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あしたのヒント 大阪大学

行動経済学からみた後回し癖を解消する方法

目の前の事柄は大きく見える

面倒なことを後回しにしたりせず、段取りよく仕事をこなしていくには、どうすればよいか。
ビジネスマンの大きな悩みに、「行動経済学」の視点から科学的に答える。

目の前の事柄は大きく見える

後々苦労するとわかっているのに、目の前の仕事を先延ばしにしてしまう。一時の感情で、決まりかけていた取引をふいにしてしまう。そんな経験をもつビジネスマンは少なくないだろう。思い当たる節がないという方でも、夏休みの宿題を後回しにして、最終日に四苦八苦したことや、ダイエット中なのに、目の前のケーキに手を伸ばしてしまったということなら、思い出せるのではないだろうか。
「人は、いつも目の前にある事柄を過大に評価してしまう『現在バイアス』という評価のゆがみがあります。長期的な計画を立てても、いざその計画を実行する段階になると、もうちょっとぐずぐずしていたいとか、これだけ片づけてからとか、 "目先の利益" を優先して結果的に自滅してしまう。遠くのビルより、近くの低木のほうが高く見えるのにも似ていますね」
と語るのは、大阪大学社会経済研究所の池田新介教授。行動経済学の視点から、なぜ人間がこうした「自滅的な選択」をしてしまうのかを研究している。
行動経済学は、従来の経済学がもつ矛盾を心理学や脳科学などの知見を合わせて再構築した学問だ。古典的な経済学では、「数学的に美しくさわりたくないくらいきれい」(池田教授)な "経済人" を設定し、経済モデルを構築してきた。しかし、実在する人間は、ちょっとしたことで好みを変えるし、利益を追い求めることを気まぐれにやめたりもする。そうした人間の行動を科学的に分析し、できるだけ多様なデータを採用することで、より現実に近い人間モデルを検証する。
「アンケート調査などから人が目先の利益を優先させる傾向があることは、明らかになっています。早くとりかからなければならない重要な仕事があるのに、後から出てきた簡単な仕事を先に片づけたり、一服してからにしようと手を止めてしまったりするのも、短期的な利益を優先させているという意味では同じ。それが自滅的な選択に陥ってしまう要因なのです」
中間報告の必要がなく、一人で進めている仕事や、仕事の優先順位づけの自由度が大きい時、あるいは、重要な仕事を任されているが、重要なだけになかなかとりかかれないといった時に、自滅的な選択につながりやすいという。

意志力は希少な資源

もちろん、スケジュール表にそって淡々と仕事をこなすといった自己管理ができれば、自滅を防ぐことはできるのだが、そこで重要になるのが "意志力" だという。
「目の前のごちそうを我慢して、将来の利益を手に入れるためには、強い意志力が必要です。しかし、意志力には限りがあり、希少な資源だということを理解しないと、さらなるトラブルに直面することになります」
使い慣れた言葉だが、「意志力」は最近の研究で、脳科学的な根拠をもつ実体のある能力であることが実験により示されている。
生活上の節制にはじまり、仕事や勉強、人間関係の維持や、法律を守るといったことでも、後先を考えた厳しい自己管理が重要だ。人は仕事や生活のトラブルなど心が折れる出来事に遭遇したり、大きな仕事に携わったりすると、意志力を大きく消耗する。意志力を消耗すると、他の目的に自己管理を働かせるのが難しくなり、優先順位の低い課題からおろそかになっていくという。
「仕事が忙しくなると、机の周りや家が散らかってきたり、身だしなみに気を使わなくなったりするのは、意志力枯渇のわかりやすい例です。つまり、意志力はたった一日でも枯渇する可能性のある希少資源なのです。希少な資源であるなら、節約して有効に配分する必要がありますから経済学の中心問題の応用として考えられます」
特に意志力を大きく消耗するのは、計画外の案件が突然発生し、予期しない自己管理コストが発生した時。意志力に計画外の負担がかかり、配分に無駄が生じるという。

面倒も習慣化すれば意志力は消耗しない

また、自制の水準には "当たり前のこと" として織り込まれている水準(参照点)がある。本人がとくに自己管理の必要性を認識するのは、その参照点を上回る部分についてだ。つまり意志力の総量が同じでも、自制の参照点レベルが高い人ほど、意志力を枯渇させることなくタフに働けるという。
ではその参照点を上げるには?
「習慣化させるのは、参照点を上げるうえで非常に有効です。自制を必要とする仕事を悩まずに行動できるよう習慣化させれば、意志力を消耗せずにその仕事を継続できるようになるでしょう。また、将来の自己実現に明確なイメージをもって、希望をもって働ければ、より高いレベルの自己管理に意志力を投入できるようになります」
日記や報告書も習慣化すれば、負担に感じることはない。また、惰性で仕事をしていると、どんどん腰が重くなるのも多くの人が経験していることだろう。
「プレ・コミットメント、すなわちあらかじめ約束しておくことも有効です。グループによる意思決定や実行責任の負担を分散させて、実施状況を可視化する仕組みを構築する。あるいは、プロジェクトの細分化や途中経過の報告義務を織り込むといった手法が考えられます。すでに多くの企業はさまざまな仕組みを導入しているでしょうが、仕事が滞ることが多いようなら仕組みの見直しを考えてもいいかもしれません。また、会議で、喫緊の課題は後回しにして話が寄り道にそれたりするのも現在バイアスのゆがみ。これを防ぐには、時間を区切った会議、立ったままの会議を導入すると効果的かもしれません」

身体感覚で意志力を鍛える

「意志力そのものを劇的に向上させる方法は思い当たりませんが、節制を心がけている人に、生産性の高い仕事ができる人が多いのは事実のようです」と、池田教授。朝型の生活や朝起きてのジョギングを日課にすることは、意志力を鍛えるのに一定の効果が期待できると指摘する。
また、身体感覚が脳に及ぼす影響も無視できないとも。
「私自身、車を運転するときに座席を前に詰めて、ハンドルをしっかり握っていると、荒い運転はしなくなります。きちんとした姿勢をとることが、安全運転をしようという自己管理意識を高めているのだと思います。デスクワークのときは、椅子に深く腰掛けるとか、清潔な服装を心がけるといったことで、仕事への自己管理も自然に高まるでしょう」
もっとも、なにより重要なのは、意外にも食事だという。
「意志力は脳の活動ですから、その源泉となるのは糖。三度三度の良質な食事で、糖の血中濃度を一定に保つことが、意志力の正常な働きを支えるでしょう」

大阪大学社会経済研究所 教授
博士(経済学)

池田新介(いけだ しんすけ)

1957年生まれ。神戸大学経営学部卒業。大阪大学で博士(経済学)を取得し、神戸大学経営学部助教授、大阪大学経済学部助教授を経て現職。行動経済学会会長。著書に『自滅する選択 先延ばしで後悔しないための新しい経済学』(東洋経済新報社刊)などがある。