HISTORY沿革

カルニュー光学工業

明治43年
東京四ツ谷にて掛眼鏡研究を業としていた加藤嘉吉が顕微鏡試作に着手。
明治45年
第一回試作品完成。これがわが国の顕微鏡工業の源であり当社の礎である。
大正7年
当時もっとも至難とされた油浸系顕微鏡をわが国で初めて完成させた。
これらの製品は各種博覧会で多数の賞を受賞した。
大正10年
加藤嘉吉・神藤新吉の両名で合名会社カルニュ-光学器械製作所を設立。
昭和15年
加藤嘉吉・加藤辰雄の共同経営で合資会社カルニュ-光学器械製作所に改組した。
昭和16年
東京市板橋区に工場を新築。
加藤嘉吉は国産顕微鏡の創始者として日本光学協会より表彰を受けた。
昭和19年
資本金50万円の株式会社に改組。
昭和20年
長野県下伊那郡竜丘村に工場疎開。終戦後直ちに顕微鏡の製作に着手。
昭和21年
株式会社島津製作所と提携。販路の拡張、技術の向上、新製品の開拓を図った。
昭和28年
時又の現在地に工場を新築移転。
昭和29年
資本金450万に増資。
昭和31年
わが国初の顕微鏡JIS表示が許可。
昭和34年
株式会社島津製作所が資本参加、名実共に同社の系列会社となる。
昭和43年
資本金3,600万円に増資。
平成12年
ISO9002取得
平成15年
ISO9001所得

光学デバイス

明治8年
初代島津源蔵(1839-1894)京都木屋町二条南で理化学器機製造の業を起こす。
昭和9年
わが国初の分光写真器を完成。
昭和38年
エアスペース形エタロンの製造開始。
昭和46年
ファブリペロー干渉計を開発(エタロン・回折格子分光器MEG-50形)
昭和50~53年
理化学研究所との共同で回折格子のイオンビームエッチング加工法を世界に先駆けて開発。
昭和55年
ブレーズド・ホログラフィック回折格子の製造を開始。
昭和57年
回折格子のイオンビームエッチング加工法が大河内記念技術賞を受賞。
昭和59年
東京天文台との共同で真空紫外域用分光素子グリズムを開発。
昭和62年
小形分光器モノクロメータSPG-100シリーズを発売。
昭和63年
ソリッド型エタロンを開発。
平成2年
グリッド偏光子(赤外偏光子)を発売。
平成3年
小形分光器ポリクロメータ測光システムPSS-100を発売。
平成5年
グレーティングのイオンビームエッチング加工法が(社)発明協会全国発明表彰で特賞(弁理士会長賞)を受賞。
平成10年
不等間隔溝ラミナー型平面ホログラフィック回折格子(VLSG)を開発。
小形分光器モノクロメータSPG-120シリーズを発売。
平成12年
NEDOプロジェクトのX線マイクロビーム開発でX線用軸外放物面鏡とシュワルツシルド鏡を開発。
ISO9002所得
平成13年
ラミナー型回折格子の製法が文部科学大臣発明奨励賞を受賞。
平成15年
ISO9001所得

センサデバイス

昭和60年
部品事業参入を目指し、研究開発・製造の拠点となる厚木工場竣工。
昭和62年
光半導体素子の一つである光通信用発光ダイオードの製造開始。
平成3年
中央研究所(当時)において、半導体レーザを励起光源とした固体レーザ技術と波長変換技術を応用した完全固体可視光レーザの開発がスタート。
平成6年
センサデバイス第一弾として、分析機器事業部向け焦電センサ素子の生産を開始。
この焦電センサは、中央研究所が開発し、当時厚木工場に設けられていた現民生品部の前身である生産技術研究所 半導体製造技術開発センタが量産化に成功。
平成7年
中央研究所改め基盤技術研究所と生産技術研究所(当時)、センサデバイス部(当時)からなるプロジェクトの成果として完全固体可視光レーザの製品化に成功。
平成8年
基盤技術研究所が高出力赤外半導体レーザを製品化に成功。
平成9年
高出力赤外半導体レーザの量産開始。
平成10年
分析計測事業部向けEDX検出器の生産開始。これも基盤技術研究所が開発し、生産技術研究所 半導体製造技術開発センタ(当時)が生産ベースに載せたもの。
平成12年
半導体プロセス技術を応用した微小ガスフローセンサを開発。
環境計測事業部(当時)の全有機体炭素計(TOC計)用センサとして生産開始。
平成13年
写真露光向け光源として、完全固体可視光レーザの量産開始。以降、主力製品に成長。

島津デバイス製造

昭和19年
株式会社に改組。
平成17年
株式会社島津製作所民生品部製造部門の営業譲渡を受け、資本金9,000万円に増資し、株式会社島津デバイス製造に改称、本社を京都市に移す。