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(注)所属・役職および研究・開発、装置などは取材当時のものです。

代表取締役 会長 服部重彦

京都から世界

健康への願いに応えたい03

「資源に乏しい我が国は、 科学立国を目指すほかない」島津製作所の創業者、初代島津源蔵が創業にあたって語った言葉です。

「資源に乏しい我が国は、 科学立国を目指すほかない」
島津製作所の創業者、初代島津源蔵が創業にあたって語った言葉です。
今をさかのぼること140年前、明治維新によって日本の歩むべき道が大きく変わっていく中、1875年(明治8年)に島津製作所は誕生しました。当時、科学立国を目指す日本は、多数の人材に研究の場を与えようとしましたが、実験器具などが圧倒的に不足。それを耳にした源蔵は、西欧から取り寄せた機器の修理をするだけでなく、図鑑の挿絵を唯一の頼りに試行錯誤を繰り返し、理化学機器を製造。科学技術の発展のために理化学器械の普及に情熱を傾け、科学者、技術者の仕事を支えてきました。
二代目島津源蔵は、1930年に日本の十大発明家に選ばれるなど、日本のエジソンとも呼ばれた稀代の発明家で、レントゲン博士によってX線が発見された翌年の1896年に、早くもX線写真の撮影に成功します。機器を用いた医療の端緒ともいうべき出来事で、島津は医療用X線装置を国内で最も早く開発しました。
分析化学に革命的な進歩をもたらしたガスクロマトグラフを日本で初めて製品化したのも島津でした。1956年、当時研究部の係長だった春木達郎(元専務取締役)も、異才の持ち主でした。原理を紹介したA・J・P・マーチン博士の論文などから、その有用性を見抜き、あたかも初代源蔵が理化学機器の開発に取り組んだ時と同じように、一心不乱に開発を続け、1年あまりで初号機を完成させます。さらに独自の改良を加え、圧倒的な高感度を達成し、島津製ガスクロマトグラフの評価を不動のものにしました。
2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一(シニアフェロー)も、この系譜に連なる信念の男です。失敗を繰り返すも、一途に実験を繰り返し、たんぱく質のような高分子を壊すことなく計測する画期的な手法を開発。現在もなおライフサイエンス分野の発展に多大な貢献をもたらしています。
時代の節目節目に、こうしたイノベーションを起こすことができた背景には、島津が京都に誕生し、京都に育てられた企業であることが挙げられるでしょう。
京都は、1100年を超える長きにわたり、日本の都でした。そのため日本各地はもとより、中国、朝鮮、あるいはヨーロッパから珍しい文物が集まり、物見高い人々の心を引きつけてきました。そして、その文物を咀嚼し、自分たちのものとすることを繰り返す中で、新しいものに率先して取り組んでいこうという進取の気風が養われたのです。
その町で生まれたからこそ、島津はまったく新しい挑戦にも臆することなく取り組んでこられた。そのマインドは今も変わることはありません。
もうひとつ、京都という町は、ほんの10キロメートル四方に、数百もの企業がひしめき合う企業集積地でもあります。扱うもの、作るものこそ違え、これは数百年前から、変わらぬ京都の景色です。職人や商店が軒を連ねる中で、互いの仕事を補完し合うような分業体制が育まれ、それぞれの技を先鋭化させていった。島津も、140年前から、科学者や医師、企業の仕事を支える製品を作るという本分を決して変えることなく、地道に歩んできました。だからこそ、みなさまに評価を頂ける高い技術力を持つに至ったのだと考えています。
その技術力は、ひとえに社員の力によっています。「企業は人なり」の言葉通り、人こそ企業の最大の資産であり、いかに育成するかが、私たちにとって最大の命題であるのは、疑いありません。
そして、育成するうえで決して忘れてはならない視点が、多様性の理解です。
お客様の考えは、一人ひとり異なります。事業の内容や立地、目的で求められる条件が違えば、当然、製品も一様でよいはずがありません。お客様の声に耳を傾け、課題を解決する方法を考え出しシステムに落とし込んでいく以外に、喜んでいただく方法はないのです。
振り返れば、創業時から、私たちは常に産業界に寄り添い、お客様のご要望を聞いて、それに応えられるものを作ろうと努力してきました。源蔵の時代はもとより、私自身、若い頃ガスクロマトグラフを担いで世界を奔走する中で、お客様にたくさんのご要望を頂きました。
その声に応えることで、島津の社員一人ひとりが力を付け、よい製品を提供し、お客様の事業や研究の精度を高めてきました。いまやグローバル時代となり、お客様の拠点が世界に広がった結果、国情や文化の違いをも反映した製品作りが求められています。社員一人ひとりが、いっそう広がった多様性を理解し、率先して応えていく姿勢を持つことができれば、私たちは、さらなる高みを望むことができるでしょう。
京都の町が、多様な文化を受け入れ、自分のものとしてきたのと同じように、どん欲に世界を受け入れる。21世紀のものづくりは、そうして進化していくのだと強く感じています。

健康への願いに応えたい04

株式会社島津製作所 代表取締役 会長

服部重彦(はっとり しげひこ)