Vol.46 表紙ストーリー

Vol.46表紙
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一昨年来、飼いネコの数が増加しているそうです。コロナ禍のストレスが多い生活のなか、「癒し」をコンパニオンアニマルに求める機運の高まりが要因とみられています。安らぎを与えてくれるネコは、どこからやってきたのでしょうか 。

起源をたどると世界中のイエネコが、リビアヤマネコと最も近い遺伝子を持っていることが明らかになりました。
BC8000年頃からメソポタミア周辺で、ネズミの被害に手を焼いていた農耕民が、ネコのネズミ捕獲能力を歓迎し、側で暮らすことを容認したと推測されています。日本では、長崎県壱岐市のカラカミ遺跡から最古のイエネコとされる骨が見つかっており、年代測定の結果2140年(±25年)前のものと特定されました。
しかし、イエネコが本格的に日本に定着するのはそこから800年ほどの後、平安の世を待つことになります。
6世紀頃から、仏教の伝来とともに唐猫がやってきました。当初は遣唐使が運ぶ経典を船中のネズミから守る役目を与えられていたようです。無事に経典を届けた唐猫はお役御免となるはずでしたが、平安貴族の間で思いもよらぬ愛猫ブームが起きたのです。『源氏物語』や『今昔物語』にもネコが人との暮らしに溶け込んでいる愛らしい姿が描かれています。
ブームは皇室も例外ではありませんでした。一部現存する宇多天皇(59代)の日記からは、ネコを溺愛する様子が伺えます。また、一条天皇(66代)のネコ好きは途方も無いもので、愛猫が内裏へ自由に出入りできるよう官位を授けるほどの偏愛ぶりが『枕草子』に記されています。

近代文学にも、たくさんのネコが登場しており、『吾輩は猫である』の中に吾輩の友達・車屋の黒が悪態をつく場面があります。「…いくら稼いで鼠をとったって――一てえ人間ほどふてえ奴は世の中にいねえぜ。人のとった鼠をみんな取り上げやがって交番へ持って行きゃあがる…」1)
作品発表の数年前、日本でも猛威を振るったペスト菌の媒介者に、明治政府は一匹5銭の懸賞をかけ、ネズミ駆除のためにネコの飼育を奨励しました。人間との出会いから1万年が過ぎても生来のハンターは健在でした。
それからわずか120年、街は清潔になり、ネズミの姿もまれとなりました。飼いネコの数が増加する一方で、放棄されたノラネコによる希少動物の捕食が問題視されています。保ち続けた高い狩猟能力がアダとなったのです。
ネズミ捕り名人とおだてられ、愛しき伴侶と猫可愛がりを受けたと思えば、唄の中では紙袋に押し込まれる。
人間のひょうへんぶりに、ネコ界では「ヒトのように気まぐれ」なんて慣用句が使われているかもしれません。

そんなネコになりかわり、『草枕 』(夏目漱石)の一節を 。
「春は眠くなる。猫は鼠をとることを忘れ、人間は借金のある事を忘れる。」2)

引用文献: 1)夏目漱石(2003)『吾輩は猫である』 新潮文庫・2)夏目漱石(2005)『草枕』 新潮文庫

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