

技術とアイデアで圧倒
魔改造の夜プロジェクトをアツイ思いで支え続けた、本プロジェクト事務局の代表 井上 信治。
彼のチームビルディングが功を奏し、それぞれのチームから生まれたすばらしいモンスターが夜会本番で躍動した。
本番までの紆余曲折すべて見届けてきた井上に、魔改造の夜への挑戦を振り返ってもらった。


人事部
人事エキスパート・サポートグループ
グループ長 井上 信治
1995年入社。NHK「魔改造の夜」のヘビーウォッチャーで、2021年の基盤技術研究所 研究推進室研究支援グループ在籍時に、番組出場を願うも諸般の事情で断念。今回、念願かなって出場することになると事務局を任され、代表に就任。魔改造の夜プロジェクトの遂行、島津とエンジニアの未来のために社内調整に奔走した。
Q1「夜会」を終えた感想



両チームが2試技とも完遂
まず、夜会まで無事に完走できたのは、メンバーを支えてくれた所属先のみなさんのおかげでした。メンバーの活躍は、みなさんの支えがあってこそで、これは全社員の取り組みだったと思っています。
魔改造の夜は毎回観ていますが、夜会独特の緊張感と雰囲気のなか、両チームが試技を2回とも完遂するのは大変難しい。「失敗してもかまわない」精神のもととはいえ、確実に動作させられたのは、島津のエンジニアが持つ、丁寧で緻密な設計や準備、実験計画の礎があってこそ。短い開発期間の中でもそれが活かされたことに、改めて凄さと誇りを感じています。
恐竜チームは、優勝という最高の結果でした。ですが、そこに至るまでは悪戦苦闘の連続。どんな状況でもエンジニアらしく、原因を突き止め、スケジュールを見直し、役割を分担しながら進めていたプロセスもすばらしかったです。
傘チームは、悔しかったと思います。あえて「重力に抗う」ことに挑戦し、最後まであきらめなかった。構想、設計、製作、制御、実験と改善を繰り返しながら本気で走り抜けたからこそ流せる涙がありました。ものづくりを楽しむ気持ちを忘れずにいてくれたことも、うれしく思います。
Q2以前から魔改造の夜に
出場したいと思っていた理由


挑戦から生まれる
エンジニアとしての誇り
2001年、私は入社6年目のエンジニアでした。当時、業績赤字に伴い実施された、いわゆる「緊急施策」で、希望退職と給与カットが行われ、部署内にも希望退職される方がいて、悔しい思いをしました。先行き不安な日々。そんななか、2002年に田中耕一主任(当時)がノーベル賞を受賞されたのです。その後、会社は奇跡的なV字回復を遂げました。ノーベル賞受賞によって、社員一人ひとりが島津に誇りを持ち、仕事への自信と動機を高めたことが、業績回復に寄与したと今でも思っています。
あれから20年以上が過ぎ、売り上げ、利益、グローバル展開と、当時に比べて会社は随分大きくなりました。一方で、技術の専門性が高まり、分業が進み、部門や部署を超えた交流が少なくなっています。島津にはすごいエンジニアがいるんだということをみんなが共有し、そこですごい挑戦ができれば、自分たちの仕事への誇りと動機づけにつながるのではないか。そう思って出場を決意しました。
普段の業務の多くは、失敗が許されないものです。ですが、魔改造の夜は「失敗してもかまわない」。この機会だからこそ挑戦し、結果に至るプロセスを大事にしてほしかったのです。2チームいずれも、参加した誰もが体現できたと思います。
Q3島津のエンジニアたちへ
メッセージ



Q3島津のエンジニアたちへメッセージ
部門・部署を超えた関係が生み出す効果
島津には、専門分野が異なる優秀なエンジニアがたくさんいます。部門・部署を超えて関わることで、技術的課題にさしかかったときに「あの人に聞いてみよう」「あの部署に協力をお願いしてみよう」ということができます。今回魔改造の夜に参加したみなさんは実感されたと思いますが、どんな立場の人であっても、それができるのが島津の強みです。
部門を超えた関係性が発展、循環し、いい影響を与えてほしい。島津の工場のものづくりや対応力も、本当に素晴らしかったですから、番組を観たことをきっかけに、声をかけてもらうような広がりが生まれればうれしいです。
みなさんには、島津のエンジニアであることに誇りと自信、そして愛着を持っていただけたらと思います。一人ひとりがすごいメンバーであると同時に、多様なメンバーが集まるからこそ成し遂げられる組織のパワーは未知数です。
魔改造の夜は、ものづくりの難しさと楽しさ、喜びを具現化した、成長と変革の第一歩かもしれません。参加メンバーは、この経験を糧に職場へ恩返しをし、たくさんの人と切磋琢磨してくれることでしょう。島津の未来、もっといえば科学技術の発展の未来は、私たち社員一人ひとりに託されています。

