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島津遺産

見えざる“光”で体内を診る

見えざる“光”で体内を診る01

1918年に開発された高級家具と見まごうデザインのダイアナ号。その性能と信頼性は、50年以上使い続けた病院もあったというエピソードに象徴されている。海外にまで輸出されたほどのヒットを記録した。今でも島津製作所創業記念資料館で当時の姿を見ることができる。

文字通り体に光を当て、
骨や臓器の診断を可能にするX線装置。
その発展は、人々の健康への願いを叶える歴史だった。

近代医学事始め

近代日本の幕開けとなった明治維新。政府は、富国強兵、殖産興業を標榜し、鉄道網や道路網の整備とともに、鉄鋼業や造船業を積極的に支援し、急速に産業を発展させていった。
近代化が急がれたのは保健医療も同様だった。国民の健康は、国家の基盤。主な死因となっていた急性感染症への対応を急務とし、欧米の公衆衛生や医師の許可制を参考に、国民の健康を保護するべく医療・公衆衛生行政制度「医制」を1874年に施行。西洋医学を修めた医師の育成を急ぎ、各地に医学校を設立するともに、医療先進国だったドイツに、医師をめざす若者を大勢留学させた。小説家であり、軍医であった森鷗外も、1884年にドイツ帝国陸軍の衛生制度を調査するためドイツに留学している。
もっとも、当時は西洋医学も発展途上。体の見える部分の外科的な診断と治療は、先人たちの経験や実験の蓄積によりある程度確立されていたものの、体内の病変に対して有効な手段は限られ、患者の様子や訴えを手がかりにした「手探りの治療」のほかに頼れるものはなかった。

体内を診る不思議な光

そんな時代の僥倖となったのが1895年のX線の発見だ。ウィルヘルム・レントゲン博士が真空放電管で実験していたところ、近くにあった蛍光板がいきなり光りだした。光源を覆い隠して、どんなに蛍光板を離しても、輝きは収まらない。さらに写真乾板を置いて手をのせると、あたかも透視したかのような骨の写真が写し撮られていた。
この世界的な大発見は、わずか11カ月後に日本国内でも再現された。レントゲン博士の一報を耳にした国内のさまざまな研究機関が再現実験に苦戦するなか、京都の第三高等学校の村岡範為馳教授と、後に島津製作所の初代社長となる二代島津源蔵、その弟の源吉によって成し遂げられたのだ。
X線は、当初から医療への応用が期待されていた。戦場で受けた弾丸の摘出や、的確な治療のための患部の観察と診断に役立つと、発明王のエジソンが言及していた通り、海外では1900年頃から医療用X線装置が生産されはじめ、日本にも輸入されるようになった。
島津も時を同じくして開発に着手。再現実験から13年後の1909年、千葉県の陸軍病院へ国産第1号の医療用X線装置を納入した。
1910年代に入るとX線装置は普及期を迎える。1918年に島津が開発したダイアナ号はその時代を象徴するものだ。X線の波長と強さを別々に変えることのできるクーリッジ管の搭載により筐体が小型化され、複雑な操作も必要としなかったことから爆発的な売れ行きを示し、海外へも輸出されていった。骨折や銃創の診断はもとより、国民病として恐れられていた結核の診断にも大いに役立ち、多くの患者を救ってきたことは想像に難くない。
こうして国民の生活に浸透していったX線装置だが、放射線を扱う以上、問題もあった。適切に使用できなければ、技師や患者の被ばくにつながりかねないのだ。そこで島津は1927年に日本で初めてのX線技師養成学校「島津レントゲン技術教習所」を開設。安全な操作を身に付けた技師を全国へ送り出していった。今もその志は島津学園京都医療科学大学へと引き継がれている。

移りゆく時代の中で

第二次世界大戦後の混乱期を経て、豊かな生活を享受できる時代が到来した。公衆衛生の向上、新薬の登場に加え、食生活が豊かになったことで平均寿命も延びたが、同時に糖尿病や高血圧、心臓病など生活習慣病を患う人が年々増えていった。
そうした中、島津は1961年、国産第1号となるX線テレビジョンシステムを大阪府立成人病センター、松下電器産業(現パナソニック)と共同で開発した。当時、医師や技師は患者の傍らで装置を操作しており、日常的な被ばくを避けることができなかった。そこで、患者とは別室でX線照射の操作を行ってX線画像をテレビ画面で確認することで、被ばくを避けられる装置を実現したのだ。この遠隔式は医師や技師の被ばく量を減らすものとして、今日では広く普及している。
その後も、画像のさらなる精細さと低被ばくを求める声に応えるべく、島津は力を注ぐ。2003年には、自社開発した直接変換方式FPD(フラットパネルディテクタ)を搭載した世界初の循環器用X線装置を発売、これまでにない高画質と低線量が評価され、大きな反響を呼ぶとともに技術開発や知的財産の賞を次々と受賞した。
現在も島津は、X線装置のパイオニアとして、装置の進化にとどまらず、画質の向上、アプリケーション開発、低被ばく、使いやすさなど、患者や医療機関のさらなる安心安全を追求し続け、X線装置の新時代を切り拓いている。その進化は、人々の健康への願いに応え続ける。

見えざる“光”で体内を診る02

1961 年、大阪府立成人病センターに納入した遠隔操作式X 線テレビジョン装置