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あしたのヒント 神戸大学

キャリア・デザインは節目だけ

見えざる“光”で体内を診る01

キャリア・デザインの氾濫

「キャリア・デザイン」は、近年急速に定着した言葉の一つだ。
「キャリアは働く人すべてが考えるべき課題ですが、放っておくと自然に流されてしまいがちです。だからこそキャリアをデザイン、つまり自分で手をかけて方向を決めようという概念が、広く受け入れられたのでしょう」
というのは神戸大学大学院経営学研究科の金井壽宏教授。心理学にも精通し、経営学のなかでも人間の発達に主眼を置いた研究に重きを置き、キャリアやモチベーションについての著書も多い。
バブル期以前に就職し、いま50代を迎えている人にとって、自らの手で積極的にキャリアを選び取る機会は少なかったかもしれない。目の前にある仕事に取り組み、周囲の期待に応えるだけで、昇進や昇給はほぼ約束されていた。しかし、
「そうした時代はもう終わりました。社会の先行きが不透明だとの実感が広がり、いまやビジネス界に身を置く人は誰しも、キャリアを成り行きに任せておいてはいけないと感じているでしょう」
と、金井教授は顔を曇らせる。教育学にも造詣の深い金井教授は、キャリア・デザイン氾濫の弊害を懸念しているのだ。
「コンサルタントなどに『キャリアはデザインするものです』と言われた途端、真面目な人は『そうか、一生をしっかりデザインしなきゃ』と考え込んでしまう。その結果、始終どう生きるべきかと悩み、キャリアは変えるものだということが前提になってしまっている人も少なくないのです」

流れに身を任すことも大切

こうなると、たった今携わっていることに身が入らず、成果も出しにくくなってしまう。周囲とのネットワーク構築でもつまずくことが増え、負のスパイラルに陥ってしまう恐れもある。
反対に、厳しい時代になったとはいえ、偶然に任せるだけでもなんとかやっていける人も多いだろう。しかし、流されるだけで、自分で選び取ったという自覚がなければモチベーションも上がらず、自身の成長もない。
そこで、金井教授は「せめてキャリアの節目だけはデザインしよう」と提案している。
「いくつになっても人は発達するものです。しかし、現状にあぐらをかいて淡々とこなすだけの日々を過ごしていたら、若くして”枯れ “てしまいます。それで はいかにももったいない」
一方、教授は、流されることも時に重要であるとも指摘し、「キャリア・ドリフト」という言葉で表現する
「何十年にも及ぶキャリアの全体をデザインしきれるはずがありません。時には流された方がいい、いやむしろ流されるべきです。そうしてこそ思わぬ掘り出し物や、新たなチャンスに巡り合って大きく飛躍できる。流されるというと聞こえが悪いですが、ポジティブに捉えれば、偶然も『味方につけながら』、流れの勢いに乗るという意味合いにもとれます。節目でキャリアをデザインしたら、しばらく流れに乗る。この繰り返しが、よいキャリアを築くことにつながるのだと思います」

節目に気付かせてくれる4つのサイン

では、その節目とはいったい何を指すのだろうか。
就職先を選ぶというのは明らかな節目だ。就活生は、大まかではあっても将来の夢を描き、強い想いを抱いて企業や業界を選ぶ。出産や育児、または、病気による休業も明らかなサインといえるだろう。だが、会社に席が保証されていて流れに乗ったままだと、節目にはなかなか気付けないかもしれない。
金井教授は、節目に気付かせてくれるものとして、4つのサインを挙げる。
一つ目は「危機」の感覚。このままでいいのかという焦燥感、あるいはこのままではダメだというどん詰まりの感覚は、いったん手を止めてみる好機だ。危機だと感じるということは、岐路に立っているということであり、そこには発達や変化のスタート地点があるはずだ。
危機の真っ只中にいるのに、その自覚がない人もいる。そのときに役立つのが二つ目の契機でもある「メンターの声」。同じキャリアを歩んできた先輩などと話す機会に、「そうそう、僕もキミくらいの時分、すっきりしないことがあったんだ」などと、頼みもしないのにアドバイスをしてくれることがあれば、それはあなたの言葉のなかに、危機を示すサインがあったからなのかもしれない。
三つ目は、危機とはまったく反対で、「ゆとりや楽しさ」の感覚。自分がやっていることがあまりに楽しいとか、いやだなと思って始めたのに、いつのまにかうまくできていることに驚いたときが、もう一つのタイプの契機だ。なぜそう感じているのか、少し前を振り返ってみるといいかもしれない。
最後は「カレンダーや年齢的な目印」。いわゆる大台に乗ったという感覚や、昇進や異動など仕事上の明確な節目もこれに含まれる。

人生の正午

カレンダー的な目印のなかでも特に注意が必要なのが40代前半だと教授は強調する。この時期、多くの人が昇進して部下を持つようになり、自分が教えてもらったことを今度は若い人に教える役割を任される。働き方や仕事に対する考え方が大きく変わる時期だ。プライベートでも人生の残りをうすうす逆算できるようになり、戸惑いを感じることが多い。「中年の危機」とも呼ばれるこの世代特有の大きな発達課題だ
「思春期や、老年期の悩みに対しては、社会も見守る目を持っています。しかし中年期の悩みを考える研究や社会のフォローは非常に少ない。30代から、心の準備をしておいたほうがよいでしょう」
「もっとも、人生を80~90年と考えれば、40代の前半はちょうど折り返し地点。人生を一日に例えれば、まだ正午です。ここでしっかり内省し、キャリアをデザインすれば、個性を花開かせて充実した後半生を歩めるはずです」
人生の午後をどう過ごすか。早めに仕事を切り上げて家族との時間を楽しむのも人生。終電ギリギリまで机に向かうのもまた人生。それを決めるまで、少しくらい昼休みを長めにとってもいいだろう。

中年の危機の特効薬「年譜を読む」

深刻な課題であるにも関わらず、本人も周囲も気付きにくい「中年の危機」。これを乗り越えるためには、周囲の助けが非常に有効だ。よく似た前半生を歩んできた兄弟や、同じキャリアを歩んだ先輩、あるいはまったく違う人生を歩んでいる人と語らうことは、自らのキャリアを見つめるうえで非常に参考になる。
だが、多忙だったり、身近に人生の先輩が見つけにくい職場にいて、その機会を得にくい場合もあるだろう。そんな方におすすめなのが、伝記の年譜を読んでみることだ。
偉人の伝記の巻末にはたいてい年譜=キャリアと人生の記録が付されている。40代を過ぎてからどんな業績を成し遂げたかを知れば、どんなに優れた業績を残した人でも、若い頃は冴えない時期があったり、節目と見られる時期に大きな挫折を経験していたりすることが多い。その危機をどう克服し、成功につなげたかを読み解くことが、自身の指針になるだろう。社内の役員などの40代の経歴を聞き集めてみるのも、リアリティを感じられていいかもしれない。

金井壽宏(かない としひろ)

神戸大学 大学院経営学研究科 教授
博士(経営学)

金井壽宏(かない としひろ)

1978年京都大学教育学部卒業。80年神戸大学大学院経営学研究科博士課程前期課程修了。89年マサチューセッツ工科大学Ph.D(経営学)。92年神戸大学で博士号(経営学)を取得し、94年から同大学教授。人の生涯にわたる発達が最大の関心事で、リーダーシップ、ネットワーキング、モチベーション、キャリアなど研究対象は多岐にわたる。著書に『働くひとのためのキャリア・デザイン』(PHP 研究所)、『リーダーシップ入門』(日経文庫)、『踊る大捜査線に学ぶ組織論』(かんき出版)などがある。