世代HR-SPM、島津製作所 高分解能走査型プローブ顕微鏡 SPM-8000FM

森田清三(もりた せいぞう)

大阪大学産業科学研究所 産業科学ナノテクノロジーセンター特任教授・理学博士
大阪大学名誉教授

森田清三(もりた せいぞう)

1975年大阪大学理学研究科博士課程物理学専攻修了(理学博士)。東北大学助手、助教授、岩手大学教授、広島大学教授を経て、1996年より大阪大学教授。2012年より現職。公益社団法人日本表面科学会会長、公益財団法人新世代研究所副理事長を歴任。2011年紫綬褒章受賞。