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挑戦の系譜

世界屈指の技術が惑星の謎を解き明かす

惑星分光観測衛星「ひさき」の心臓部である回折格子。その開発にあたった島津製作所のデバイス部には、7年前の苦い思い出を乗り越えた高い技術力があった。

空飛ぶ分光光度計

2013年9月14日。鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所から惑星分光観測衛星(惑星宇宙望遠鏡)「ひさき」(SPRINT-A)がイプシロンロケットによって打ち上げられた。惑星を研究する科学者や多くの天文ファンが固唾を飲んで見守ったが、島津にもそのニュースに安堵する技術者がいた。デバイス部光学ビジネスユニット光学技術グループ主任技師の笹井浩行だ。
「二度も打ち上げが延期されていたので、一時はどうなることかと思っていましたが、ようやく一息つけました」(笹井主任技師)
星を相手にすることから、望遠鏡の一種と紹介されることが多いが、ひさきは心臓部に回折格子(※1)と呼ばれるデバイスを持つ分析装置だ。この分析装置は分光光度計(※2)とも呼ばれ、様々な波長の電磁波の組み合わせである光を分光して、どの波長の光がどれくらい含まれるかを見ることができる。物質に光を当てると、波長によって吸収率と反射率が異なる。人間の網膜はそれを物質独自の”色“として認識するが、回折格子で分光すると、厳密に波長の濃淡(強さの分布)をスペクトルで表すことができるため、その物質が何で、どれくらい含まれているかを特定することができる。食品からライフサイエンスや医療・製薬、工業製品などの検査や研究開発に広く用いられており、島津も40年近く、回折格子を作り続けている。
※2 本誌23号シリーズ「温故知新」にて紹介。

世界屈指の技術が惑星の謎を解き明かす02

※1 種々の波長が混ざった光(白色光)を波長ごとにわける(分散)光学素子。「ひさき」に搭載された極端紫外光観測用回折格子では、1mmに1800 本もの溝が切られている。写真は、島津製作所のトロイダル回折格子標準品。

特別な光のための特別な装置を

ひさきに課せられたミッションは、惑星のプラズマ大気を見ること(本誌:P15~16参照)。そのためには、極端紫外光をさらに細かく分光できる回折格子が必要だ。
笹井をはじめとするチームは、これまでも加工の難しい回折格子をいくつも開発してきたが、2007年に東京大学大学院理学系研究科、吉川一朗准教授から寄せられた新たな回折格子開発の要望は、そのなかでもひときわ難易度の高いものだった。
 極端紫外光はきわめて反射率が低く、ほとんどの物質に吸収されてしまう扱いにくい光だ。通常、回折格子の基板として用いているシリコンやガラスでは用をなさず、あらゆる物質のなかでも極端紫外光の反射率が高いSiC(炭化ケイ素)と呼ばれる特殊な材料を基板として、表面に薄い膜をCVD(※3)で焼き付け、1ミリメートルに1800本もの細かい溝を切っていく必要があった。しかも、高い分解能を得るために、基板の表面は非球面であることも求められた。そのうえ、テストを行うためのサンプルの調達が非常に難しく、回折格子の国内最大手で、世界トップクラスの技術を有していた島津にとっても未知の挑戦だった。
※3 化学蒸着(Chemical Vapor Deposition):薄い膜を形成する蒸着法のひとつ。

笹井浩行

デバイス部 光学ビジネスユニット
光学技術グループ 主任技師 笹井浩行

7年越しのリベンジ

実は島津はこの非球面CVD-SiCに、苦い思い出がある。2000年にも東大からは特別な回折格子の設計依頼があった。水星探査機に搭載を予定していたもので、やはり非球面のCVD-SiCを基板として用いることが要件として盛り込まれていた。その頃、島津はまだ、非球面の基板に溝を切った経験がなく、「今後の努力目標です」と慎重な答えを出すほかなく、話は一旦立ち消えとなった。
しかしそれから7年後、ひさきのデバイスとして再度チャンスが巡ってきたのだ。
「SiC基板は20年前にもやったことがありましたが、この時も非球面はやはり初めて。それでも、『今の田中(裕次)さんならできる』と確信していました」(笹井主任技師)
田中とは、デバイス部に所属していた現場の班長で、入社以来20年以上回折格子を作り続けてきたスペシャリストだ。このレベルの技術者は、世界でも数えるほどしかいない。
「これまでも難しいオーダーに応えて、一歩ずつ技術を積み上げてきていましたから、7年前よりも自信をつけていました。図面を見たときもこれならなんとかなるだろうと」(田中班長)
回折格子の溝を切るには、レーザー光の干渉を用いる。干渉で起こった縞をマスキングテープのようにして、イオンビームを照射して基板を削ることにより、溝ができ上がる。この加工は、島津が得意としているところで、サンプル材料に対する最初の試作から、オーダー通りの形はきれいにできた。
だが、なぜか予想していた通りの反射が起こらない。
「仕様通りの溝が切れているはずです。SiCは非常に安定した物質なので、化学的変化が起きたとも考えられない。いったいどうしてなのか。洗浄の方法を変えてみたり、薄く表面を削ってみたりと毎日のように試行錯誤を繰り返しました」(笹井主任技師)
悪戦苦闘の末、解決法が見つかったのもつかの間、また次の問題が発生した。本番用の材料が到着しないのだ。結果、開発は休止をよぎなくされた。
半年後、ようやく材料が到着し、今度こそはと本番前のテストを行うと、半年前とはまったく違う結果になってしまった。溝を切るためのレーザーの最適な照射時間が、休止前と再開時ではまったく違っていたのだ。原因は何なのか、新旧どちらの数字を信じればいいのか。デバイス部はもちろんのこと、発注元である東大の研究室も巻き込んで、何度も何度も議論が重ねられた。
最終的には「最新の結果を信頼しよう」という東大吉川准教授の判断で、実際の材料に対して溝を切る作業を決行した。入手困難ゆえに代わる材料のない一発勝負。
緊張のなかでき上がった回折格子に対するテストはどれも良好な結果を示していた。溝の数、反射率、強度も問題なし。真空環境下でも正しいデータを示した。あとは宇宙での活躍を待つばかりだ。

株式会社 島津デバイス製造 製造部
第一生産課 光学職場 班長 田中裕次

宇宙へ

打ち上げから2ヶ月後、ひさきからの第一報が入った。
木星方面からの極端紫外光を捉えた信号。それは、木星の衛星「イオ」が吹き出す噴煙がつくるプラズマの雲の成分を示していた。
「島津製の回折格子が宇宙に飛び出していったのはこれが初めてです。それが正しいデータを取れたと聞いて、本当に心を動かされました。子供にも『お父さんが作った製品が宇宙に行ったんやで』と自慢してしまいました。この実績を元に、今後も宇宙関連のプロジェクトには積極的に参加していきたいですね」(笹井主任技師)

笹井浩行(ささい ひろゆき

株式会社島津製作所 デバイス部 光学ビジネスユニット 光学技術グループ 主任技師

笹井浩行(ささい ひろゆき)

笹井浩行(ささい ひろゆき

株式会社島津デバイス製造 製造部 第一生産課 光学職場 班長

田中裕次(たなか ゆうじ)