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あしたのヒント 東京大学 中原淳 准教授

言葉の力の時代 ― 言葉にする力、させる力を身につける

言葉の力の時代

部下と話が通じない。多くのミドルマネージャーに共通する悩みだ。
その背景にあるのは、組織内の“部族構成”の変化。
コミュニケーションも時代に合わせていく必要がある。

多部族社会となった職場

「『お客様の意向がまず第一でしょ』と小言を言うと、『そうなんですか。』と返してくる。いったい僕は誰と話しているんだろう」
部下と話が通じない。このような悩みを持つミドルマネージャーは少なくないだろう。
「それは当然です」
と言うのは東京大学大学総合教育研究センターの中原淳准教授。
「今は職場の中にどんどん違う“部族”が出現している時代なんです。一を聞いて十を知るなんて、夢物語です」
中原准教授の言う部族とは、文化的背景の異なるグループということ。戦後長く日本の企業社会の主たる構成メンバーは、「正規雇用」の「男性」「日本人」だった。つまり、あうんの呼吸でいけるひとつの部族しかいなかったのだ。あったのはせいぜい世代の差くらいで、それも伝家の宝刀“居酒屋コミュニケーション”で自然と解消されていった。
だが、女性の社会進出、グローバル化、そして雇用形態の多様化で、ひとつのオフィスの中に、生まれ育った環境や人生で重要視する事柄が大きく異なる人が複雑なモザイクをなすようになった。
単語一つひとつの概念が異なる外国人と会話してギャップに戸惑うのは職場に限った話ではない。勤務体系や待遇の異なる従業員に同じ目的に向かって働いてくれと言っても反発するのは無理からぬことではある。退社後、家事や育児、介護などをこなさなければならない人を居酒屋に誘うのもはばかられる。
「この傾向は今後進むことはあっても、後戻りすることはないでしょう。もし『放っておいてもコミュニケーションは自然に取れる』という認識を持っているなら、早急に改める必要があります」
コミュニケーションは放っておけばどんどん悪くなる。それを前提にマネジメント全体を調整していく必要があると力説する。

腹に落ちるまで伝える

中原准教授は、企業・組織に関係する人々の学習や教育の現状や課題、改善策などを扱う「経営学習」研究の第一人者だ。社員間で企業の文化が共有できなかったり、コミュニケーション不全が起こることも教育の問題とみる。
「1990年代の後半から、『人材育成』という言葉がひんぱんに新聞紙面に登場するようになりました。これは状況をよく物語っています。職場のダイバーシティ(多様性)が高まり、それまで語るまでもないと思われていたことがうまく伝わらず、きちんと話して教育しなければならないという危機感が企業の間に広がったんです」
人材教育は、人事部などが主導する研修などフォーマル(公式)なものと、現場マネージャークラスがふだんの業務や空き時間を使って行うインフォーマル(非公式)なものとに大別される。だが、経営環境が厳しくなるに伴い、コストのかかる研修は後手に回りがちなうえ、コンプライアンスの徹底や情報管理圧力によって、社内ですら立ち話で仕事の話をするのがはばかられるような状況が生まれつつある。その結果、コミュニケーション不全が問題化する企業が増え、経営に悪影響を及ぼし始めている。
もっとも大きな問題のひとつが、経営理念に代表される企業文化の空文化だ。企業文化はどのような状況にあってもぶれることのないその企業の根幹であって、目標達成のための道標と規範を兼ね備えたものともいえる。構成メンバー全員がその方向を向いているべきものだが、目先の利益に奔走したり、利益のみを考えた現地化を推し進めると、それぞれが違う方向へ走り、お題目と成り果てる。
「とりわけ企業が海外に進出していくとき、その文化を現地の社員に伝えることは、一番大事なマネジメントの課題のひとつです。しかし、その伝え方は考えないといけません」
早くに海外に進出した企業のなかには、全工場で半日ずつ時間をとり、企業理念について対話したり、議論して意味付けをする時間をとったりしているところもあるという。こうした研修、ワークショップを継続していくことで、文化という抽象的な概念を言語化し、「腹に落とす」ことが大切なのだと中原准教授は強調する。

言葉の力の時代

言語化はインフォーマルな場面でも重要だ。
「お客様が第一だという文化を伝えるのに、『顧客満足なんだよ、わかるだろ』と言っても理解されるはずがありません。顧客満足とはどういうことだと思う?我が社ではこういうことだ、そのためには、こういう仕事の進め方をしていこう、と誰にでもわかる言葉にして伝え、また、部下に改めて自分の言葉にさせることが大事なのです」
「そんなかったるいことを」と思うなかれ。当たり前のことを言葉にすること、そして相手に言葉にさせること。それこそが、多部族社会でもっとも求められる能力なのだ。だが、ただでさえ忙しいミドルマネージャーに、そんな時間をつくることができるだろうか
「つくるしかありません。そうしなければ、チームとして成果を出すこともできなくなるわけですから。コミュニケーションのマネジメントこそ、マネジメントの根幹なんです」
課長の権限の一部を係長クラスに委譲するなど、組織を調整して、対話の時間を設けることも一案だ。この際、やらなくてもいい業務を探し出し、仕事や慣習のリストラを断行することも考えるべきだとも。
「新たなことをしようとすれば、無駄な仕事のカットとセットにすること。時代の変化に合わせて仕事も変わっていくのです」

「三つ子の魂百まで」
「石の上にも三年」

はじめが肝心。この言葉は、人材育成では金科玉条のようだ。
中原准教授らは、新人がどのような環境で仕事をしたかによって、その後、どれくらい成長したかを追跡調査。入社後3年間、7年間、13 年間で比較してみたところ、最初の3年間の影響が突出して大きいという結果が得られた。入社後3年の間に上司から、正しい仕事のやり方、正しい仕事の信念を学べたかどうかが、その後の成長を大きく分けるということだ。

「ことわざにある通りです。昔の人が感覚的にわかっていたことはやはり正しいんだなと、つくづく思います」

新入社員にとっても、3年間でどれだけ吸収できるかが勝負。上司も部下も腹を決めて臨みたい。

中原淳 (なかはら じゅん)

東京大学 大学総合教育研究センター 准教授
大学院 学際情報学府(兼担)

中原淳 (なかはら じゅん)

教育学者。1998年、東京大学教育学部卒業、大阪大学大学院人間科学研究科で学んだ後、文部科学省大学共同利用機関メディア教育開発センター助手、マサチューセッツ工科大学客員研究員を経て、2005年東京大学大学総合教育研究センター講師。07年より現職。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における学習、コミュニケーション、リーダーシップについて研究している。一般社団法人経営学習研究所代表理事も務める。著書に『経営学習論 人材育成を科学する』(東京大学出版会刊)などがある。