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東京大学

宇宙を舞う蝶

宇宙は謎で満ちている。
太陽系がどのようにでき、なぜ地球だけに生命を育む環境が生まれたのか、現代の科学ではまだ説明できていない。
2013年9月14日JAXAのイプシロンロケットによって打ち上げられた惑星分光観測衛星「ひさき」(SPRINT‒A)は、地球上では捉えられない極端紫外光を宇宙空間で観測することで惑星の大気を分析し、その謎の解明に新たな糸口を与えようとしている。

科学者の夢

「いつかは、太陽系外の生命探査をしてみたい」
東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻の吉川一朗准教授はそう目を輝かせる。
「死ぬ前に何を知っておきたいかといえば、やはりそれです。太陽系外へ探査衛星を出そうと思えば、今からやらなければ間に合いませんが、少なくとも『ひさき』なら、生命活動に適した”湿潤“な環境がある星の方向を見定められます。そこを重点的に探査したら、地球外生命との対話ができるかもしれません」
いまだ謎に満ちた宇宙。科学者の情熱と高度な技術が、そのベールを一枚ずつはがしていく。

地球と宇宙の境界

地球と宇宙の境界

2013年9月にイプシロンロケットで打ち上げられた惑星分光観測衛星「ひさき」(SPRINT-A)は、極端紫外光の目を持つ "宇宙望遠鏡" だ。極端紫外光は、紫外線のなかでも波長の短い光で、この光で見た地球は、ふだん私たちが見ている青くて丸い地球とはずいぶん違って見える。北極と南極を付け根にして、地球半径の5~6倍にもなる「羽」を広げた蝶のような姿。見えているのは地球を覆っているプラズマ(電離した気体)だ。
「ここが地球と宇宙の境界です。羽の内側は、地球由来の物質が電離した状態でとどまっている『電離大気圏』、これより外は、太陽から吹き付けてくる太陽風が吹きすさぶ過酷な宇宙領域です」
吉川准教授は、惑星大気研究の第一人者で、ひさきに搭載された極端紫外光望遠鏡の開発を担当した人物だ。
ひさきの主な目的は、地球を回る人工衛星軌道から金星や火星、木星などの惑星大気の探査で、遠隔観測できる世界初の宇宙望遠鏡だ。
惑星から届く極端紫外光をさらに細かく分光していくと、大気の成分によって波長(色)に違いが生まれる。その違いを使って分析することで惑星の大気成分を調べることができる。島津は、ひさきのキーデバイスである回折格子(※1)の製作を担当している。

地磁気が太陽風を防ぐ

実は大気は、絶えず宇宙に逃げていっている。だが、電離大気圏には、地表大気の0.1%程度ながら、空気が逃げずにとどまっている。
なぜか。
引力に逆らって上空に浮かび上がった酸素分子や窒素分子は、一定の高さに到達すると、太陽光に含まれる紫外線やX線によって電子(e-)をはぎ取られ、陽イオン(O2+, N2+, NO+, O+, N+)に変化(プラズマ化)し、電気を帯びる。その途端に磁力線に捕らえられ、コイル状にくるくるとまわり始める。これが薄い膜を作り、まるで宇宙に浮かぶシャボン玉のようになって、大気の散逸を防いでいるのだ。
太陽の活動は約1か月周期で強くなったり弱くなったりを繰り返しており、活動が強まったときに吹き付ける太陽風で、このプラズマ大気ははぎ取られる。その量は1日あたりに直すと数トンに及ぶが、地球は自身の構成物質から大気を作り続けており、あと数十億年は大気がなくなることはないという。
「もし、地球の磁気が今より弱かったら、地表に太陽風が降り注ぐうえに、大気はずっと多く逃げ出し、とても生物が棲める環境ではなかったでしょう。事実、地磁気の弱い火星や金星からは、はるかに大量の大気が散逸していることが確認されています」

地球と宇宙の境界

金星の雲はなぜ厚い

ここで一つ疑問が生じる。金星の地表には約90気圧もの大気がある。その96%が二酸化炭素で、温室効果によって気温が400~500度にも達していることはよく知られている。もし、大気が地球よりはるかに多く逃げ出しているのなら、金星にこれほど多くの大気があるのはなぜか。
「明らかな矛盾です。金星の重力は地球と同じくらいですが、太陽から近い分、太陽風も強く、しかも大気の散逸量も多い。にも関わらず、大気を大量に有している。しかし、その答えは、まだ誰も知らないのです」
ひさきのミッションの一つに、この金星大気の調査がある。これまでいくつかの探査機が金星上空を飛んで大気を "捕獲" し、その組成や、散逸する大気中にプラズマ化した酸素分子があることを突き止めてきた。
「大気の大半が二酸化炭素で、酸素イオンが大量に逃げているのは確認されていますが、その量は、説によって4桁も5桁も違う。それだけでも十分おかしいのに、散逸する炭素イオンはまだ確認されていないのです。そのため金星の大気が、いつどうやってできたのかには諸説が入り乱れています。もし、やはり炭素イオンも逃げ出していると確認できれば、謎の解明に一歩近づくことになります」

宇宙は生命に満ちているか

ほかにも惑星大気には興味深い現象がいくつもある。
木星の衛星「イオ」は、活発な火山活動を続けている。その噴煙は宇宙空間に放出されているが、火山活動の高熱でもともとプラズマ化されているために、木星の磁力線にトラップされて、木星の周囲をぐるりと囲む雲を形成している。噴煙に含まれる硫黄やナトリウムのイオンは、その雲のなかで活発に発光しているが、磁力線をたどっていった先の木星表面でも、雲の中の発光とほぼ同時に発光する現象が観測されている。
「オーロラにも似た現象で、偶然エネルギーが高くなったイオンだけが木星大気までたどり着いているのだと考えられます。問題なのはその速度で、磁力線をたどって対流していったとしたらとても追いつけないようなタイミングで、イオの軌道上の発光と木星表面の発光がほぼ同時に連続して起こるのです。電荷を帯びた分子にとって、磁力線は暴風のようなもので、それを横切ってショートカットすることなど、ふつうなら考えられません。しかし、そう考えざるを得ない現象です。いったいどんな力が働いているのか。あるいは我々がまったく考えてもいないメカニズムが働いているのか。今後の研究でじっくり見ていこうと思います」
さらに、吉川准教授の目は、太陽系外にも向かう。
「ひさきの分解能なら、別の太陽系の惑星の大気成分も調べられます。そこに炭素イオン、酸素イオンが豊富にあれば、湿潤な環境がある証拠。我々とは違う『いのち』がそこにある可能性も、決してゼロではないのです」

会議室を出て、現場に行こう01

東京大学大学院 理学系研究科 地球惑星科学専攻
准教授

吉川一朗(よしかわ いちろう)

東京大学理学部卒業。1998年、同大学院博士課程在学中に、宇宙科学研究所(ISAS)の助手に。極端紫外光による観測を専門にし、地球や太陽系の惑星、太陽系外の天体の大気を分析している。2005年東京大学に戻り、月周回衛星「かぐや」などのプロジェクトに参画。13年には、惑星分光観測衛星「ひさき」プロジェクトに参画し、金星や火星の大気散逸メカニズムや、木星磁気圏における電子加熱機構の解明に尽力している。